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その後の話3【8】いたずらな頃に戻って

「……誰もいません?」


 ひょこ、と、柱の陰から顔を出す私。

 後ろからフィニスも顔を出す。


「いない。大丈夫だ。おいで」


 目の前には、無人の廊下。

 フィニスはそっと私の肩を抱いた。

 私たちはそのまま、小走りに寝室へ飛びこむ。


 扉を閉めて、息を潜めて――うん、大丈夫。

 使用人の気配はないし、ザクトたちと狼たちの騒ぎも遠くなったみたいだ。

 謎の侵入者のことはまだ心配だけど、まあ、ザクトたちなら大丈夫だろう。


 ……それにしても。


「ふふ」


「面白いか?」


 フィニスがやわらかに聞いてくる。

 その声がくすぐったくて、私はますます笑ってしまった。


「はい。なんで私たち、使用人たちから逃げてるのかな、って」


 笑ったまま顔をあげると、フィニスは自分を見下ろした。


「それは……」


 言葉を切るフィニス。私もフィニスの姿を眺める。

 重い刺繍を重ねた、美しい上着はずぶぬれ。

 どこかに引っかけたのか、白いシャツのタイはやぶけて垂れ下がってるし、なんというか……こう、なんだろう。普通なら、大変だったんだな、っていう着衣の乱れっぷりなわけだけど、待って。


 着衣の乱れって。

 着衣の乱れって!!!!!

 着衣の乱れた推し!!!!!!!

 ダメ!!

 その概念はえっちすぎてダメ!!!!


 すー……。

 はー…………。


 落ち着こう。落ち着けないけど、天の星座の数を数えよう。


「……怒られるからだろうな」


 フィニスが神妙につぶやいたので、盛り上がるのはいったん中止。

 私も自分を見下ろした。

 はい、私もフィニスに負けず劣らず。びしょ濡れでボロボロです。

 うう…………。

 職人のみんな、着付けを手伝ってくれるみんな、ごめん。


「怒られ、ますよね……」


 私は思い切りしゅんとした。

 が、フィニスはつかつかと寝室へ入っていく。

 離宮の寝室は簡素なもので……いや、簡素かな!?

 黒狼騎士団のころ使っていた部屋に比べたら、三倍くらい広いな。

 床も壁も天井も蜜色の模様が入った白い石でできてるし、床にはふかふかの白い毛皮が敷かれ、壁には金枠の鏡や装飾品、ベッドも金を貼った天蓋付き、大きなバルコニーつきのうえに見晴らしサイコー――いやいやいや、豪華です。豪華でした!!

 皇后陛下になってから、何か感覚おかしくなってるわ。

 壺とか絵とか少ないから簡素、くらいに思ってたわ。

 こわ。


 えーと、とにかく。

 そんな寝室には、続きの間があります。

 続きの間にあるのは……。


「温まったほうがいい。風呂を使うか?」


 はい。

 そう。

 続きの間のドアを開けたフィニスの、言う通り。

 向こうにあるのは、南国仕様のおふろです。


 つまり、こう、温泉とか、プール的な……。

 あったかいお湯に浸かるやつ……。


 当然、裸で入ります。


「あ………………はい」


 おい……。おい、私!!!

 フィニスに向かってなんだ、その返事はーーーーーー!!

 顔はうつろ!! 視線はうろん!! 体はカチコチ!!

 なんで? ねえ、なんで!? フィニスは間違いなく親切心でお風呂勧めてくれてるよ!?


 心の中で叫ぶ私に、同じく私が反論する。


 だってだってだってだって、今、使用人がいないんだよ!?

 どうやってお風呂入るの?

 まさか、まさ、まさかですけど…………。

 

 フィニスと一緒?


 ――――――待ちなよ。

 正気を大事にしな、お嬢さん。


 いや、急に変なキャラ出てきちゃったけども……。

 とにかく、そんな、ねえ? そんな、命に関わるようなこと、ダメだって。

 考えるだけでも、かなりやばいやつだからさ。

 だから、長生きしたかったら、そんな考えは捨てるんだ……。

 捨てて、健全に生きろ。なっ。


「すまない。わたしは今、猛烈に失礼なことを言っているな?」


「わーーーーー!! 気づかないでください、フィニスさま!!」


 私は慌ててフィニスにしがみついた。

 が、フィニスはうつろだ。


「貴婦人に風呂を勧めてしまった……超絶めちゃくちゃストレートに裸になれと言ってしまった……凡ミスにもほどがあるし今すぐ深く静かな穴を掘って中でひとりになりたい」


「掘らないでくださいひとりにならないでください、いいんですよ、夫婦なんだし!!!!」


「セレーナはこう言っているが、先ほどドン引きして固まっていた事実を忘れてはいけないぞわたし」


「独り言のクセ、移りましたよね!? いいんですってば、さっき固まったのは、ほら、そう、私、ひとりで髪を洗う自信がなくて!!」


 とにかくフィニスを落ち着かせないと。私は思いっきり叫ぶ。

 すると、フィニスの顔色はよくなった。


「そうか。騎士団のとき、君の髪は短かった」


 そう、そうそうそうそう、そういうことにしとこ!!


「そーーーなんですよ!! お恥ずかしながら、私も公爵家生まれ。あの長さじゃないと、自分で面倒見られなくて。それで焦ってしまって……っていうことなので、」


「わたしが、手伝うしかないわけだな」


「はい?」


 私はフィニスを見上げた。

 フィニスも私を見ていた。

 そして、自分の結んだ髪をちょいちょいとつまんで見せる。


「わたしのほうが、自分で髪の面倒をみるのは慣れている」



■□■



 空の上って、まばゆいな。

 星が住む場所だもん、まばゆいよね。


 うふ。

 あは。


 あは、ははははははは……。


 どこか遠くで、水音がしている。

 そして。


「セレーナ?」


 み、みみみみ耳の後ろで星が喋る……。

 星……キラキラ……。

 と、これ以上現実逃避を続けると、私が湯あたりで死んだと思ったフィニスが真剣な対処を始める可能性があるので、戻ろう。現実に。

 現実。

 それは、神殿じみた白い柱が立ち並び、その間に緑があふれ、花と柑橘類の香りが漂う、豪華な浴室。白い石の浴槽には、適温のお湯となめらかな泡がもっこもこ。

 で、その中に私がいます。

 背後には、シャツとズボン姿で濡れ髪を肩にこぼした美の化身、もとい、フィニスがいます。

 浴槽のふちに腰掛けて、めちゃくちゃ丁寧に私の髪をとかしています。

 

 現実は、ざんこく。

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