第50話 エピローグまで 9
ウィーン。
すりガラスの自動扉が左右に静かに開く、やけに滑らかな動作音。
無駄に上品でちょっとした高級ホテルのエントランスみたいだ。
一歩、足を踏み入れる。
「あ、先輩どうしました? 珍しいですね」
部屋の奥、勉強机に向かっていた雫がくるりと椅子を回してこっちを向いた。
「自動ドア?」
思わず入口を振り返る。
「おまえ、自分の部屋に何つけてるんだ……?」
半分呆れたまま問いかける、そのまま視線を部屋の中へ滑らせた。
広い。
一人部屋とは思えない奥行き。
ベッド、クローゼット、本棚。
並んでいるのは見慣れた家具のはずなのにどれも一回り大きい。
素材も質感も妙にいい。
中央には一人用のソファが置かれているがこれもまた無駄に存在感がある。
どう見ても『くつろぎ専用』って顔をしていた。
そして極めつけ。
視線が部屋の隅で止まる。
……なんだ? あれは。
部屋の隅にある棚だ、存在感が異様すぎる。
そこに並んでいるのは見覚えのあるものばかりだった。
オレがアイドルデビューしてから販売されたグッズ。
アクリルスタンド、ポスター、キーホルダーなど一つ一つが丁寧に並べられている。
しかも一つずつではない同じものがいくつもいくつも並んでいる。
特に缶バッジ。
これが壁一面、本当に壁みたいに敷き詰められている。
集合恐怖症だったらぞわっとしていただろう。
そうでなくてもオレはぞわっとした。
「そのグッズ、せな先輩でもあげませんよ」
「いらんわ」
オレの視線がこいつの目には物欲しそうに見えていたらしい。
心外だ、即否定してやった。
「おまえ、ちょっとこの部屋やりすぎじゃないか?」
部屋の中を歩き回る。
一人部屋のはずなのに普通に『移動する』って感覚がある時点でおかしい。
オレの体が小さいのを差し引いても広すぎる。
視線を流していくとまた変なものが目に入った。
「冷蔵庫まで置いてるのかよ」
何も考えずに扉を開ける、ひんやりとした空気が流れ出た。
中に手を伸ばして適当に一本取り出す。
ミネラルウォーター。
キャップを軽く回しながらもう一度冷蔵庫の中を覗く。
……水しかないぞ。
「いいじゃないですか、全部私のお金ですよ」
「バイトでも始めたのか?」
「それを売ってるんですよ」
雫がすっとオレの手元を指さす。
「コレ? どういうことだ?」
持っていたボトルを軽く振る、ちゃぷんと軽快な音が響いた。
「水を作ってるんですよ」
その一言で思わず舌をべーっと出した。
「あー! 失礼ですね、汚くないですよ! 私の魔法ですって!!」
「えー? 宗教とか始めてないだろうな?」
「そこまで思想強くないです」
ならいいけどな。
ポスっと部屋の中央のソファに身を沈める、無駄に上質だなコレ。
ポスポスと軽く弾んでみる、楽しい。
ふと視線を上げると雫がこちらを見下ろしていた。
こいつ、オレをもてなす気ないな?
「ところで先輩は私の部屋に目的があって来たんじゃないんですか?」
「おまえの様子を見に来たんだよ、怪我は大丈夫かなって」
『あぁ、そうなんですね』と雫はおもむろに上着の袖をまくり上げる。
「綺麗さっぱり治ってますよ」
さらりと言って腕を差し出す。
ついでに前髪をかき上げて額まで見せてきた。
オレは腰を下ろしたばかりのソファから立ち上がり彼女に近づく。
手首をそっと取って確かめるように指を滑らせた、かつて傷があったはずの場所。
そこをなぞるように、ゆっくりと。
指先に触れるのはなめらかな肌の感触だけだ、あれだけの戦いの後とは思えないくらいに。
「くすぐったいですよー」
からかうような声、けれど手は振り払われない。
真剣に見ていたのが伝わったのかオレの指がなぞるまま雫はじっとしていた。
「雫、ありがとう」
「先輩こそ、無事でよかったです」
雫の手がそっとオレの頭に触れた。
撫でる。
ゆっくりと確かめるみたいに、そのままされるがままになる。
「オレ、お前に会えてよかったよ」
視線が少しだけ遠くなる、初めて会った日のことを思い出した。
あのときもこいつはボロボロの状態で、それでもオレのことを優先していた。
「なら。私のお願い、聞いてくれますか?」
声が近い。
少しだけ甘さを含んだ響き、脳が痺れそうになる。
「……なんだ?」
「私と、キスしてください」
一瞬、時間が止まったみたいに静かになる。
視線が引き寄せられる、唇へ。
そしてオレは……、
「ダメだ、性描写タグをつけてないからな!」
空気ごとぶった切ってやった。
視線が雫とぶつかり合う、どちらからともなく噴き出した。
「メタ発言はやめてくださいよー」
「まったく。おまえも赤里ちゃんも、オレを見る目が最近変だぞ」
つい先日の光景が脳裏をよぎった――あの狩る側の目。
思い出しただけで、ぶるりと背筋が震える。
自分の行動を振り返る。
距離が近いのは自覚してるしスキンシップも増えてる。
そう考えれば原因はこっちにある気もするが――
だけどいきなりあれは怖すぎる!
「ところで先輩、最近特に魔石を集めてるんですね」
雫が話題を切り替える。
くるりと椅子を回し机の方へ向き直った。
机上に置かれていた魔石を一つ手に取り指先で軽く弾くように上へ放る。
ふわりと浮いたそれがゆっくりと落ちてくる。
雫の魔力が込められた青。
内部に揺れる光が部屋の照明を受けて淡く反射する。
「あぁ、これから必要になるからな」
「先輩が、ですか?」
「いや……この世界にだよ」
少しだけ間を置いて答える。
雫の言う通りオレはフラウさんに頼んで魔石を集めてもらっている。
理由は細かくは話していない、あまり心配させたくないからな。
それでもみんなは何も言わずに協力してくれている。
オレが今考えていること、それは――
この世界の人々への恩返し。
世界に牙を向けてしまったオレにもう一度居場所をくれた人々。
ライブの光景が浮かぶ。
歓声、銀の光、手を伸ばしてくれた人たち。
あの人たちがずっと笑顔でいられるようにする。
今はそのための準備期間、魔石を軽く指で弾くと小さな音が鳴った。
今となっては魔物が単体で現れたとて魔女の敵ではない。
まぁ以前の敵を操るようなのが現れないとも限らないが。
「あれ以来、だいぶ平和になりましたけど」
「ずっと平和にするためだよ」
「含みのある言い方ですね」
「ラスボスっぽいだろ?」
軽く笑いながら窓際へ歩く。
外から差し込む光が強くて視界が少し白む。
振り返ると逆光の中で雫が目を細めていた。
その輪郭だけがやけにくっきりと見える。
「これから当分の間日常回が続くけど、オレたちに付き合ってくれよな?」




