第一章 夜市
最初に戻ってきたのは、光ではなく音だった。
低いざわめき。
硬いものが触れ合う音。
そして、聞き慣れない男たちの声。
七尾ひなたは、ゆっくり目を開いた。
暗い。
床に横たわった七本の尾が、重なるように身体の周りへ集まっている。艶やかな黒い毛並みは、薄暗い照明さえ青紫に弾いていた。
「……せな?」
隣に白い影があった。
御影せなは、すでに目を覚ましていた。光の薄い場所では、白銀の髪も二本の尾も、その輪郭の端から床の影へ滲んで見える。
「いる」
短い返事だった。
その声を聞いた途端、ひなたの七本の尾のうち一本がするりと伸びた。
本人が意識するより先に、せなの足元へ落ちた影へ重なる。
せなが視線だけを落とした。
「……またそれ」
「え?」
「なんでもない」
周囲を見回す。
見覚えのある顔が、暗がりの中にいくつもあった。
全員いる。
それだけを確かめて、一瞬だけ胸が緩む。
すぐに、それがおかしいことに気づいた。
最後に覚えているのは、月に一度の外出日の帰りだった。
人間社会から距離を置き、希少種たちが人目を避けて暮らす居留地。外からは半ば伝説めいて「隠れ里」と呼ばれることもある、その場所へ戻る車の中。
そこまでは覚えている。
その先がない。
「ここ……どこ?」
返事の代わりに、正面で何かが動いた。
黒い布。
いや、幕だった。
左右へ引かれていく。
眩しい光が雪崩れ込んだ。
ひなたは反射的に目を細める。
その向こうにあったのは、知らない顔ばかりだった。
階段状に並んだ客席。
酒を片手に座る者。
無言で手元の端末を操作する者。
こちらを指差して笑う者。
何十、何百という視線が、鉄格子の内側へ向けられている。
せなが客席を睨んだ。
「……なに、あいつら。気持ち悪い目してる」
ひなたはそこで初めて、自分たちを囲んでいるものが檻だと理解した。
ステージ脇の巨大な表示板に文字が浮かぶ。
LOT 47
その下に、十人分の簡素な情報が並んでいた。
種族。
身体的特徴。
推定希少度。
ひなたは自分の欄を見つけた。
九尾狐/現尾数七/市場価値S
それだけだった。
名前すらない。
居留地では、七本の尾も、妖精の羽も、雪女の低い体温も、ことさらに見世物にはならなかった。
種族も性質も違う者たちが、同じ場所で暮らしている。
ただ、それだけのことだった。
外の世界では違う。
希少種の存在自体は知られている。それでも居留地が場所と住人の情報を極力伏せてきたのは、「保護」や「研究」という言葉の裏側で、彼らを蒐集品として見る者がいることも知っていたからだ。
今、その警戒が目の前で値札になっていた。
客席正面の男が立ち上がる。
「今夜の最終ロットです」
よく通る声だった。
熱狂を煽るような叫びではない。むしろ事務的なほど落ち着いている。
「同一居留地より確保された十個体。種族、形質ともに重複なし。市場での流通例がほぼ確認されていない個体を複数含みます」
ひなたの尾が一斉に身体へ寄った。
同一居留地。
確保。
十個体。
自分たちについて話しているはずなのに、人へ使う言葉には聞こえなかった。
表示板の下部に数字が現れる。
BIDDING OPEN
直後、金額が跳ねた。
一度。
間を置かず、もう一度。
客席から声は上がらない。
端末を操作する指と、表示板の数字だけが動いている。
紅城りんが鉄格子へ一歩近づいた。
「おい。ふざけんなよ。誰が商品だ」
誰も答えない。
数字だけが上がる。
また上がる。
綺羅星ななの鎖骨に浮かんでいた七つの星紋から、淡い光がすっと引いた。
少し離れた場所では、深森いぶきの灰色がかったオリーブ髪に混じる葉が、青緑から薄い青紫へ変わり始めていた。
「いぶき、葉っぱ……」
「……怖くない」
「まだ何も言ってないよ」
いぶきは黙った。
葉の青紫だけが、少し濃くなった。
やがて数字の動きが鈍る。
競売人が客席を見渡した。
「他には?」
誰も動かない。
その時だった。
最後列から、短い声が落ちた。
「一兆」
表示板の数字が止まった。
客席のざわめきも、同時に消えた。
一兆。
正確には、それに相当する資産。
ひなたには、その金額がどれほど異常なのか実感できなかった。
ただ、さっきまでこちらを眺めて笑っていた人間たちが、一斉に黙った。
それだけで十分だった。
会場の人間にとっては、勝負を終わらせる金額だった。
檻の中の十人にとっては、自分たち全員にまとめて付けられた値段だった。
誰がいくらなのかという区別すらない。
十人まとめて、一つの商品。
ひなたの黒い尾の一本が、もう一度せなの影へ深く重なる。
せなは何も言わなかった。
二本ある白い尾の片方だけが、ごく僅かにひなたの尾へ触れた。
競売人がもう一度、客席を見渡した。
「他に入札は?」
返事はない。
しばらくして木槌が鳴った。
十人は、その買い手に一括で落札された。
落札者――のちに屋敷のオーナーとなる人物は、支払いの手続きを済ませた。
競売人が落札証明を確認する。
「十名、一括でのお引き渡しとなります。以後の用途について、当方は関知いたしません」
返事は短かった。
「それでいい」
十人それぞれの資料が渡る。
オーナーの視線が、一枚ずつ落ちていく。
種族。
外見的特徴。
得意分野。
性格についての簡単な記録。
最後に、十人全員が写った一覧へ戻った。
「同じ条件に置いた方が、違いはよく分かる」
「条件が違えば、結果に言い訳ができるからな」
何の違いを見ようとしているのか、競売人は尋ねなかった。
十人はそのまま屋敷へ連れて行かれた。




