第20話 意外とメンタル強めな子
鬼ごっこの翌日。
レティシアは、いつもどおりギルドに併設された訓練場に立っていた。
朝の澄んだ空気が肺に心地いい。身体の調子も悪くない。今日は脚の動きを重点的に鍛えるつもりだった。昨日の街ナカ鬼ごっこで、自分の動きにもまだ伸ばせる余地があると分かったからだ。
――の、はずだった。
「レティシアちゃーん!」
背後から、聞き覚えのある声が飛んでくる。
嫌な予感がして振り返ると、案の定そこにいた。
マールだ。
両手をぶんぶん振りながら、小走りで近づいてくる。その顔は、昨日と同じ――いや、それ以上に嬉しそうだった。
(……また来たわけ?)
レティシアは、無意識に額に手を当てた。
「今日はね、一緒に遊ぼうって思って!」
訓練場という場所も、レティシアの予定も、まるで眼中にない調子で言う。
「ちょっと待ちなさい。アタシ、これから鍛錬なんだけど」
「……そっか。じゃあ、マールもする」
あっさりそう言って、マールは少し離れた場所で腰を落ち着けた。
深く息を吸い、吐く。
次の瞬間、薄い結界が、静かに展開された。
派手さはない。
光も、音も、ほとんど感じられない。
それなのに――消えない。
足元を包み、身体の輪郭に沿うように、結界はぴたりと張り付いていた。
(……まぁ、邪魔しないならいいけど)
そう思って、レティシアは自分の鍛錬に意識を戻した。
地を蹴る。
踏み込み、跳躍、着地。
脚に負荷をかけ、何度も同じ動きを繰り返す。拳も振るい、呼吸を整えながら全身を動かした。
どれくらい時間が経ったのか。訓練場に差し込む陽射しが、じわじわと強くなっていく。
やがて太陽が頭上へ昇り、昼近くになったころ。レティシアは一度動きを止め、額の汗を拭った。
そのとき、ふと気づく。
――隣にいるはずのマールが、微動だにしていない。
視線を向けると、マールは同じ姿勢のまま立っていた。結界は、まだ張られている。
最初と変わらない。
乱れも、揺らぎもない。
(……え)
思わず、目を細める。
つまりレティシアが鍛錬を始めてから、ここまで。マールは一度も休まず、結界を維持し続けていたのだ。
レティシアは、眉をひそめる。
魔法に詳しいわけじゃない。それでも分かる。魔法を“維持”するのは、集中力も魔力も食う。常に魔法を展開したり放出するなんて不可能。ベテランの魔導師でも数分が限界だ。
なのに、マールは。
呼吸を乱さず、表情も変えず、ただ結界を張り続けている。
(……なんなの、この子)
納得と同時に、ぞわりとした感覚が背中を走る。
弱いと思っていた。
守られる側の存在だと、決めつけていた。
でも――
(やっぱり、この子……異様だわ)
レティシアは、拳を下ろした。
これ以上鍛錬を続けても、どうせ集中できない。結界を張り続けるマールの姿が、視界の端から離れない。
小さく息を吐いて、言った。
「……分かったわよ」
マールが、ぱっと顔を上げる。
「お昼、食べに行くから」
一拍。
「その……付き合いなさい」
「え……?」
一瞬、きょとんとしたあと。
「うん!」
マールは満面の笑みで頷いた。
「じゃあ、街行こ! カルデサック、いっぱい美味しいところあるよ!」
駆け寄ってきて、勢いよく手を取られる。
「ちょ、ちょっと……!」
引っ張る力は弱い。
でも、迷いがない。
振りほどこうと思えばできた。
それでも、しなかった。
気づけば、二人は訓練場の外に出ていた。
そしてカルデサックの街は、いつもと変わらない賑わいを見せていた。石畳の通りを歩きながら、レティシアは内心で舌打ちする。
(……なんで、こうなってるわけ?)
隣を歩く小さな影に、ちらりと視線を向けた。
マールは、少し後ろをちょこちょこと歩いていた。歩幅を合わせようとしているのか、時折ぱたぱたと足を早める。その顔は、どう見ても上機嫌だ。
口元はゆるみ、目はきらきらしている。昨日まで命懸けの鬼ごっこをしていたとは思えないほど、無防備で、嬉しそうだった。
(勝ったからって、急に距離が縮まるのおかしくない?)
思わず、肩に入っていた力を抜く。
友達になるかどうかは「考えてあげる」と言っただけだ。決まったわけじゃない。約束したのは、あくまで“候補”までだ。
(そもそも“友達”ってなにをすればいいのよ……)
具体的に何をすればいいのかも分からない。
街を一緒に歩くこと? 会話をすること? それとも、ただ隣にいればいいのか。
分からなさすぎて、落ち着かない。
レティシアは無意識に、歩く速度を少しだけ上げた。だが、すぐ後ろから小さな足音が追いかけてくる。
「レティシアちゃん、はやい……」
息を弾ませながら、マールが声をかけてくる。
「遅いのが悪いのよ」
ぶっきらぼうに返すと、マールはなぜか「えへへ」と笑った。
「じゃあ、手をつないでもいい?」
「……っ!? す、好きにしなさいよ」
それが、どうにも調子を狂わせる。
(……意味わかんない子)
初めて会ったときの印象が、脳裏によみがえる。
弱くて、頼りなくて。
なぜ危険な場所にいるのかも分からない、理解不能な子。
正直、足手まといになる未来しか見えなかった。
――それなのに。
今、こうして並んで歩いているこの子は。
転んでも立ち上がり、追いつけない相手を追い続け、最後には自分に触れてきた。
理解不能なのは、変わらない。
けれど。
(……目が、離せない)
気づけば、マールがちゃんと隣にいるかどうかを、何度も確認している自分がいた。
突き放す理由を探してみる。
でも、昨日みたいに拒む言葉は、もう浮かんでこなかった。
レティシアは、小さく息を吐く。
(……ま、いいわ)
どうせ、今日一日だけ。
友達候補が何をするのか、確かめるだけ。
そう自分に言い聞かせながら、彼女は歩き続けた。
本当は未体験のことに、レティシアも“ちょっとだけドキドキしている”ことには――まだ、気づかないふりをしたまま。




