新しい巫女の選出
それからも蓮瑛の体調不良は悪化していった。
朝起きることも辛く、食事も喉を通らない。それでも全身の力を振り絞って神殿に向かう日々が続く。
そして一月が経ち、神殿に新しい神託が下りたという知らせが皇宮に届く。
巫女の選出は、前任の巫女の力に衰えを見せた時、神殿が行う神託の儀によって行われる。亀甲に直接火をかけ、その傷によって神龍の意志を問うのであった。
この時代において、亀甲を用いた卜占は既に廃れてしまっていたが、神龍はこの方法でしか人々と交信することは叶わなかった。儀式に使用される亀甲が、神龍が龍華国初代皇帝に下賜したものだという話は、あながち夢物語では無いのかもしれない。
蓮瑛は知らせを聞いた瞬間、崩れ落ちそうになった。心の中で希望を抱いていた彼女は、新しい巫女の出現に深い失望に包まれたのだった。
同時に役目から解放される喜びも芽生えたが、ついに神殿の者達だけでなく、自分を見初めてくれた神龍にさえ見捨てられてしまったのだと思うと、心が苦しくてならなかった。
涙が零れる。巫女としての役目を果たせない自分への憎しみと、不安が入り混じる感情に苦しむ。自分の力が及ばないことを嘆き、成す術もない絶望感に身も心も引き裂かれそうだった。
新しい巫女にまつわる噂も、否応なしに蓮瑛の耳に届いた。
新しい巫女の名は香蘭。彼女は皇帝の補佐たる丞相の娘だというのだ。蓮瑛の前任の巫女は下級貴族の出身、更にその前の巫女は平民であったが高位貴族の御落胤という噂があった。
対して、蓮瑛は裕福だが平民の商家の出。しかも、孤児になりそうなところを容姿を買われて引き取られた養女であった。いずれは政略結婚の駒として、顔も知らぬ相手に嫁がされるような境遇だった。
「やはり神龍は間違えて下賤な者を選んでしまったようだ」
と、宮廷雀達は嗤い合っている。
蓮瑛は自らの境遇を皇宮で話したことはないが、人の口に戸は立てられない。人の不幸を嘲笑うのが趣味な彼ら達にとって、彼女の境遇もまた娯楽の一つに過ぎないのだ。
新しい巫女が選ばれたことで、蓮瑛は神殿への出入りを禁じられた。
神託の後に歴代の龍の巫女に与えられた部屋から追い出され、皇宮の片隅の客間に追いやられることになった。以前の部屋とは対照的に、地味で控えめだった。狭く、窓から差し込む光も少ない。
彼女は窓の外を見つめ、項垂れた。この待遇の落差こそが、自分への評価なのだと突きつけられ、寂しさと無力感が心を支配したのだった。
そしてそんな自室からすら出ることも許されなくなかった。食事も一日に一度、下女が運んでくるだけ。
侘しい自室に閉じ込められる日々が蓮瑛を押し潰そうとしていた。
窓の外から差し込む柔らかな光は、新たな巫女による恩恵なのだと気づかされて落ち込む毎日。蓮瑛は孤独な時間を持て余し、けれど何をして良いのかも分からず、これまでの日課であった神龍への祈りを捧げていたのだった。
早く皇宮を出て行きたいと半ば投げやりな気持ちでいた蓮瑛だったが、龍の巫女としての役目を失ったその日から不思議な変化を感じ始めていた。体調不良が少しずつ良くなっていったのだ。
かつて重く感じた体の疲れも日に日に軽くなり、倦怠感が襲ってこなくなった。やはり無能の体に神龍の加護は重過ぎたのだと自覚することとなり悲しかったが、重圧からの解放された喜びもあり、蓮瑛の心は複雑だった。
「神龍よ。私はどうして力を上手く使えなかったのでしょう?無能な私をどうして選んだのですか?」
蓮瑛は空に向かって問いかけた。けれど答える者はいない。
力の使えない、手の甲に浮かぶ蓮の痣だけが彼女が龍の巫女であったという証。惨めだった。
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ある日、厳かな音色の鐘が響き渡る。ほとんど同時に扉が開かれ、蓮瑛が驚いて目を開けると、皇宮の女官が入って来る。
「蓮瑛様。本日は蒼天殿で行われる新しい龍の巫女の任命の儀にお参りいただくよう命じられました」
女官の声は淡々としていて感情を含まない。
「その、支度を……」
「構いません。蓮瑛様はそのままで結構です」
任命の儀に参列するのならば、前任の巫女として相応しい服装で臨むべきだろうと蓮瑛は考えたが、女官の返答は冷たかった。
蓮瑛は諦めるように深いため息を吐き、侍女に案内されるまま蒼天殿に向かった。
蒼天殿は龍華国の宮殿群の中で、最も荘厳で壮麗な建物であった。
ここは皇帝自らが国政を執る場所であり、龍華国の権威と格式を象徴する場所であった。壮大な玉座の周りには高官達が列座し、国の重要な会議や儀式が執り行われるのである。
重厚な扉は黄金の彩色の装飾で飾られており、龍の文様が刻まれた大理石の柱が続く門廊に迎えられる。中に入ると高い天井が青く塗られ、龍の彫刻や絵画が壁面を彩る。彫り込まれた龍が、迫力ある姿勢で空を舞い、勇壮な風格を感じさせた。
蓮瑛は二年前の任命の儀を思い出し、まるで昨日のことのように懐かしさを覚え、そして一抹の寂しさを感じた。