episode.45 #願い
やっと高波が落ち着きはじめたのは日の出が上がる頃だった。
港は船も岸壁もめちゃくちゃに壊されてしまった。
人的被害も多数でた。夜の沖に出ていた船は……船員もろとも海底に沈んでしまった。
こうなってしまえば亡骸を引き上げる事も難しいだろう。
エルザは息つく暇も無く、怪我人が運び込まれているであろう場所を目指した。
そこは港から離れ、ギリギリ水害を受けなかった小さな公園だった。
アルノルトがここで指揮を取っていると思って来たのだが、そこでエルザは信じられないものを見た。
「嘘………嘘でしょ…?」
濡れた隊服を脱がされ、ありったけのタオルや毛布で包まれたアルノルトは、静かにそこに横たわっていた。
吐き気を催すほど心臓が高鳴って、エルザはミキからほとんど落ちるような形で地上に降り立った。
「ア、アルノルト様…!?」
駆け寄って声をかけてもその瞳にエルザを映してくれない。唇も青紫でピクリとも動かず、その姿にとてつもなく恐怖を感じる。
近くにいた騎士兵が声をかけてくれた。
「馬鹿な船乗りを庇って海に落ちたんだ。波が高くてすぐに引き上げられなくてな……。幸い、息は吹き返したが意識が戻らねぇ。」
「そんな………」
こんな時に海に近づく馬鹿なんて放っておけば良いのに。
青白い顔のアルノルトを見た後の記憶が朧にしか残っていない。
ヨハンやファビオに声をかけられて、アレックスとも合流して……それで、確か…アレックスがアルノルトを抱えて、一足先に王宮に戻ってきた………。
「!?」
エルザはハッと顔を上げた。気を失っていた…。
目に映る壁や家具の全てが上質なもので、ここはどこだったかと思考を探る。
そうだ、ここは王宮だ。そしてアルノルトの部屋。
ベットに横たわるアルノルトはまだ目を覚ましておらず、あの出来事が夢では無かったと無慈悲にも伝えてくる。
唯一の救いはアルノルトが自力で安定した呼吸をしているという事だけだった。
脳がどれだけのダメージを負っているか医官にも分からず、待つ以外にできる事は無いと言われた。
エルザがここにいる事はエラルドが融通を通してくれた。
これでエラルドとは完全に貸し借り無しというわけだ。
エルザはアルノルトの手をずっと握っていた。初めのうちは冷たかった体温も、今は布団に温められ、しっかりと熱を感じる。
こんな事になるなら、帰省をずらしておけばよかった。
そんな後悔をしてもどうにもならないと分かっていても考えずにはいられない。
アルノルトは騎士兵だ。体は鍛えてあるし、無駄な動きもなく、力も強い。それにアルノルトはこの国の王子だ。
だから、無意識に安心していた。
彼がこんなにも危険な目にあうことは無い、と。
エルザはため息が止まらなかった。
もっと近くにいればよかった、もっとはやく港にたどり着けたらよかった、危ない事をしないようにもっと釘を刺しておけばよかった………
もっと、好きだと言えば良かった。
王宮に戻る時、アレックス1人にアルノルトを託して、エルザはあの場に残った方がよかったのだろうが、アルノルトと離れたくないという自分の感情をどうしても譲れなかった。
これほど離れ難く、これほど身を案じるのは、好きだから以外に理由は無い。
「置いていかないでよ…」
「………」
「アル様が、私を追いかけるんでしょう?これじゃ、逆じゃないですか…」
「………」
「これからは、きちんと好きだと伝えるから…もう待たせないから…」
「………」
泣きたいのに、不思議と涙は出ない。
何を言っても返事は無く、ただひたすら静寂にエルザの声が飲み込まれていく。
「返事をしてよ、アルノルト………!!」
静かに、叫ぶような、たった一つの願い。
目をつぶってぎゅっとアルノルトの手を握りしめていた、その時だった。
「ーーーーー」
「!?」
吐息のような、声にもならない声が耳を掠めて、エルザは顔を上げた。
なによりも願った事………
ゆっくりと、ぼんやりした瞳で、アルノルトが目を覚ます。
「エルザ…………」
普段とは少し違う、アルノルトの掠れ声。
エルザは喜びが言葉にならず、浅い呼吸を繰り返していた。
アルノルトの唇が動いて、次の言葉を紡ぐ。
「愛してる」
途端にエルザはまだ横になったままのアルノルトに容赦なく抱きついた。
乗り上げたと言ってもいい。
アルノルトは苦しかったのか「うっ…」と小さく声を漏らしたような気がするが、エルザがそこを退くことは無かった。




