episode.11 #珍
ヒュンヒュンと普通の人ならば聞き慣れないような紐で繋がれた音の出る道具をエルザはぶんぶん振り回していた。
魔獣師の間では音従具と呼ばれている。
この音は日常的に聞いている魔獣師は別として、普通大人になるにつれて聞こえなくなっていくモスキート音と呼ばれるものに似たものだ。
「ニー…」
ユーキの調教を始めてから数日。
まだ道具を必要とするものの、決まった合図を出せば言うことを聞いてくれるようになりつつある。
「ご飯ね。悪いけど私は母親のようには甘やかさないよ。お前に親はいない。1人で食べないと生きていけないよ」
生後1年〜1年半頃まで、離乳したてのこの時期は特に、食べ物は親が口の中で噛み砕いて吐き出したものを食べる。
けれどユーキにはその親がいないので、食べ物はお湯でふやかした物を与える。
人の言葉が分かるとは思っていないけれど、エルザは言葉ではユーキに比較的キツく当たっている。
「ニィー…」
生意気にもユーキはそんなエルザの人となりをこの数日で理解したかのようにムシャムシャと1人で餌を食べる。
『別に1人で食べれるし』と言わんばかりだ。
そんなユーキをエルザは何よりも優しく愛情を持って撫でる。
「いつもながら、言葉と動作が見合っていないね。」
起きて寝室のある2階から階段を下りながらアルノルトが言う。
アルノルトは寝起きが悪いとは自分では思わないが、いつもエルザよりは遅かった。
自分が遅いのでは無く、エルザが早すぎるのだと言う事にしている。
「おはようございます。早いですね」
「いつも君の方が早いけどね。何か、音が聞こえていつも起きているんだ」
「……………音」
声が聞こえて、と言われればエルザは何も気にしなかった。
何かを考えるようにピタリと動きが止まったエルザをアルノルトは黙って見ていると、今度は何かを思いついたようにサッと動くのを目で追う。
エルザはいくつか使い分けている音従具の一つを手に取ると、まっすぐにアルノルトを見たまま笛のように吹いた。
アルノルトに変わった様子はなく、強いて言うなら何をしているのかと眉間に皺を寄せる程度だった。
これじゃない。
エルザは別の音従具を持ち替えると、紐を握り、今度はぶんぶん振り回す。
この音が鳴ったら、音の鳴る場所に来るように躾けているので、ユーキが反応してエルザの足元にやって来る。
そしてーーー
「ああ、その音だ。何だろうとは思っていたんだけど、君の道具だったんだね」
「!!」
まさかと思って試したものの、本当に!?と信じられない心地でいるエルザ。
本来なら、人間に聞こえる音域では無い。
アルノルトが普段からこのような音に馴染みがあるとは思えない。その証拠に一つ目の音は聞こえていないようだった。
なぜか、特定の音だけは聞き取る事ができる、という事か。
「アル様は……歳はいくつでしたっけ?」
「…?22だけど」
アルノルトはエルザの唐突な質問に首を傾げながらも答えた。
兄のヨハンより2つ上。
やはり、本来なら聞こえるはずが無いのだけれど…。
『呼び立てておいて何も無いのか?』と足元ではユーキが靴に爪を立てている。
そんなユーキに視線を落とすと、エルザは少し屈んで首根っこを掴むとひょいと持ち上げ、餌の入っている器の前にポトリと落とした。
その様子を見て、アルノルトはコーヒーを淹れながら言う。
「雑なのか丁寧なのか、よく分からないね。君の動きは」
「この音、聞こえてるんですね」
話が噛み合っていない事にアルノルトは首を傾げた。
「これは魔獣を調教する初期段階で使う道具です。特殊な音が鳴ります。魔獣には聞こえますが、ほとんどの人間には聞き取れないはずなんですけど…凄いですね」
「凄い……のかな?でも、君には聞こえているんでしょ?」
「私は魔獣師なので。………まぁ、聞こえたところで何だと言う話ではありませんけど」
「落とすなら持ち上げないで欲しかったよ。少しでも君に近づけたかと思って嬉しかったのに」
「最終的には使わなくなりますから。」
野生の魔獣を誘導するときには使うけれど、調教を終えた魔獣はいずれ必要無くなる。
ミキにこれらの道具を使っていないのがその証拠だ。
とは言っても一般人で音が聞こえるという人に初めて会ったので、エルザは物珍しいものを見つけたとアルノルトのことをまじまじと見入ってしまっていた。
「そんなに見つめられると照れるな。僕の顔に何かついてる?それとも、見惚れていた?」
そう言われるとあまりにじっと見過ぎていた自分が恥ずかしくなってきたエルザはアルノルトから視線を外した。
「いえ…別に………」
顔が赤くなっているかもしれない。
こういう時、仮面をつけていれば全て隠せるのに、と思わずにはいられなかった。




