-6sone 不在票
微睡みの世界で身を寄せる場所がなく、寮の自室に帰り着いた。
そして、扉を押し開けた瞬間、近い未来に泣きたくなる予感がして胸が塞いだ。
――こういうの、72%くらいの確率で当たるんだよね……。
眠りから覚めた十並マコトはぬるくなった水のボトルを手に取り、辺りを見回す。
静まり返った部屋からは清高の気配が欠けていて、暗いリビングにひとりきりだった。
告知なしで置いて行かれた悲しさを裏返して、清高に怒りたい気分だ。
事件の行方が気になって窓の外を覗いてみたが、夜の闇に包まれていて何も見えない。
期待していたような連絡はなかったが、セルラに宅配サービスの通知が転送されていた。
留守だったため、修理に出していたパーカが寮のロッカーに預けられているらしい。
――清高遅いし、荷物受け取ってMNSでも行こうかな。……少しなら外出ても大丈夫だよね。災害起きたりしない限りこんな時間に点呼ないじゃん。
・
いつの間にか、あの日と違う道を辿って灰色のフェンス街に来ていた。
吸い寄せられるように水面を眺めていたけれど、この鉄柵のせいで飛び込むことができない。
寄りかかると、命の重さを受け止める金属の軋みが確かに聴こえた。
――生まれなければ死ななくて済むのにね。
夜風に晒され冷たくなった手を懐かしいポケットに入れる。
帰還したパーカはプロの技で完璧に修復されていた。右胸にできた、中指と同じ長さの負傷部位が糸で綴じられ、紺のエンブレムが圧着してある。思い遣りの感じられる処置だ。
廃色のオレンジだけはもう手に入らないと知って、どうしても諦める決心がつかなかった。
緑地公園に場所を移してシニカルな暗算を煮詰めていると、生命感の希薄な靴音が近づいてきた。
待望の清高だ。ベンチに横たわって死んだふりをする。
「……十並。何やってんだよ」
暗がりで顔があまり見えないけれど、随分と不機嫌そうだ。
「だって物騒な事件あったのに遅すぎるから」
「勝手に出歩くな」
「ごめんごめん。でも、行動のエラーはハートの副作用じゃないかな。人類って意外とかわいいよね」
清高は何も言わない。街灯の明かりを避け、深い闇の奥で立ち尽くしている。
知られてはいけないことをしていたのかもしれない。平常心を保てるかはわからないが、残酷非道な内容だとしても打ち明けてほしかった。それが未来を救い合う唯一の手立てだ。
ベンチから起き上がり、清高を迎えに行く。
距離を詰めると、彼は一歩下がって身を引いた。
「どうしたの? 逃げたいの?」
からかうつもりで腕を掴んだ途端、苦しげな呻き声とともに突き飛ばされた。
すぐに体勢を立て直す。無抵抗な両手を晒して、潔く降参しなければ。
「今のは僕が悪かった。秘密にしたいことは黙ってていいからさ、適度に状況話してくれると有り難いんだけど……」
完全に黙秘だ。解き明かすことのできない迷宮が目の前に佇んでいた。
「清高に精一杯やさしくする。それならいいでしょ? 何聞いてもやわらかく受け入れるよ」
「……嘘だ」
音を立てず雲が流れ、罪を探し当てたように月の光が降り注ぐ。
清高は、透明な夜の色と重ねて見ても、痣と傷と掠れた血の跡で酷い有様だ。一度死んだと言われても驚かない。
「嘘じゃないよ。信じてくれないの?」
否定も頷きもしなかったが、彼の細く込み入った内部を破壊してしまうのが怖くて追及の意志を挫かれた。
噛み合わない歯車に痛みを覚えながらも、真夜中のスリルと絶大な解放感に唆され、このまま帰ってはいけない気がした。
「まだ動けそうならつき合って。ディサイダー調達してくる」
・
公園の水で顔を洗った清高を連れてMNSへ向かう。血の気の失せた面差しに黒いシルエットが効きすぎていて、暗殺に失敗したアサシンみたいだ。
多くの店が眠りに就く中、藍色の街角に光が集まっている。
「おい、十並!」
ほぼ同時に異変に気づいた。悲鳴を上げて走り出してくる少数の市民。非常事態のざわめきに、ガラスを叩き割る耳障りな音が続く。
「また襲撃されてる……?」
あり得ない。最悪だ。
しかし、逆に考えれば願ってもない好機。
パーカを取り戻した直後というのは運命としか思えない。
窓越しに映る犯行グループの暴挙。蘇る記憶。
感情が即座に切り替わる。裏でも表でもない奇妙な感覚。
「石とか投げてもいいよね!」
「やめろ、引き返すぞ」
「無理!」
フラッシュバックの残像に酔いそうだ。
あの夜の出来事は忘れていない。強盗の登場で隣にいた女性が騒ぎ始め、彼女を解放しろと意見した刹那、容赦なく切りつけられた。
――進級試験終わったからって深夜にショッピングしてた僕も悪いけど。
その際、予め緩んでいたらしいナイフが攻撃の圧力で折り畳まれ、握り締めていた犯人に鋭利な災厄が降りかかった。
薄い皮膚に繋がれ、意味不明に回転する血腥い指たち。
奴らは慌ただしく悪事を済ませ、負傷者を連れて撤退した。
そして、犯人逃走後に現れたポリス。偶然近くを警邏中だったと嘯いていたが、怪しさが半端ではない。作り込まれた聴取の最中、恐怖に駆られて裏口から抜け出した。
流血する胸を庇いながら、夜のフェンス街を全力疾走。
寮の部屋に辿り着く頃、高台からストアの方を振り返ってみたが、他の警察職員が到着した様子はなかった。皆、ポリスの制服に騙されている。あの男が正犯だ。
ざっと経緯を告げた勢いに乗せ、パーカの縫合痕に敵意を絡ませる。
「中も見たい? 傷、白っぽくなったけど今も残ってるよ」
「興味ない。帰るぞ」
「許せってこと?」
「そうじゃない」
露骨に面倒事扱いだ。彼の抱えている案件とは方向性が違うのだろうか。
「もっと励ましたり応援したりしてよ」
「明日にしてくれ」
清高はこちらに背を向けて歩き始めた。
「えっ、僕のこと置いてくの? インク切れたペンみたいになって死んじゃうかも」
「おまえの命だ。好きにしろ」
冷たすぎる。死んでも構わないという意味なのか。
微かにでも、心情を察してくれることを望んでいただけなのに。
「待ってよ」
声をかけても彼は振り返らなかった。誰にも似ていない後ろ姿に、馴れ合わずに進む覚悟が刻まれている。
初めからそうだった。
清高は孤独に耐性があるのだろう。切ないけれど最高に素敵だ。
――僕とは違って、本当はひとりになりたかったんだね。邪魔しちゃってごめんね。
堰き止めた涙が内側に流れ込む。立っているのが辛くて、何かにしがみつきたくなる。
遠く、揺れる清高の手首から下がシリアスな色艶に覆われていた。爪を通って不規則に滴る鮮血。
足元に視線を落とすと、黒ずんだ赤の斑が道なりに散っていた。彼の輪郭が闇に溶けても、これを辿れば容易に追跡できる。
しかし波風を抑えられない今、追いかけたら取り返しのつかない言葉を口にしてしまいそうだ。
やがて角を曲がる直前、清高が不意に足を止めてこちらを向いた。痛みに限界を突き破られて気が狂ったとしか思えない、穏やかでやさしい笑みを浮かべている。
――だめだって清高。
少しも情を捨てられていないではないか。冷酷な人間に変化するための階を上ろうとさえしていない。
――残念だけど僕は和解する気分じゃないよ。
清高がどうなろうと関係ない。
大人になれなくて、ささくれた感情をリセットすることができなかった。
時間を共有し、親しみを感じたからといって、相手にもそれを要求するのは身勝手だ。清高の優柔不断につけ込んで、悪い甘え方をしているのもわかっている。
けれど、こうなってしまったら仕方がない。一時の心火に振り回されて後悔するのは決定事項だ。
・
明かりも点けずにベッドへ身を投げた。
カバーが埃っぽくなっている。周囲も散らかったままだ。乱雑で、無秩序で、嫌になる。
清高の部屋はいつも、シンプルに片づいていて居心地がよかった。
――僕は誰にも気に入って貰えないのかな……。
叶うなら、上辺だけでも必要としてほしかった。
清高が自分を連れ帰ろうとしてくれていたことに気づいていながら、傷ついた心を主張したくて堪らない。寂しくて自滅しそうだ。
目を閉じると、荒んだ胸を激しく抉るクラブ系ミュージック。
真下の談話室で間違いない。
ビルの裏で膝を抱えることになったとしても、この部屋に戻るよりはましだった。
Tシャツの襟を乱暴に引き伸ばす。
すでにもう限界だ。身体中に拒絶反応が起こっている。一秒も我慢できない。
滲む汗に急かされ、清高の作った夕食を全部吐き出した。
トマト缶のスープが傷んだ喉に沁みる。
虚ろな意識を手繰り寄せ、ポケットのセルラを握り締めた。自分はおそらく、清高に謝りたかったのだろうが、行動に移す勇気が入院している。見通しも悲観的だ。
「たぶん返事くれないよね。疲れたからここで寝よ……」
バスルームの冷えた壁に上体を預ける。
永遠に頼り続けられるものなどなかった。
だから何もかも遮断してしまいたい。チャンスは今だけだ。
――こうして僕は壊れました。……明日から別の人格になるよ!
-6sone end.




