-5sone 不活性
十並マコトは、寝台に頬杖をついて清高の寝顔を見つめた。
取り留めのない時間の変遷。
薄明りの射す夜と朝の挟間で、ソリチュードと孤独を感じずにはいられない。
冷静に考えるとどちらも同じ意味だった。
本人が大丈夫だと言ったので寝かせておいたけれど、本当に平気なのだろうか。
清高の白い肌の向こうに移ろう傷を透視していると、もうすぐいなくなる人をフィルムに記録しているような気分になる。いつの間にか、どこにもない寂しい水辺に足を浸していた。
再び床に座り込み、ベッドの側面に背を預けて、読み進めてきた本を開く。次が最後の章だ。
血だらけの推理小説を捲り続けているうちに、窓の外で夜も殺されていた。
また暇になって寝顔を観察していると、清高が目を覚ました。長めの前髪がサイドに流れ、気怠くも色っぽい目元の線が顕わになる。
「……何時? 俺の部屋?」
清高は虚ろなまま毛布を捲り、ちらりと襟元を覗いた。
「え、ちょっと待って。待って。今、さりげなく服着てるか確認したよね!?」
「いや、別に……」
「着衣に乱れがないか真っ先に確かめてたよね!?」
寝起きで機嫌が悪いのか、彼は露骨に眉を寄せる。
「……頭が痛い。静かにしてくれ」
そう言い捨て、毛布を鼻の辺りまで引き上げて目を閉じた。
「ごめんごめん。見なかったことにする。……もっと寝てていいよ。まだ早いし」
持ち場を離れると、背後から声が掛かった。
「十並」
「マコトって呼んでよ」
「寝てないのか」
「そう見える? 清高が死なないように祈ってたんだよ。敬虔な自分に感動しちゃった。小さい頃から何も信じてないくせに……」
今の秘密ね、と人差し指を唇に添える。
・
今日は授業が昼からだ。そろそろストアが開くだろう。
「清高ー。食料とか調達してくる。必要なものあったら言って」
数秒待ったが、返事がないのを訝って寝室へ足を向ける。
――まさか死んでないよね……?
ドアノブに手を伸ばしたと同時に扉が開く。
現れた清高は衣装替えを済ませていて、もう昨日のジャージを着ていなかった。
潔癖っぽい雰囲気が『new arrival』の真新しい服にそっくりだ。
「俺も行く。ひとりで持ちきれないだろ」
徒歩圏内にある馴染みのホテル・カフェで、清高に無理矢理焼き菓子を食べさせて店を出た。
熱心に勧めても彼は四分の一ほどしか手をつけなかったけれど、飲食の所作に妙な気品があり、厳格な教育方針の家庭で育ったのだろうと思った。だからいつも、罪悪感に脅迫されているような暗い目をしているのかもしれない。
ふと隣を見ると、歩く横顔にまで憔悴の色がちらついていて、断らずに連れ出したのが申し訳なく感じた。
「車道側危ないよ。僕の予想だと、衰弱した清高は47%の確率で轢かれるね」
どこか投げ遣りに口の端を上げた彼の腕を引き、立ち位置を替わった。
視線を前に戻す。
前方から制服姿の女子グループが接近中。身体を折り曲げながら笑っていて愉快犯みたいだ。
彼女たちとすれ違う瞬間、清高が突然胸の辺りを抑えて下を向いた。
前髪が鈍い振り子のように一度だけ揺れる。
「どうかした? あの中にチェーンソー持って襲いかかってくる元カノいたとか?」
軽くからかってみたが反応がない。重症だ。
しかしここで、安易にレスQを呼ぶわけにはいかない。清高はメディカルセンターに収容され、健やかになるまで監視下に置かれるだろう。自由に出歩くことができなくなるはずだ。そうなればほぼ間違いなく、こちらは裏切り者として断罪される。彼に死んでほしくないが、心に傷を負うルートは避けたい。
「あ、公園あるじゃん。少し休も?」
ベンチが空いているか確認したくて一歩前へ出る。
刹那、左の袖に抵抗があった。引き止められた感触がすぐに消える。
振り返ると、清高が地面に両手を着いて、嗚咽を押し殺すように肩を震わせていた。
「脚、……が、動か、ない」
「えっ、足?」
フリーズする思考。鼓動が荒く胸を打つ。
側に屈み込むと、清高の睫毛の先から透明な雫が滴っていた。
立っていられなくなって、動揺と不安が欠壊してしまったのだろう。
――清高……。
内面の脆さを浮き彫りにする感情的な泣き方だ。あの夜の情景が思い出されて怖くなる。
厚みのない彼の背に手を遣ったとき、人は容易く死ぬという黒い幻覚に囚われて微笑うことができなかった。
「大丈夫だよ。たぶんエネルギー切れただけだから」
公園のベンチに清高を寝かせ、近くのジュースマシンで入手したスポーツ飲料を投与してみた。普段は基本、自分がして貰う方なので新鮮なアクションだ。でも本当は、今までたくさん受け取ってしまった愛情や通りすがりのやさしさを、他の誰かに返して楽になりたかったのかもしれない。
清高は、朝まで泣き通した大人のように疲れた陰を作り、歩道を行き交う人々をぼんやりと眺めている。
「具合どう?」
頷いたのかよくわからない微弱なレスポンス。縦ラインの綺麗な爪も血色を失っている。
「食べないからじゃん。……おしゃれなチョコ持ってるよ?」
ポケットから包みを出すと、聞き取れたのが奇跡のような声で「いらない」と拒否された。眠くてたまらないらしく、瞬きにまで時間がかかっていて、本当にこのまま秒針が止まるみたいに死んでしまいそうだ。
次の瞬間、衝動的に清高の唇をこじ開けて茶色い欠片を突っ込んでいた。
彼は押さえつけた手に驚いた視線を向け、怯えるようにこちらを見る。今も目の周りに涙の湿度が残っていて胸が痛んだが、他に方法がなくて、こうするしかなかった。
「……十並っ!」
更にもうひとつ、カカオなあいつを捻じ込む。射殺されても仕方のない粗暴だ。
清高は、やめろ、やめてくれと縋るように繰り返す。病的に食べものを拒絶しているのか、あるいは洗っていない指が無理だという意味なのか。言葉が足りなくて判別不可能。
抵抗し、吐き出そうとする彼の口を袖の先で塞いだ。
しばらくすると大人しくなったので、乱れた髪を何度か撫でて謝った。
「僕のこと嫌いになってもいいよ。親切にしてくれたのにごめんね」
・
隣に配慮しながら寮までの路を歩く。
「思ったんだけどさ、生きるのが辛いって気づいたらもう、落ち込んで耐えるか開き直るだけの毎日だよね。……苦しい時間はスローで過ぎてくなんて刑罰の域じゃん。楽しいときは一瞬なのにね」
応急的なものだろうが、清高はチョコレート効果で立ち上がれるようになった。感情の波も鎮静されたらしい。
見下げた人生観を否定されると疑わなかったけれど、彼の疲弊した横顔に静かな同調を感じた。半分だけ受け入れる、というニュアンスで、ほんの少し口元が微笑んでいたのかもしれない。
やがて寮の建物が見えてきた頃、周囲のざわめきに触発され、頭の中でサイレンが鳴る。
「何かあったのかな。確実にあったよね」
学院の側ではなく、隣接する森の方だ。理系クラスの寮からは比較的近い。5Fの窓から覗ける絶妙な位置だ。
生徒と教職員の姿が目立つ人垣。その奥で警告灯が明滅している。隙間から見え隠れする陰気な赤い光。事件か事故か。封鎖エリアの規模が大きい。
不意を衝くように、『Off Limits (立入禁止)』のテープを潜って数人のポリスがこちらに歩いてくるのが見えた。
不自然に身を硬くする清高。
「行くぞ、十並」
乾いた声に促され、興味を失くしたふりをして踵を返した。
呼び止められたりしないよう、素朴な男子高生っぽい足取りで寮に戻るしかない。
この緊迫した空気。おそらく『W事件』だ。新たな被害者が出たとすれば、これで4人惨殺されたことになる。犯人はどのルートで現場に踏み入ったのだろう。血飛沫を浴びた身体を上着で隠し、人の形をしたまま付近に潜んでいる気がしてぞっとした。
――誰が殺ったかわからないって、そういうことなんだね。
どちらも無言で清高の部屋に入る。
扉が閉まると同時に、彼は真っ直ぐにこちらを見て険しく表情を変えた。
「あいつらに何を訊かれても知らないと言え。絶対に信用するな」
警察は敵ということか。
清高はまるで、武器なしで戦おうとしている孤高の兵士みたいだ。
「OK。だけど僕はポリスに籠絡されたりしないよ。心配なら試してみる?」
「勝手にしろ」
情報を求めてTVを点ける。観る習慣がないので、どのチャンネルが嘘つきか見抜けない。
ソファに横になるよう清高を宥めながら画面を見つめる。
やはり、この寮に近い森で遺体が発見されたようだ。
「『W事件』、だよね……」
確認してみると、学院から端末に通知が届いていた。自宅通学者は待機、自分たちは寮から出てはいけないらしい。
けれど、この状態で清高をひとりにはできない。なので適当な理由を申告し、自室には帰らないことにした。
彼は心を凍結させた氷像のようだ。無言で手元に視線を落としている。
重荷に縛られたルームメイトが刻一刻と冷たくなっていく気がして、寝室の毛布をそっと被せてみた。
「清高。急にいなくなったりしないよね……?」
報道の続きによると、死体に刻まれていた文字は『Where is my left?』。
つまり、人垣の向こうで見つかったのは、真っ二つにされた犠牲者の右半身だ。
-5sone end.




