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美しい暗殺者

 西域におもむく際、俺は最後にイヴァリースの視察をした。

 特に視察の日程を組み込んでいたわけではない。


 セフィーロの軍団とウルクの軍団の合流が遅れる、という情報を得ていたので、その間、街を視察しておこうと思ったのだ。


 イヴァリースの街は俺が統治を始めた頃より、確実に発展している。


 ギュンター殿に作って貰った大規模鶏舎は、毎日、大量の卵と鶏肉を市民に供給している。


 大陸中から集まったドワーフの工房は日々、煙を上げ、なにかしらを生産していた。


 俺の作った農場は飛躍的に生産力を上げ、集まった住民たちを飢えさせなかった。


 俺が作った裁判所は、市民に公平な判決を下し、争いの種を小さな段階で摘んでいた。


 とある政治家が言っていた。

 結局、市民が統治者に求めるのは、食料と公平な法律だと。

 そう言った点では俺の統治は行き届いている、ということになるのだろう。

 魔王様は褒めてくださる。


「イヴァリースを統治して数年、うぬは一度足りとて反乱を起こさせなかった。それがうぬの政治手腕を証明しているのだろう」


 手放しの評価であるが、手放しで喜ぶこともできない。

 たしかに今まで一度たりとも反乱を起こされたことはなかった。

 ただ、本日、初めて俺は統治者として試練の時を迎えることになる。


 俺はその日、初めて、


「暗殺者」


 の標的となった。


「人間の敵」として初めて暗殺者に命を狙われたのである。

 ただし、狙われただけで命を奪われることはなかったが。


 暗殺者は暗殺に成功する前に、竜人のシガンに捕まった。曰く、シガンはすぐに暗殺者の存在に気がついたそうだ。


 市民の中に戦場にいる兵士のような殺気を持った女がいた。

 シガンは後にそう語るが、捕らえられた暗殺者は、武器を大量に所持していた。


 鋭利な短剣、木で作られたナイフ。それらにはアンデッドにも効果がある「ユリカリスの毒」が塗られていた。


 殺意に満ちあふれた凶器をたくさん所持していた。

 それを見たリリスは怒りの声を上げる。


「この女、どれだけアイク様が憎いのでしょうか! アイク様はこんなにも慈悲深い方だというのに」


 黒髪を短めに切りそろえた女は、暗殺者として捕まっても悪びれずにこう言い放った。


「慈悲深いか。たしかに第8軍団の団長は慈悲深い。味方にはどこまでも優しく、民を慈しむ。だが、敵に対してはどうだ? アイクという男が通ったあとには、文字通り、血の海ができあがる。鮮血の道が舗装される。このままこの男を放っておけば、人類の災いとなろう。私は人間を代表してそれをとめにきた。それが罪だというのならば、裁くが良い。元々、命など惜しくない」


 可憐な少女が放つにしては猛々しい言葉であった。

 彼女の言葉は誇張ではあっても、嘘ではなかった。

 実際、俺は多くの敵を倒し、大量の血を大地に流してきた。

 自分の手が白いなどと主張することはできない。


「………………」


 俺が反論できずにいると、代わりにリリスが口を開く。


「ともかく、こいつの背後を洗いましょう。誰がこいつにアイク様の暗殺を命じたか、調べる必要があります」


 珍しく正論だったが、少女に口を割らせるのに、拷問を用いよう、と提案するのが、リリスらしかった。


 無論、その手の拷問はしないようきつく言明する。

 俺は戦場で人も殺すし、街も支配するが、虐殺者の汚名だけは浴びたくなかった。

 幸い、少女は拷問などしなくても、自分の正体を明かしてくれた。



「我が名は、ヨハンナ・エ・ルドレだ」



 何者であるか尋ねると、彼女は即座にその正体を教えてくれた。


「エ・ルドレってどこかで聞いたことありますね……」


 リリスはポカンとしている。さすがに記憶力が乏しいリリスはその名前を覚えていなかったのだろう。


 だが、横にいた魔王様は覚えていてくれた。というか、先日、彼のことを話したばかりだった。


「なるほどな。つまり、この娘はエ・ルドレという将軍が解き放った刺客というわけか」


 小賢しい真似を。

 魔王様は苦笑を浮かべるが、少女はそれにすぐ反応する。


「違う! 兄上はそのような卑怯な真似をする方ではない!」


「兄上ということは身内か。まあ、どちらでもいいが、魔王軍最強の魔術師をそのような粗末な短剣で暗殺しようなどとは舐められたものだな」


 魔王様はせせら笑う。


「ふん、笑うがいい。魔族どもめ。必ず我が兄上が貴様らを倒し、この大陸に安寧をもたらしてくれるだろう」


 ヨハンナは気丈に笑うが、俺はその間、《読心術》の魔法で、彼女の心の声を聞いていた。


 数刻の取り調べのあと、俺はヨハンナを解放した。

 魔王軍の関係者はもちろん、解放された本人も驚いていた。

 リリスは問う。


「どうしてあのような危険な娘を野に解き放つのです?」


 リリスは俺の甘さになかば苛立っているようだった。

 それについてはこう返すしかない。


「捕虜収容所がパンパンだからさ」


「その冗談はちっとも面白くないです」


「半分冗談だけど、半分は事実だけどな」


 リリスはへそを曲げるが、ともかく、少女に手出しはしないよう厳命を下した。


 さすがに武器は返さなかったが、帰りの馬と食料を持たせると、俺は彼女が消え去るのを見つめた。


  

 その夜、自分の館にて――。


 日本酒を片手に一杯やっている少女、ダイロクテン様が語りかけてくる。


「ここはお前の領地だ。それにお前の命はお前のものだ。だから黙っていたが、さすがに余もあの娘を解き放つのは感心せぬな。なにか事情があったのならばともかく」


 魔王様はそう質問をしてくる。

 もっともな質問だと思ったし、魔王様には話しておくべきことだと思った。

 だから俺は、《読心術》で得た情報を魔王様に伝えることにした。


「あの娘はエ・ルドレの妹で間違いないようです」


「件の名将か。名将の妹だからといって助けてやる道理はないと思うが」


「妹だから助けたわけじゃないですよ。貴重な情報を貰ったからです」


「貴重な情報?」


「件のエ・ルドレは、最近まで蟄居(ちっきょ)させられていたようです。謹慎かな」


「ほお、たしかその男はアレスタの街でセフィーロを包囲し、苦しめた男だったな。たしかファルス王国の名将だと聞いているが」


「ええ、なかなかの男でした。あのセフィーロを罠にはめ苦しめ、その後、俺が援軍に駆けつけて戦況が不利になっても、意固地にならず、分が悪いとみるやあざやかに撤兵した」


「ふむ、なかなかの名将のようだな」


「その後、他の軍団とも何度も戦ったようですが、戦績は6勝1分け1敗その1敗も形勢が不利とみるやあっという間に撤退したと聞いています」


「その話を聞く限り、諸王同盟の最強の騎士団長、といったところか。そのような人物をなぜ蟄居などさせるのだ?」


「どうやら敵軍のボス。つまり、ファルス王はそのことが気に食わなかったようです」


「つまり、直属のボスである王にその才能を妬まれた、ということか」


「はい、それで王の命令により、無実の罪を着せられ、蟄居を命じられたようです」


「ふ、敵軍ながら愚かな王よの。それではまるで自分の手足を切り捨てるのと一緒ではないか。誰が国を守っているのか理解しておらぬようだ」


 魔王様は呆れるが、理解できない、とは漏らさなかった。


「――まあ、気持ちは分からなくはない。王にとって最大の敵は敵国ではなく、有能な部下、ということもよくある」


 自嘲気味に笑う魔王様。この人は現世でも前世でも部下に何度も背かれている。

 実際、有能な部下というのは有能な敵よりも恐ろしいことが多い。


 歴史をひもとけば、結局、どんな国も最終的には、外国に滅ぼされるか、優秀な部下に乗っ取られるか、その二択なのだ。


 外敵に勝利してもそのまま家臣に国を乗っ取られた王朝、家臣を粛正してそのまま外国に滅ぼされた王朝、その数を数えれば歴史というやつは主と家臣の騙しあいに過ぎないと分かる。


 実際、連勝につぐ連勝で国に貢献した名将が、国に帰還するなり、無実の罪を着せられ、そのまま処刑場に送られた、という例など腐るほどある。


 日本では源義経、欧米ではドイツのロンメルやカルタゴのハンニバル、東洋では南宋の名将、岳飛、漢の功臣、国士無双の韓信。


 皆、有能だったがゆえに時の権力者に疎まれ、粛正された名将だ。


 愚かな行為だが、そもそも粛正していなければ彼ら名将が代わりに支配者になっていた可能性もあり、一概に君主側だけを批難することはできない。


 戦国の世とは、白刃の上を綱渡りで歩くようなものなのだ。


「しかし、最近まで蟄居させられていたのに、なぜ、また前線に戻ってきたのだ。なにか裏があるのか?」


「どうやら俺が活躍しすぎたようです。そのことでファルスの王はエ・ルドレに頼らざるをえなくなったらしい」


「なるほど。皮肉なことだな。自国の王に妬まれ幽閉された将軍が、敵軍の活躍によって救われた、ということか」


「ですね」


「しかし、そうなると困ったな」


 魔王様は眉をひそめる。


「なにが困るのです?」


「いや、余の知っているアイクという将ならば情が湧くと思ってな。そこまで微妙な立場の将軍なのだ。次の一戦で負ければそれを口実に処刑されるかもしれない」


「つまり、俺が手を抜く、と?」


「そうは言わないが、手心を加えるかもしれないな、と思っただけだ」


「………………」


 沈黙によって彼女に答える。

 図星というか、その可能性が高い、そう思ったからだ。


「……いや、それはうぬぼれかな。前回は条件が良かった。同等の条件で戦えば今度はこちらがやられるかもしれない。俺はそう思っていますよ」


「相変わらず謙虚だな」


「ですので、今回、俺はとある策を立ててみました」


「それでさっき、あの娘に魔法をかけたのか」


「よく気がつかれましたね」


「これでも魔族の王を務めるものだ。舐めるでない。――が、魔法をかけたまでは分かったが、その魔法が分からない。どんな魔法をかけたのだ?」


「簡単な魔法ですよ。あのヨハンナという娘が兄と再会したとき、伝言をしゃべるよう暗示をかけただけです」


「伝言?」


「内容は、西域のとある場所で会おう、というものです。一度、あの男と話してみたかった」


「話すだけか?」


「できれば説き伏せて、こちらの陣営に加わるよう説得します」


「それができなければ?」


「そのときは――」


 俺はそこで言葉を止めると、こう呟いた。


「――そのときは、魔王軍の将として全力を尽くすだけですよ」


 俺はそう言い切った。

 仮にも俺は魔王軍第8軍団の長である。


 敵将であるエ・ルドレの立場に同情はしたが、それでも軍団を預かる長として、負けてやる理由などなかった。大切な部下の命を差し出す理由にはならなかった。


 ただ、それでも魔王様は、

「甘い男だな、つくづく」

 と、手酌で日本酒を飲んでいた。


 最後に彼女はこう言う。


「まあ、酒も部下も甘い方が旨い。それはいつの時代も変わらない、ということか」


 彼女は、魔王様は、そんな表現で、おれとエ・ルドレが会うことを許してくれた。

 いや、黙認してくれた。


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