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水鏡と地竜

 数日後、地竜は現れた。

 地響きのような音が聞こえてくる。

 ドシン、ドシン、と子気味のよい音が遠くから響き渡ってきた。


 コボルト、犬人族の斥候であるタロという少年兵が、息を切らしながら報告してくる。


 彼は尻尾を振りながら報告してくれた。


「アイク様、アイク様、敵がやってきました。やはりアイク様の予想通り、地竜を盾にしながら進軍しています」


「やはりそうか。ちなみに敵軍の規模はどれくらいだった?」


「8000ほどです。目算ですけど」


「なるほど。大軍だな」


「それだけではありません。敵軍には多くの魔術師が含まれていました」


「それは厄介だな」


 己の顎を掴む。

 想定したよりも大規模な数であった。

 これはもっと兵を招集するべきだったかな、と後悔する。

 その悩みを見抜かれたのだろうか、傍らにいた魔王様がこう尋ねてきた。


「今からアーセナムに駐留している他の軍団長たちを呼び寄せることもできるが?」


 魔王様はそう提案してくるが、俺は断る。


「ほお、強気だな。エルフの女王の前では、大軍によって少数を打ち破るのが兵法の基本だと言っていたではないか」


「まあ、基本的にはそうですが……」


「何を言いよどんでいるのだ? 遠慮などいらぬ。申してみよ」


「…………」


 一瞬、俺は迷ったが、魔王様に自分の戦略構想を語った。


 彼女に話すか迷ったのは、日本史上随一の戦略家に戦略を語るのが気恥ずかしかったからだ。


 だが、自分の中にある戦略を彼女に語り、その正しさを証明するのも悪くない。そう思って重い口を開いた。


「エルフの女王には、圧倒的な兵力で敵を蹴散らす。それが戦争に勝つコツだと大見得を切りましたが、今回、俺はその作戦は用いません」


「理由は?」


「理由は単純です。敵軍に恐怖を与えたいからです」


「ほう、恐怖か。魔族らしい考え方だな」


 中身は人間なのにな、とは続けなかった。


「ええ、自慢ではないですが、魔王軍はもちろん、敵軍、諸王同盟の中にも俺の名は響き渡っているはずです」


「たしかに、うぬは何度も寡兵で敵軍を打ち破ってきた。寡兵でローザリア敵軍の領内を突ききり、ドワーフの王を救出した。寡兵でエルフの森を救った。寡兵で諸王同盟の名将を破った。寡兵でローザリア最後の名将を討ち取った。敵軍にとってもはや第8軍団の名は恐怖の代名詞となっているだろう」


「おそらくは。でも、どれもが正攻法で勝ったわけじゃない。すべて機略で勝ちました。いえ、奇略かな。どれもが兵法に乗っ取っていない邪道で勝ったのです」

「それがいつまでも続くわけがない、と?」


「ええ、まあ」


「謙遜だな」


「だといいのですが。ともかく、この際、敵軍が俺のことを恐れてくれている。それを利用したい」


「というと?」


「この地竜と諸王同盟の戦い。これにも奇策を用います。そして敵軍に第8軍団とはまともに戦いたくない。そう印象づけておきたい」


「ふむ」


「この戦いに勝利したあと、俺とルトラーラ、それにウルクはアズチに城作りを始めます。その間、この地を襲おうと敵はやってくるでしょう。何度も、執拗に」


「たしかに、敵としては眼前に城を建てられたら堪ったものではないからな」


「北はセフィーロや他の軍団長に任せる。ローザリアの堅城がある限り、落ちることはないであろう」


「ですので、その分、執拗にこちらを狙ってくるはずです」


「つまり、その最初の一撃、地竜と8000の軍勢をうぬ一人で跳ね返し、敵軍に恐怖を植え込む、という戦略か」


「ええ、この際、実際、俺の第8軍団が最強か。そんなことはどうでもいい。俺がこの付近にいる限り、敵軍は容易に攻めてこない。そういう状況を作り出せばいい。しかもその恐怖も永続しなくていい。一年くらい持ってくれればいいんです」


「ほう、自信家だな」


「あるいはうぬぼれかもしれませんね。古来、そのうぬぼれによって死んだ名将がどれほどいたことか」

 

「その代表格が余だな」


 魔王様は自虐的に笑うと、こう続けた。


「さて、うぬの大言壮語、横からしかと見つめさせて貰おうか」


「ご期待に添えるようがんばります。なんとか地竜を退治し、敵軍も追い払ってみせましょう」


「いや、そちらの方は心配していない。余が心配しているのはアズチの方だ」


「アズチ? ですか」


 意外な言葉に驚く。


「もはやうぬが戦で負ける心配など露程もしていない。問題なのはアズチの城が一年でできるか、だな。そしてその城が余の天下布武の力になるか。あるいは住みよい街になっているか。そちらの方が心配だ」


「そちらでしたか……」


 俺は思わず苦笑する。


「まあ、そちらの方は、セフィーロとルトラーラ殿の都市設計計画にご期待ください」


「うぬは参加しないのか?」


「口くらいは挟みますが、基本的に彼女たち、それにギュンター殿に一任するつもりです」


「ほう、魔王軍最強の魔術師がどんな城を作るか楽しみにしていたのだが」


「餅は餅屋。建築は建築家に任せるのが筋というものでしょう」


 俺の専門分野はこっちです、と持っていた円環蛇の杖を力強く握りしめ、力を誇示する。


「たしかに、真に有能な指導者は、有能なものを見いだし、そのものに遺憾なく手腕を発揮させるものを指す。余のようにな」


「ここで魔王様を褒めると、自画自賛になるので控えますが、おおむねそんなところです」


「ふ……、うぬはもっと傲慢になってもいいと思うのだがな。せめてその実績分くらいは」


「それはもっと実績を残してからにします。今回、地竜を追い払えなかったら、笑い話では済まない。とんだ茶番劇だ」


 俺はそう言いきると、魔王様も口元を歪める。

 たしかに、と――。


 俺は目の前の少女の笑いが苦笑い、あるいは怒気に変わらぬよう、全力を尽くすことにした。


 ジロンを呼び出し、命じる。


 大急ぎでやってきたジロン、彼は、

「水鏡を展開させますか?」

 と、尋ねてきた。


 こくりと頷くと、ジロンは部下たちに命じて、水鏡を引っ張った。


 敵――、地竜に対して縦方向に向けられていたそれは正面を向き、地竜と向き合う。


 その瞬間、大股を広げ、前進をしていた巨竜の動きが止る。


 彼、いや、彼女か。彼女は初めて見た自分と同じくらいの体躯の化け物に驚いているようだ。戸惑っているようだ。


 それまでの勢いが嘘みたいにその歩みをやめた。

 それを見た瞬間、魔王様は賞賛する。


「なるほど、あの水で作った大鏡はこのためのものか」


「ええ、あの化け物が自分と同じくらいの大きさの生き物など、見たことはないはずですからね」


 地竜の雄はもっと小さいという。さらに付け加えれば、地竜の雌は縄張り意識が強く、他の雌を嫌う、という情報をフェルレットから受けていた。


 だからこの作戦は成功する。彼女からその情報を仕入れた瞬間、俺は確信していた。


「地竜の動きはとまったが、これからどうする? あのまま一生、水鏡を置き、千日手にでもするつもりか?」


 魔王様は問うてくる。当然の疑問だ。


「無論、そんなアホな真似はしませんよ。今回、地竜を倒すと同時に敵軍を倒す、というのが俺の作戦なのですから。――いや、地竜に敵軍を倒して貰う、かな」


 そう言うと采配を振るった。

 《念話》の魔法によって第8軍団の航空部隊に連絡を取る。

 ガーゴイル、ワイバーンに載ったゴブリンなどで構成された機動部隊だ。

 彼らに一役買って貰うことにした。

 俺の命令で飛び出すガーゴイル、それにワイバーン・ライダー。

 彼らの行動は一糸乱れぬもので、戦術家が見て心地よい編隊を組んでいた。

 魔王様は「ほう」と感嘆の声を上げる。


「なかなか見事な隊列だ。よほど鍛錬していると見える」


「戦は機動力です。彼らのような機動部隊は一纏めにし、運用した方がいい。後方攪乱、威力偵察、なんでもこなしてくれる」


「ふむ、たしかに。余も真似してみるか」


 魔王様にしてそこまで言わしめるのだから、なかなかに見事な部隊なのだろう。

 自画自賛していると、彼らは期待値以上の戦果を上げてくれた。

 彼らは地竜の後方に控えていた真の敵、諸王同盟の軍隊にまっすぐ向かう。

 当然、敵も馬鹿ではない。


 飛行部隊を見つければ弓くらい放つであろうが、それよりも早く彼らは敵陣を突き抜けた。


 別に飛行部隊は敵軍を攻撃するわけではない。焙烙玉や爆弾の類いは一切持たしていない。ただ、エルフたちから貰った『イズルハの実』を細かく砕き、粉末状にしたものを彼らの頭上にそそがせただけだ。


 それだけならば、弓で射られるよりも早く脱出し、被害を最小限、というよりもゼロにして脱出できた。


 粉末状にされた『イズルハの実』それ自体に毒性や催眠性、麻痺性は一切ない。ただ、地竜の雌と同等のフェロモンを持っているだけだ。


 さて、ここで想像してみよう。

 自分以外の雌が嫌いな地竜、目の前にある水鏡、周辺に漂う他の雌竜の香り。

 雌竜は初めての事態にさぞ困惑していることだろう。

 さぞ苛立っていることだろう。


 性別に関係なく、そんな状況に追い込まれれば、暴れ回るのが生き物の定めだった。習性だった。


 事実、彼女は、地竜は俺の思惑通りの行動に出てくれた。

 水鏡を移動させる、そこにいたのは敵軍。諸王同盟。

 地竜は彼らを無視した。存在すら認知しないかのように水鏡に飛びかかる。


 水鏡は一瞬で四散するが、それだけではなく、その下にいた多くの人間たちも地竜に踏みつぶされた。


 それを見て緊張状態が解けてしまったのだろう。

 あるいは今まで抱えていた恐怖が噴出したのかもしれない。

 8000の諸王同盟の武官たちは次々と命令を下した。



「投石機を放て!」

「バリスタを撃ち込め!」

「禁呪魔法を解き放て!」



 その命令を聞いた兵士たち、魔術師たちは次々に地竜を攻撃する。


 地竜に岩がめり込み、大きな矢が突き刺さり、巨大な火の玉が地竜の皮膚に降り注ぐ。


 地竜は苦悶の表情と咆哮を同時に上げた。



「うぉぉぉぉん!」



 腹の底まで響くような音だ。哀れなのはアネモネのような聴覚の良い種族だ。彼女たちは耳を必死にふさいでいる。


 いや、彼女たちよりも哀れなのはおろかにも攻撃を加えた諸王同盟の軍隊であった。


 彼らは地竜の力を利用しようとはしていたが、その評価を過小評価していた。

 地竜は、バリスタや投石、魔法くらいで倒すことはできなかった。


 無論、傷を与えることはできたが、それがかえって地竜の怒りに火を付けた。

 エルフの女王、フェルレットの言葉を思い出す。



「――地竜は温厚な竜です。普段ならばその頭の上でワルツを踊っても怒ることはありません」



 しかし、諸王同盟はおろかにもワルツではなく、タップダンスを踊ってしまったようだ。耳元で狂想曲を奏でてしまった。


 それも繁殖期で気が立っている竜の前で。

 彼らはおろかな行動をその身をもって償うことになる。

 地竜はその後ろ足で立ち上がる。

 その巨体で太陽を遮る。


 諸王同盟の軍隊は一瞬、昼が夜に変わったかのような錯覚を味わっただろうが、それもほんのつかの間だった。


 立ち上がった地竜はそのまま諸王同盟の軍隊に前足を叩きつける。



 どごーん!



 という音とともに振り下ろされる前足。

 それらは容赦なく諸王同盟の兵たちの上にのしかかった。

 その一撃で百数余の命が失われただろうか。

 振動がこちらの足下まで伝わってきた。

 俺の参謀であるジロンが尋ねてくる。


「お見事です。このまま敵軍の後ろに回り込みますか?」


 参謀らしい提案だったが、それは却下する。


「いや、このまま傍観していよう。下手に藪をつついて蛇に噛まれるのはいやだ」


「蛇ではなくて竜ですけどね」


 そうだな、と軽くうなずく。しかし、その判断は正しい。


 今、第8軍団を動かせば、地竜は魔王軍を敵と認識するだろう。それだけは避けたかった。


 敵軍が帰ってくれるか、敵軍が地竜を倒してくれるか、あるいは両方共倒れになってくれればこの上なく有り難いのだが……。


 そんな願望を抱いていると、諸王同盟と地竜の戦いは決着がついたようだ。


 投石機を5台、バリスタを7台、兵を4分の1ほど壊滅させられたところで敵軍はこれ以上の抗戦を諦めたようだ。撤退の準備を始めた。


「さてと、そろそろ俺たちの出番かな?」


 自問するように呟いた。

 ジロンは問い返してくる。


「え、ここで兵を動かすんですか? そんなことをしたら諸王同盟の兵に逃げる隙を作らせてしまいますよ」


「それでいいんだよ」


「どういうことですか?」


「今回の作戦は、地竜を退治する、という目的とともに、諸王同盟に恐怖を与える、という名目もある。敵軍が全滅したら、俺たち第8軍団の強さを諸王同盟に伝えるやつらがいなくなるだろう?」


 俺はそういうと不敵に笑う。

 ジロンは大口を開いていた。

 ただ、すぐに表情を取り戻すと、こう言ってくれた。


「ですね。我々第8軍団の強さをやつらに見せてつけてやりましょう!」


 見ればジロン以外の将も集まっていた。

 俺は彼らに指示をすると、地竜を討伐することにした。

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