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大海蛇の死

 リリスは《飛翔》の魔法が下手なため、八艘飛(はっそうと)びのように各艦を中継しながらシーサーペントへ近づいていく、実は俺もそれほど《飛翔》は得意では無いため、同じように進んでいくが、それでも先行していたリリスを追い抜いけたのは魔力の差か。


 追い抜いた瞬間、リリスは、

「流石はアイク様です」

 と微笑んだ。


「一応、魔王軍の魔術師だからな。魔法剣士には負けたくない」


「いいえ、アイク様はただの魔術師ではないですよ。魔王軍最強の魔術師ですよ」


 彼女のおべっかを聞く頃にはリリスを完全に追い越し、シーサーペントに接近していた。

 化け物までの距離は30メートルはあるであろうか。

 だがその時点でシーサーペントの巨体に圧倒される。


「……でかいな」


 そんな単純な言葉しか出ないほどの巨躯であった。


 魔王軍では巨人族など、大型の魔物をよく見かけるが、これほどの巨大な魔物は初めて見たかもしれない。


 前世でも最大の動物は海に住んでいるシロナガスクジラだ。

 重力というくびきから解放される海では巨大な生物が生まれやすいのかもしれない。

 そう考察したが、その瞬間、シーサーペントの巨躯が竜巻に包まれる。

 見れば海上に浮かんでいる金色の髪を纏ったエルフが精霊王を召喚したようだ。


「アイク様、あれは?」


「風の精霊王ガルーダじゃないかな」


 たぶんだが、と続ける。

 精霊に関してはそんなに知識は豊富ではない。


 幼き頃、じいちゃんから魔術以外の知識も授かったが、俺のうろ覚えの知識によれば、精霊は上位種と下位種に別れ、上位種は精霊王と呼ばれていると聞いたことがある。


 確か風の上位精霊が、『ガルーダ』だったと記憶している。


 鷲の頭に人間の身体、鳥の翼を持った姿をしており、風を支配する自然界の王ともいえる存在。高位の精霊使いにしか支配できないとされているが、アネモネは見事に使役しているようだった。


「案外、アネモネは使えますね」


 軽く舌打ちしながらリリスは嘆息する。


「心優しい娘だからな。怪物相手ならば手加減などする必要を感じないんだろ」


「……怒らせると怖いタイプの娘ということですね」


 今後は気をつけよう、とリリスは付け加えると、戦況を見守った。

 俺もそれにならう。

 アネモネの召喚した精霊王は竜巻に姿を変えると、シーサーペントに近づいていった。

 海上に発生した竜巻は万物を切り裂く刃物ような鋭利な牙を携えていた。

 荒れ狂う嵐の刃がシーサーペントの鋼の鱗を切り裂く。



「ぐおぉぉぉぉん!」



 この世のものとは思えない叫び声が当たりに木霊する。

 今までの咆哮が小鳥のさえずりに聞こえるかのような大声だった。


「効いて……、いますよね?」


 リリスは確認するように尋ねてくるが、俺はこう答えるしかなかった。


「あの一撃を食らって無事に過ごせる生物がいたのなら、お手上げだよ。さっさと退却して、ユリア嬢と結婚して、別の生娘を生け贄に捧げるかな」


 リリスがぎょっとした視線を送ってくる。


「…………」


 我ながらきわどい冗談だったかな、そう思ったが、訂正はしなかった。

 なぜならば今の一撃が確実にシーサーペントに効いていると分かっていたからだ。

 俺はすかさずリリスに言う。



「続け!」



 そう言われたリリスは慌てて俺の後ろに続く。


「アネモネは今の一撃ですべての精霊力を使い切ってしまったようだ。ここからは俺たちがやる!」


 リリスは肩で息をしているアネモネを確認すると、

「そのようですね」

 と承知した。


 俺たち二人はうねり狂っている大海蛇の背中に乗るとそのまま蛇の頭上へと駆け上がって行った。


 リリスは道中、魔力を付与した剣に更に魔力を込め、シーサーペントの鱗を切り裂きながら駆け上がっていく。


 メリメリと鱗を削り取られていく大海蛇。

 大量の血が噴出し、蒼い海を血で赤く染め上げるが、それでも致命傷に至っているとは思えない。

 だが、それも計算の内だった。

 それくらいでこの化け物を殺せるなどと思っていなかった。


 俺は後方でリリスがシーサーペントの鱗を切り裂いているのを確認すると、彼女を無視し、シーサーペントの頭部へと駆け上がる。


 頭部へ駆け上がるまでは余計な魔力は一切消費しない。

 己の内に内包した魔力を極限まで溜め、必殺の一撃に備えるだけだった。

 俺は大海蛇の頭部に辿り着くと、そこに円環蛇(ウロボロス)の杖を突き立てた。

 頭部までなにもせずに我慢していたのはこの瞬間の為だった。

 前世でもそうだが、この異世界の生物も、ほとんどが頭部に弱点を抱えている。

 頭部を破壊して死なない生き物など極々僅かだ。

 頭部に弱点がない生き物など、昆虫と一部のアンデッドくらいだ。

 この大海蛇とて例外ではあるまい。

 そう確信していた俺は、この瞬間のため、残していた魔力を全て解放した。

 己の内にあるマナをすべて解き放った。



究極迅雷(トール・ハンマー)



 禁呪魔法の一つ、雷系魔法の最上位魔法だ。


 海中の生物に雷魔法とは自分でも安易だと思うが、雷の魔法はあらゆる生物に大ダメージを与えられる。それに海中にいる限り、炎系の魔法は無意味だった。


 無意味なことをするほどの余裕はなかったし、実際、この魔法がこの怪物に一番効果覿面なはずであった。


 事実、《究極迅雷》の一撃を食らったシーサーペントはうねり狂うのをやめ、その場で固まった。

 焦げ臭い臭いが辺りを充満する。

 先ほどまであれほど暴れ狂っていたのが嘘のような光景だった。

 このまま海の底に沈み死ぬのでは? 

 誰しもがそう思ったはずだ。

 それを代弁するかのようにリリスが俺の横に駆け寄ってくるとこう言った。


「流石です。アイク様、まさかこんなに簡単に退治するとは思っていませんでした」


「簡単? 大砲の雨あられを浴びせ、精霊王を召喚し、禁呪魔法をぶち込んで殺すのが簡単だというのならば、この世界の辞書を書きなおさなければいけないな」


 ――俺は皮肉をそこで止める。

 リリスに皮肉を言う余裕がなくなったからだ。


「この世界の辞書――、いや、百科事典か、それを書き直すときが来たようだぞ」


 そう言うと俺は、

「言ったことか。お前が余計なことを言うからフラグが立ってしまったではないか」

 と、更に酸味に満ちた言葉を吐き出した。


 大きく揺れる足下。


「こ、これは?」


 リリスは俺に尋ねてくる。


 俺は答える。


「この大海蛇は不死身だ。――少なくとも禁呪級の魔法でも倒すことはできなかったようだ」


 やはりこの世界の辞典の項目を書き換えなければいけないな、と続けると、大海蛇は再び活動を始めた。


 先ほどまでピクリともしなかったのが嘘のようだ。

 沈みかけていた大海蛇の身体がゆっくりと海中からせり上がる。

 そして先ほどと同じようにその巨体をうねらせると、再び暴れ始めた。

 大海蛇は暴れ回り、俺たちを必死で振り落とそうとする。

 もう一度あの一撃を食らうのが厭なのだろう。


「そんな心配などしなくても、あの禁呪魔法は一度しか打てないのにな」


 そう言い聞かせたかったが、この大海蛇が聞いてくれるわけもない。

 そんな知能などない。

 俺たちにできるのは大海蛇の頭部に突き立てた円環蛇の杖に必死に捕まることだけだった。

 リリスも俺の腰に必死に掴まり、振り落とされないよう懸命に抱きしめていた。


「ア、アイク様、これは不味いのでは? こいつを殺すのは魔王様級の魔力がないと不可能なんじゃ? 少なくとも不死のローブを身に纏ってないと禁呪魔法は連発できません。ここは一旦引き下がって、体制を立て直した方がいいんじゃ?」


 リリスは俺にしがみつきながら、そう必死に主張するが、それは正しい考え方かもしれない。

 少なくともまともな思考の持ち主ならばそうするはずだ。


 ただ、残念ながら『魔王軍最強の魔術師』と謳われている俺は、まともな思考など持ち合わせていなかった。


 魔族の祖父に拾われ、魔族として育てられた『人間』に常識など備わっているわけがない。

 俺はリリスに命令をする。


「いや、こいつはここで仕留めておきたい。これだけダメージを与えればまた休眠期に戻ってくれるかもしれないが。『かもしれない』を前提に動きたくない」


 少なくともこの一戦で多くの人間の命が失われた。

 ここでこいつを取り逃がせば、死後、彼らと再会したとき、どう弁明していいか分からない。

 それにここで仕留めておかなければ、また多くの人命が失われるかもしれない。

 それだけはどうしても避けたかった。

 それを回避するため、リリスに命令を下す。


「一応、こんな時のために用意してある作戦がある。リリス、すまないがエルトリアのもとに向かってプランCを発動すると伝えてくれ」


「プランCですか?」


 どんな作戦なのですか? とはリリスは問わない。

 俺の真剣な表情を見て緊急を要すると察してくれたのだろう。

 軽口ひとつ言わずにエルトリアの載っている船へ戻ってくれた。

 それを見送ると、耐えることにした。

 必死に杖にしがみつき、エルトリアが用意してくれる『切り札』が届くのを待つ。

 シーサーペントは禁呪魔法を喰らわせた俺を振り離そうと必死で暴れる。

 うねり狂い、暴れ回る。


 時折、海の底に沈んでは俺を窒息させようとするが、俺はそれでも必死にしがみつき、梃子(てこ)でもこいつの頭部から離れなかった。 


 こんなに堪え忍んだのは、幼き頃、じいちゃんから魔術の修行を受けたとき以来だろうか。

 優しかった祖父であるが、こと魔術の修行に関しては五月蠅かった。


 己の内にある魔力回路(オド)を開くため、窒息するギリギリまで逆さ吊りにされて水につけられたり、極寒の雪原に放り出されたこともあった。


 その甲斐があって今の俺があるわけだし、この苦境にも耐えられるのだから、感謝をせねばならないのだが、じいちゃんから施された苦行の成果は正しく報われた。


 十数分、この化け物に食らいついていると、リリスとアネモネが大きな(たる)を抱えて戻ってきてくれた。


 その光景を見た瞬間、俺は勝利を確信した。

 俺は大声で叫ぶ。



「リリスとアネモネよ! その樽を海に投下するんだ!」



「「分かりました!」」



 二人は同時に了承すると樽を海に投げ捨てた。それを見届けた俺は即座にシーサーペントに突き立てていた円環蛇の杖を引き抜く。


 そして残して置いた魔力で樽の上に《転移》する。

 自分の頭の上にあった邪魔者が消えたため、シーサーペントは一瞬、動きを止める。

 だが、自分をしこたま傷つけた存在だけは忘れていないようだ。

 ある程度知性があるのだろうか、それとも獣としての本能であろうか。

 奴は想像通り、俺の方へ向かってきてくれた。

 為すがままにその光景を見詰める。

 このままではシーサーペントに一飲みにされるが、それで構わなかった。

 別に生きることを諦めたわけではない。

 死中に活を見いだすなどという物語の主人公を気取っているわけでもない。

 この化け物を効率的に殺すのはこれが一番だと思ったからだ。

 微動だにしない俺をシーサーペントは何の遠慮もなく飲み込む。

 それが自殺行為であるとも知らずに、奴はまんまと俺を飲み込んでくれた。

 辺りは闇に包まれる。

 だが、俺の身体は無傷だ。

 大海蛇と呼称されるくらいだ。

 こいつは蛇の一種だと推察できたし、見た目も蛇そのものだった。

 咀嚼(そしゃく)はされないと踏んでいたが、その想像はぴたりと当たった。

 一飲みにされても俺は生きているし、呼吸もできる。

 だが、たらり、と、強力な胃酸のようなものが俺の服に落ちると、俺の衣服があっという間に溶けた。


「やれやれ、これはイヴァリース一の服屋に仕立てて貰った一張羅(いっちょうら)なのにな」


 それに丁寧にアイロン掛けしてくれたサティに申し訳なかった。

 俺は愚痴を漏らすと、この服を台無しにしてくれた怪物に報復することにした。

照明(ライト)》の魔法で怪物の胃の中を照らすと、ちゃんとそれがあるかどうか確認した。

 無論、それとはリリスとアネモネが持ってきた大樽である。

 その樽の上に導火線が付いているのを確認すると、それに目掛け、《着火》の魔法をかける。

 着火の魔法によって火が灯った導火線、その先にある大樽には当然、爆薬が詰められていた。

 それもタダの爆薬ではない。

 魔女セフィーロが特別に調合した強力な爆薬だった。

 エルフの森から輸入した霊薬や秘薬を配合し、通常の火薬よりも威力を高めてある。

 更にエグイのは樽の中に大量の鉛玉を入れていることだった。

 爆発すればそれが拡散し、周囲のものを無差別に切り裂くだろう。

 文字通りズタズタに、惨たらしいほどに。

 流石のこいつも腹の中でそれをやられてしまえば、もはやお終いである。

 導火線の火が樽の中の火薬に着火した瞬間、こいつは死ぬことになるだろう。


 鱗を精霊王にズタズタに傷つけられ、頭部に禁呪級魔法を直接放たれ、胃を木っ端微塵に砕かれて生きていられる生物などこの世に存在しない。


 もはやこいつの死は定まったようなものだが、ただ、一つ残念なことがあった。

 それはこいつの内臓がズタボロにされる瞬間を拝めないことである。



「まあ、その瞬間を見届けると言うことは俺も一緒に自爆する、ということなのだけど」



 最後にそう漏らすと、俺は魔法の詠唱を始めた。

 勿論、唱える魔法は《転移》の魔法だ。

 こんな化け物と心中するのはまっぴらごめんだった。


 俺は大樽が爆発するか否かのタイミングでシーサーペントの体内から脱出すると、空中から見下ろした。



 シーサーペントの死の瞬間を。



 爆発音は大して大きくはなかった。

 奴の腹の中で爆発したのだから当然だ。

 また死の間際の咆哮も穏やかなものだった。

 大樽爆弾の炸裂によって肺も同時にやられたのだろう。

 もはや咆哮を上げることさえできないようだ。

 大海蛇と呼ばれた怪物は最期にびくり、と痙攣するとそのまま海の底に沈んでいった。

 俺たち一行は見事に伝説の化け物を退治した、というわけだ。

 俺はその瞬間を見届けると、思わずかくり、と膝を崩してしまう。

 一瞬だが、気が遠くなったのだ。

 慌てて駆け寄ってくれたリリスとアネモネに支えられ、なんとか海の中に落ちずに済んだ。

 それほどまでに魔力を消費してしまった、というわけだ。

 リリスは珍しく心配げにこちらの顔を覗き込んでくる。


「だ、大丈夫ですか? アイク様」 


 こいつにしては殊勝な言葉である。

 それほどまでの激闘だったのだろう。

 俺はこれ以上こいつを心配させないため、無理矢理笑顔を作ると言った。


「らしくない表情をするな。いつもみたいに言えよ。魔王軍最強の魔術師が負けるわけありませんよ、って」


 俺の冗談にリリスは呼応してくれたのだろうか。

 それとも気遣ってくれたのだろうか。

 それは分からないが、リリスはいつものように小悪魔めいた笑顔を浮かべると、


「そうですよね。アイク様が負けるわけがありません。なんなら、もう2~3匹、伝説級の大海蛇が出てきても一人で倒してくれるはずです」


 いつものリリスに戻ってくれたことを確認すると、俺はいつものように彼女に対応した。


「せめて次に戦うときは魔王軍の軍団長クラスの増援を頼もう」


 と――。

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