『僕』
―episode 18: 『僕』 ―
戸惑う僕の顔に、睨め付けるような、若干の…本当に若干の怒気を孕んだ眼差しが刺さる。
また、だ。昨日と同じ。
全く同じ人間のはずなのに、別人のような表情。
「あんな顔で、『一人にしろ』って言われて、言う通りにする訳ない。…まぁ、Re:INの皆は、君の言葉で追い掛けるのを止めたけどね。酷い顔しながらもさ。」
酷い顔…。
それを聞いて、去り際のリリィと雅の傷付いた顔を思い出し、喉が狭められたような感覚になる。
「……部外者の僕から見るとさ、君達は…友達との間に必要以上に一線を置き過ぎだと思うよ。何を怖がってそうしてるのかは、僕には解りようがないから、あんまり偉そうなことは言えないけどさ。」
「…皆、僕と李杏の間の確執を知っているから、踏み込まないようにしてくれているだけだ。あちらに非はないよ。」
「………………ふぅん?」
目を伏せながら疑問形で返す翡翠に、小さな違和感が芽生える。
先程までと何かが違う。
何だ?
何が違う?
「…彼らなりの優しさ、ねぇ。だとしても、僕のすることに変わりはないけど。僕は僕のやり方で、君を…」
「君、…」
言っていることの不明瞭さに加え、話し方がいつもより冷たいような気がする。
いや、『冷たい』と言うほどのレベルではないが、普段の優しい口調と比べると、どこか突き放したような…まるで僕みたいな話し方をしている。
と、そこまで考えた時点で、やっと違和感の正体に気付く。
「…一人称、『僕』だったか?」
翡翠は、僕のその質問に、
すぅ、と目を細める。
その瞳を見て、また違和感。
だが、それが何か考える前に、翡翠が口を開く。
「それは君がよく知ってるだろ?」
「…は……っ?」
…誰だ?
目の前にいるこの男は。
少なくとも、僕の知る翡翠じゃない。
「紫杏のその口調は、僕を真似たものなんだからさ。」
急に呼び捨てにされたことも気になったが、それよりも…
僕が、真似た?
違う。
僕の口調は、まだ小さかった時に、憧れの兄の真似をしたものが癖になった結果だ。
大体、昨日今日会ったような相手の…
そこで、ふと疑問を感じる。
「…君は、誰だ?…………僕と、前に会ったことがあるのか?」
「……誰だ、とは失敬だな。僕は、」
片眉だけを綺麗に上げて名乗ろうとした時、突然顔を大きく歪め、額に手をやった。
「おい!どうした!?」
具合でも悪いのか、と心配して傍に寄ると、眉は顰めたまま目を固く瞑っている。
「翡翠…?」
そう呼ぶのが正しいのかは解らないが、恐る恐る名前を呼んだ。
病院に連れて行った方が良いのか、もう少し様子を見るべきか、と悩みつつ見守る中、翡翠はゆっくりと目を開いた。
放心したように辺りを見回すと、二度、三度、瞬きを繰り返す。
「ぁ…………?」
「大丈夫か!?頭が痛むなら、今すぐ病院に…」
「俺、今、もしかして寝てた?」
絶句。
これは何かの冗談なのか?
「…それ、新しいジョークのつもり?」
「えっ?…っていうか、いつの間に紫杏さん俺の横にいたの?」
完全に言葉を失った僕の様子に、翡翠が何か言いかけた口を閉じる。
不安げに揺れる瞳と目が合って、先程感じた違和感が何によるものか理解した。
瞳の色だ。
今は透き通ったような淡い緑だが、先刻の翡翠の瞳はエメラルドグリーンに近かった。
「いつの間に、って、」
「あれ?だってさっきまで、俺と普通に名前の話してたよね…?」
名前の話?
…それは、
君の様子が変わる直前の話だろう。
顔色を変えた僕を見て、
「…俺、今何してたの。」
僅かに震える声で、そう問われる。
「君は…」
今までのは一体、何だったんだ。
僕をからかっている?
それにしては、余りに不安そうな顔を…
いや、勿論担がれている可能性もある。
だが、これが本当に僕へのドッキリだと考えるには、今の翡翠の振る舞いは自然過ぎる。
もし演技だとすれば、恐怖すら覚えるほどに。
なら、単純に今の現象をそのまま受け取ると…翡翠は二重人格ということになるのか?
仮にそうだとして、
そのまま告げるべきか?
それとも、
気付かない振りをするべきか?
瞬き一回分程の躊躇の後、僕は翡翠に微笑んだ。
「急に寝落ちするから驚いたよ。昨日はちゃんと眠れたのか?」
「…寝て、た?ほんとに?」
「本当にも何も、君もそう言ったろ?具合でも悪いのかと思って近付いたけど、居眠りならそんなに心配なさそうだね。…あぁ、もし気分が悪いとかだったら、無理せずすぐに言ってくれよ。でも君、普段から結構こんなことがあるのか?」
翡翠の眼差しに混ざっている疑いを払拭するように、ほとんど立て板に水で話す。
体調を心配する振りをしつつ、最後にさり気なく一番訊きたいことを付け加えて、反応を窺った。
「…………いや、初めてだよ。俺、別に疲れてないのにな…」
首を軽く傾げて考え込む翡翠に、それ以上思考する時間を与えないように、わざと話を進める。
「自分でも気付かない内に疲れていた、なんてことはよくあるらしいからね。今日はもう帰った方が良いかもしれないな。」
「それは!…大丈夫、全然、うん、気分もすっきりしてるし、大丈夫だから!」
慌てて首を振り、健康体をアピールしてくる翡翠を見て少し安堵を覚える。
今は、間違いなく、普段の翡翠だ。
「そうか?なら念の為、全体的に少しスケジュールを早めるくらいにしておこうか。」
「うーん、…じゃあ、そうしようかな…」
渋々、といった感じで頷いたのを見て、僕は元居た場所に戻った。
内心で目まぐるしく錯綜する様々な思いは悟られないように、ポーカーフェイスの下に覆い隠す。
普段、他人の顔色ばかり窺って生きるのは疲れもするが、こういう時は苦労しなくて済むから良い。
氷の融けかかったグラスにアッサムを注ぎながら、水面に揺らめく頼り無げな翡翠の顔を注視する。
…さて、これからどうしようか。
【Continued.】




