朧古道
自分が忘れられている。
その事に気付いたのは、つい最近の事だった。
元々自分は、人付き合いの得意な人間ではない。
また、両親が死んでからはその遺産のみに頼り、殆ど引き篭もりの様に生きてきたから、最初はそのせいかと思っていた。
しかし、すぐに私は、その忘れられ具合が尋常でない事に気付いたのだ。
アパートの隣の部屋の住人や大家。
それなりに顔を合わせていた人からすら、私という存在を忘れられていた。
“誰かいるのは解るが、それが誰だったかは知らない。”
世間的には、その程度の存在になってしまったらしい。
その事を知ってから私は怖くなって、かつての知り合いに、片っ端から当たってみた。
しかし、安心したいが為にしたその行為は、不安を絶望に変えただけだった。
元々自分をよく知る両親に一挙に死なれ、傷心であった所にこの仕打ち。
一体自分が何をしたのか、とこんな運命を用意した神に問うてみたくもなる。
特に何をするでもなく、私は今日も町をぶらつく。
すれ違う人々は、私の方に一瞥もくれないで何処かへと消えていく。
普通であれば気にも留めないだろう。
けれども今の私には、それさえもが辛く感じた。
果たして彼らに、私が見えているのだろうか。
最早自分が、見えてすらいないのではないか。
そんな風に、思ってしまうのだ。
彼らに縋り付いて聞いてみたくなる衝動を抑えつつ、私は更に、町を行く。
やがてこの町の中心部...、ちょっとしたオフィス街に辿り着いた。
過疎の進んだこの町でも、此処ではそれなりの数の人に会うことが出来る。
そこで、敢えて向こうから来る人の前に立って歩いてみる。
避ける素振りも見せない私に対して、相手は自然に道を譲ってくれた。
それが少し、嬉しかった。
最近は、こんな生活の中にいる。
気がすむまでこうやって、自分の存在を確かめつつ町を歩いているのだ。
そんなこんなでやがて日も傾き始めたころ、私は食事の為に店を探していた。
オフィス街である為に、牛丼屋等、食事処は揃っている。
しかし、女の身で、一人でサラリーマンだらけのそれらの店に入るのには少し抵抗がある。
今日もコンビニで適当に買って食べようか。
そんな事を考えている時だった。
ふと、一つの看板が目に留まる。
と言っても、それは飲食店のものではない。
“怪異・霊障専門”
そんな文字の書かれた看板が、控えめに、古惚けたビルの壁に張り付いていた。
私はそういった類の話を信じる人間ではなかった。
しかし、今のこの状況。
不可解な立場に立たされた私は、それすらに頼りたい感覚に駆られた。
コンクリート製の無骨な階段を上り、途中にあった扉を開けてみる。
すると、そこにあったのは、膨大な書物。
そして、それらに囲まれた三つの机。
その内の一つに突っ伏し、眠りこけている女性。
年は...私と同じくらいか、少し上といったところだろうか。
あまりに気持ち良さそうに寝ているものだから、起こすのに気は引けるが...そうも言っていられない。
私は声をかけ、それでも反応がなかったので少し揺さぶってみる。
すると、漸く彼女は目を開けた。
「ああ、ハイ、こちろぁ原江怪異専門事務所...。妖、怪何でも御座れ...。」
寝惚けているのか、呂律の回らないまま、彼女はそんな口上を述べた。
私はなんて答えたら良いのか解らず、暫し固まる。
目を擦り、やがて頭がはっきりしたのか、赤くなって私に詫び、佇まいを直す。
彼女は自分を原江宮比だと名乗る。
この事務所の名前から、彼女が所長なのだろうか?
まだ若いのに、何て立派な事だろうか。
自分を省みて、劣等感を感じずにはいられない。
「一体、どのような事にお悩みで?」
私は今自分に降りかかっている、不可解な事象を説明した。
何故か自分が、知り合いに忘れ去られている。
その事に、困っていると。
「...ふむ、いつ頃からその様な事に?」
それは...はっきりとは言えなかった。
気付いたのが最近であり、もしかしたら、事象自体はもっと前からだったかもしれない。
解らないだらけ、推測だらけで申し訳なかったが、正直にそう伝えた。
「では...それ以前にも何か不可解な事象に遭われた事は?」
言われて、反射的に無かった、と言おうとする。
いや、そう言えば思い返せば──。
一つだけ、おかしな事があった。
あれはそう、丁度両親が亡くなった時の事だ。
葬儀も済み、一段落ついた頃、過去の思い出に浸りたくて、子供の頃親と行った事のある場所に、手当たり次第、訪れてみた。
公園とか、遊園地とか、兎に角見境なく、色々な場所へ。
そして最後に、よく散歩がてらに歩いた山道を歩いてみたのだ。
すると、そこに見慣れないものがある事に気付いた。
鳥居。
神社の入り口にある、あの鳥居だった。
こんなところに神社等あっただろうか?と不思議に感じ、私はそこに足を踏み入れる。
鳥居の先は道が果てしなく、緩やかに、けれども確実に上向いて続いていた。
両脇に大きな杉の立ち並ぶ、杉並木の道だった。
それらの根が階段の様な役割を果たしていて、登りやすくはある。
そこからとりあえず進んでみるも、しかし一向に先は見えてこない。
一時間...二時間は歩いてみただろうか。
いつの間にか霧が濃くなっており、視界が悪くなっている。
振り返ってみるも、当然鳥居は見えなかった。
しかし更に道は続いている。
いつもの山道であれば、30分もあれば終わってしまうくらいに短いものだ。
山容自体、そこまで大したものでもない。
流石におかしいと感じた私は、来た道を引き返す。
けれども既に体力の多くを使ってしまっていた私の疲労はかなりの物だった。
特に、喉の渇きが凄まじい。
その時、丁度杉に挟まれる様にして生える植物に、赤い実がなっているのを見つけた。
私は喉を潤す為に、一つ捥いで口に入れてみる。
毒があるかも、とかは考えなかった。
結果としては酸味が強く、美味しいものでは無かった。
けれどもそれは、喉を潤すという役目は果たしてくれた。
そんなこんなで何とか最初の鳥居にたどり着き、無事、帰ってこれた訳だが...。
「...成る程、“朧古道”か。」
私の話を聞き終わると、彼女は一言呟いた。
それは何かと問うと、彼女は丁寧に教えてくれた。
「言わば、“あの世とこの世を繋いでいる道”です。例えば、島根出雲の黄泉比良坂、京都宮津の天橋立。...かつて現世を別の世界と結んでいた道は、今も日本中に残されていますが、その中には中途半端な状態の道もありましてね。」
中途半端?
彼女の言葉の意味が解らず、私は自然に首を傾げる。
「...まあ、“その内あの世から外れてしまうだろう道”、とでもいいましょうか。先程言った通り、霊道というのは必ずしも永久不変ではありません。理由は未だわかりませんが、いつかはあの世に繋がらなくなるのです。そうやってあの世からズレかけた霊道は使われなくなってしまう。だから古道と呼ばれる訳ですな。」
つまり私が迷い込んだのはかつて死者があの世へ行くのに使っていた道であった訳だ。
その事はやっと理解する。
しかし、それが私の現状にどうつながるだろうか。
「...これはちょっとまた別の話になりますが、貴女は黄泉竈食を知っていますか。」
また別の単語が出てきた。
全くもってこういう話には疎いので、これも彼女の説明に頼るしか無かった。
「別の世界の食べ物を食べた人間は、その世界の住人になってしまい、現世に帰れなくなってしまう、という現象の事です。つまり貴女は朧古道で赤い実を口にしてしまったが為に、普通の人間でなくなりかけている....のだとは思いますが...。」
そこで彼女は言葉を濁す。
どうかしたのか、と聞いてみると、難しい顔を見せた。
「正直に言って、周囲から存在を忘れられるというのは聞いたことがありません。これは私の推測でしかありませんが...ここに朧古道の曖昧さが関係しているのだと思います。あの世からズレかかっているが、完全に外れている訳ではない。その特殊性があの世でもこの世でもない曖昧な世界を創り出し、貴女はそんな、曖昧な世界の食べ物を食べ、その住人になってしまった。曖昧な存在となってしまったが故に、そんな異変が起きている...そうは考えられませんか。」
辻褄が合う様な、そうでもない様な。
兎に角私に言われても、理解する事は難しいだろう。
詰まる所重要なのは、このままだと私はどうなってしまうのか、ということだ。
「...おそらく、最悪の場合、貴女という存在が消え去ってしまうことも有り得ます。」
何となく予想はしていたが、辛い一言だった。
このままでは私が生きた事実さえ消え去ってしまう。
それは、単純な死よりも残酷に思えた。
「まだ推測が多くて何とも言えません。兎に角、調査をしてみないことには...。今しばらく、時間を下さい。後日、追って連絡します。」
との事だったので、私は連絡先を教え、一先ず自宅に帰った。
自分が消えるかもしれない、という恐怖と戦いながら過ごすのは、大変だった。
それでも、彼女が助かる方法を見つけてくれるだろうと言い聞かせ続けた。
1日、2日と過ぎる。
そこまでは、大丈夫だった。
3日、4日。
何とか、耐えた。
しかし5日6日と過ぎ、ちょうど一週間経った頃、連絡がないことに耐えられなくなった私は、再びあの事務所に足を運んだ。
兎に角、安心がしたかった。
もう大丈夫だと、思いたかった。
この前と同様に階段を駆け上がり、ドアノブに手を掛ける。
一瞬、言い様のない、嫌な予感がした。
それは扉を開けることを躊躇わせる程のもので、私は暫し、そこに立ち尽くす。
どうしてだろう、この向こうには、絶望しかない気がして。
嫌な考えを、頭を振って振り払う。
最近、悪いことしか無かったから、そういう事をすぐ考えてしまうんだ。
ドアを開く。
その先にあったのは、膨大な書物。
三つの机。
その内の一つで突っ伏して眠る、女性。
どくん、と鼓動が高鳴る。
私はその側に近寄り、声を掛ける。
返事はない。
更に近寄り、肩を叩く。
彼女が起きる。
そして、口を開いた。
「...ああ、ハイ。こちろぁ原江怪異専門事務所...。妖、怪何でも御座れ...。」
聞き覚えのある、呂律の回っていない口上。
更に鼓動が高鳴る。
目を擦り、赤くなって、謝る彼女。
見覚えのある光景を経て、彼女はまた口を開く。
ああ、やめて。
その先の言葉を、言わないで。
お願いだから──。
「一体、どの様な事にお悩みで?」
頭の中で、何かがぶつりとちぎれる様な音がした。
それは希望の絶たれた音か、正気を失った音か。
私は、その場から走り去る。
疲れる事を気にもせず、ただただ全力で走った。
今の私は、私が私であるままに死ぬことしか考えられなかった。
このまま無為に消えるより、人のままに、死にたいだけ。
消え去る事が、何よりも怖かった。
目に、踏切が映った。
信号が赤く光り、丁度電車が来ることを知らせている。
──間に合え。
私が、消える前に。
残された力で走って、踏切の遮断桿を潜る。
そして、線路の上に立った時。
目の前に、電車があった。
その事に安堵し、ふと、笑みが零れる。
ああ──これで私は──
人であるまま、死ねたのだ──。
「ねえねえ、夕子ちゃん。今日の放課後、空いてる?」
「うん、空いてるけど...部活?」
「うん。これは昨日聞いたんだけどね、芝留町の踏切で突然線路に女の人が入ってきて、電車が急停車したんだって。でも、間に合わなかったらしくて...。」
「え?自殺?そんなニュースあったっけ。」
「ううん、それがね、見ていた人によるとね、確かに轢いたと思った瞬間、急にふっと消えたんだって!電車が止まってから調べても、死体どころか血も見つからなかったらしくて、見間違いだろうって大事にはならなかったんだけどさ...。」
「へえ。何だろう。幽霊だったのかな。」
「それを調べるのが究明部の仕事ですよ。そういう訳だから、宜しくね〜。」




