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ものもらい(後編)

「それで...犬部がその女官の末裔だとしてだ。どうすればいい?」


情け無い事ではあるが、私にはどうすれば良いのかわからなかった。

蠱毒は専門外...という言い訳も出来なくは無いが、それにしても自己嫌悪だった。

尋ねられた和男は、難しい顔をみせる。


「...自分で言っておいてなんだが、正直この仮説には自信はないぞ。」


「良いから話してみろ。兎に角この現状、仮説でもなんでも取らなきゃあ動けんからな。」


「...じゃあ言うが、あの家が蠱毒使いの家系であった場合、気になるのは当主の奇行だ。一度言ったように、それは憑き物の可能性があるんだが...。」


私はそこで、和男の言いたい事を理解した。

蠱毒を使う者はその性質上、憑き物には詳しいものだ。

それがなぜ、あんな風になっているのか。

その事に対する仮説も和男なりにあったようで、続きを述べ始める。


「考えられるのは、あの家が蠱毒に呑まれてしまった、という事だな。」


「呑まれる?」


「蠱毒だって、ただ利用されるだけじゃない。奴らは飽くまで、妖怪には違いないんだ。一歩誤れば蠱毒を使うものが呑まれる事はあるし、実際例も少なくない。」


仮説が正しいとした場合、犬部の家はいつからか蠱毒に乗っ取られてしまったということか。

まさにミイラ取りがミイラになるような話だが...。


「蟲によるが呑まれた家は大概、ただその種の存続に利用され続けることが多い。即ち、親から子へ、子から孫へと蟲に寄生され続けるって事だ。」


「...なるほど。自信が無いとか言う割にゃ、中々良い線行ってるんじゃないか?その説。」


当主の奇行に加え、その家が後継探しに躍起になっている理由も説明が出来る。

例えば後継が現れなければ蠱毒も死に絶えるとしたなら、そりゃ必死になると言うものだ。

しかし…


「信奉者達の存在がまだよく解らんな?古代から伝わる家だから、貴いとして皆盲目的になってるのか?」


彼等が犬部に尽くす理由はなんなのか。

思い当たる節は、強いて言えばそれくらいなものだ。

しかし、落合さんに対する行動を考えると、やはり異常…。

犬部の家が続くことで得られる利益があるなら、まだ理解できなくもないが…。


「………。そういえば、落合さんは信奉者の家は皆、犬部の家に近いと言ってたな。」


何か思い当たったのか、和男は呟く。


「ああ。後、子が生まれた時にあの家に行くとかも言ってたな。」


「...あまり考えたくはないが、信奉者達も蠱毒に取り憑かれてる可能性もあるかも知れないぞ。地理的な近さを利用したり、赤ん坊の時に蠱毒を憑かせたりしてるのかも。」


和男のその言葉は、私には予想外のことだった。


「ちょっと待て。だが昨日の奴らは特に異常も見られなかったじゃないか。」


百合奈ちゃんに対する執着心は置いておいて。

一挙手一投足、不自然なところは見られなかったはずだが...。


「当主のような奇行が顕著になるのは、余程蠱毒の憑依が深部にまで来た場合だ。例えば...まあ自分に都合の良いような手駒にする為にちょっと行動を繰る程度であるなら、異常は見られない...と思う。」


尻すぼみ気味に、和男は仮説を纏めた。

つまりは、蟻や蜂の生態を考えれば良いのかも知れない。

犬部という女王のために、信奉者という働き蟻が手となり足となっている、と。


「...やっぱり、自信は持てないな。推測が多すぎる。」


首を横に振りつつ、和男は目を伏せた。

確かに、このままでは信頼するに足るものではないだろう。

しかし...。


「なら、証拠を集めれば良いだろう。」


そんな和男に、私はそう提案した。


「だが俺たちは身動きが取れないんだぞ。」


「いや、私たちが動く必要はなかろう。向こうから来てくれる。」


私は思いつきの作戦を説明した。

この家には、頻繁に信奉者が押し掛けてくる。

そこを利用しよう、というものなのだが、尋ねてきた彼らといつものように落合さんにはやり取りをしてもらった後、止む無しといった体で家に信奉者を上げてもらう。

そして次に、何か理由でも付けて家の中で待ってもらう状況を作り出す。

そこへもてなし...という訳でもないが、飲み物でも出す。


「その飲み物の中にお前の茗荷なり蠱毒なりを入れときゃあ、信奉者が本当に蠱毒に憑かれてるんなら変化が見られる筈だろう?」


「...まあそうだな。経口摂取さえすれば、効き目はすぐにでも現れる筈だが。」


そんな上手くいくかね、と言いたげな目をこちらに向ける。

確かに不確定要素の多い、穴だらけの作戦には違いない。

家に上がりこんでくるか。

家の中で待ってくれる状況を作り出せるか。

出したとして、飲み物を飲んでくれるか。


「それに盛る薬の種類も問題だぞ。例えば蠱毒に憑かれてたとして、茗荷だけじゃ祓えないし、天敵の蠱毒じゃなかった場合も意味がない。それどころか一服盛ったことを悟られて余計マズイことになる可能性もある。」


何が憑いてるかもわからないのに薬を盛るのは危険だと、和男は言いたいらしい。


「兎に角、俺たちだけで話すのも何だし、落合さんにも聞いてみたほうが良いだろう。」


この作戦を採るにせよ、落合さんに協力を仰ぐ必要があるし何より彼らに危険が降り掛かる恐れもある。

それもそうだと納得した私は和男と一緒に一階に降り、就寝の準備をしていた彼の部屋に入る。


「すみません、落合さん。少し話したいことがあるのですが...よろしいでしょうか?」


「あ、はい。大丈夫ですよ。」


返事を貰ってから部屋に入ると、敷布団の上に落合さんと百合奈ちゃんが座っていた。

流石に彼女の存在は予想外であったので、少し面喰らう。

彼女の部屋は2階にあるとのことだったので、てっきりそこにいるかと思っていたのだ。

最近不安な事が続いてるから、それを紛らす為に父親と寝ているのかもしれない。

私たちを見るとちょっと驚いた表情をする。

それでも慣れてくれたのか、不意の来訪に父親の背に隠れはしないで小さく頭を下げてくれた。


「おい、どうする?」


「何が?」


「百合奈ちゃんにも話すのか?」


和男は話し合いに彼女を混ぜるかどうかで迷ったらしく、そう言った。

私も少し迷ったが


「...そうだな。彼女も当事者であるし、説明する必要はあるだろう。」


と考え直し、百合奈ちゃんも含めて先ほどの話を二人に話した。

蠱毒のこと。

仮説のこと。

そして、作戦のこと。

余すことなく話したせいか、二人とも混乱しているようだった。


「仮説のことは置いといて良いです。まだまだ分からない事が多いので。ここで一番重要なのは作戦の方です。」


落合さんはそれを聞いて、少し俯く。


「...私に上手く、出来るでしょうか。」


落合さんはその事が心配であるようだった。

確かにこの中で一番重きを為すのは彼だから、それだけ、重責を感じているのだろう。


「彼らはとにかく、焦っています。例えば落合さんが少しでも妥協する素振りでも見せたなら、誘いに乗るくらいはしてくるとは思います、が…。」


偽りであっても、相手の言い分を呑む。

もしかしたらそれは、落合さんにとって厳しい事であるかもしれない。

暫く深刻そうな表情を浮かべながら考えていたが、やがて


「…わかりました。この次、彼らが来たときやってみます。」


と言ってくれた。

彼の決断に謝意を表し、私たちは2階に戻る。

ふと部屋の時計をみると、もう12時に近い。


「流石にそろそろ寝るか。明日も何があるか分からんしな...」


中断していた寝る支度を再開し、歯を磨いて布団を敷く。

そして、部屋の明かりを消してから、ふと外を窓から見下ろしてみる。

元々少ない家々の中で、明かりの付いている家はない。

ただ、何本かの街灯がその足元を照らしているだけだ。


「ん...?」


私の視線はそのうちの一つの足元に釘付けになる。

何かがいる。

乱れた長髪。

骨張った細い手足。

街灯との比較から、随分と小躯であることも分かった。

それは動くでもなく、光の元に佇んでいる。

俯き気味なせいか、顔は見ることは出来ない。


「どうした宮比?なんか見えるのか?」


「見てみろ和男。...当主様のお出ましだぞ。」


和男が窓を覗くと同時にそれは動き出す。

そしてふらふらとした足取りのまま、山の方へと消えていった。





落合さんの言った“次”は、存外早くにやってきた。

と言うのも、翌日にまた信奉者が押し掛けて来たためだ。

昨日の今日というこの素早さ。

彼らの焦りを垣間見たような気がした。

落合さんが出るなり、昨日と同じ口上を述べ始める男性。

恐らくは昨日と同じ人...だと思う。

推測であるのは、私たちがいるのが昨日と違って一階の一室である為だ。

ここから玄関を覗くのは出来なくはないだろうが、顔を出さざるを得ないため、向こうからも見える可能性が高い。

だから襖越しに音を拾うことしか出来ないのだ。


「...わ、分かりました。ですが、これ以上のことを話すのに立ち話では何ですから、続きは家の中でするのはいかがでしょうか?」


暫しの会話の後、圧されたかのように落合さんは言った。

それに対する相手の言葉は...


「良いでしょう。こちらとしてもそれは望むところです。」


即答だった。

少しでも歩み寄ったことが、やはり相手には嬉しかったらしい。

第一関門をすんなりと突破し、落合さんたちは私たちの籠る部屋の前を通って、居間の方へと入っていった。

私たちの部屋は廊下側と、そして居間の方にも襖があり繋がっている。

何故この部屋にいることにしたか、という最大の理由はまさにそれ。

万一、盛った蠱毒が天敵で無かった場合、もしくはそもそも蠱毒に憑かれていなかった場合、すぐに私たちが出て取り押える、という手筈だった。

予め開けておいた襖の僅かな隙間から居間を覗くと、信奉者の男性がこちらに背を向けて座っているのが見えた。

注意深く居間を見回してみるも、落合さんと彼以外に影は見当たらない。

どうやら今回は都合のいいことに、一人で来ているらしかった。

やがてお茶を淹れ終わった落合さんが、それを男性の前に置く。

勿論それには和男が事前に渡しておいた茗荷と、蠱毒の粉末も仕込んである。

今回選んだ蠱毒は、蟾蜍せんじょ...即ちヒキガエルだった。

ヒキガエルであればほぼ全ての虫にとっては天敵になりうる、と言うのがその理由だ。

相手に憑いているのが蛇でもなければ大丈夫とのことだが...。

そして第二関門は直ぐに突破した。

寒かったからか、それとも喉が渇いていたからか。

或いはその両方か、男性は直ぐに湯飲みを口に付け、お茶を飲んだのだ。

私と和男の視線は、男性の背に注がれる。

そしてそれとほぼ同時に、男性は弾かれたかのように椅子から立ち上がり、もがき苦しみ始めた。

何らかの蠱毒が憑いているのが確実となった私たちは部屋から出、不測の事態に備える。

落合さんはというと、居間の隅で、信じられないというような表情のまま、その光景を捉えていた。

しかし、更に信じられないことが起こったのはその直ぐ後。

男性の口や鼻、頭部にある穴から、何匹かの小さな蟲が這い出てきたのだった。


「蜘蛛だ...!」


そう呟いた和男の行動は素早かった。

立ったまま痙攣するだけの男性の元に駆け寄ると、それらの小蟲を小慣れた手つきで捕まえていく。

咄嗟のことに数秒遅れた私が近づいた時には、和男は全ての蜘蛛を瓶の中に閉じ込めていた。

と、それと同時に男性は糸の切れた傀儡の如く、急に力を失いその場で倒れそうになる。

すんでのところで抱きかかえると、彼の意識は既になくなっていた。

とりあえず、居間の床に寝かせてみるも、一向に目覚める気配はない。


「だ、大丈夫なんでしょうか...?」


いつの間にか側まで来ていた落合さんが恐る恐る言う。


「呼吸はしていますし、そう思いたいですが...。」


出来るのなら医者に見せたいところだが、生憎この集落に病院なんて気の利いたものはない。

村の方に行けばあるだろうが、かといって迂闊に動ける現状でもない。

となれば、今頼りになるのは和男だが...。


「おい、和男。この人はもう大丈夫なのか?」


「...ん?ああ、どうやら思っていたよりも深く憑かれていたみたいだが、大丈夫だろうよ。少しばかり荒療治が過ぎただけだと思う。そのうち意識は戻るだろう。ただ...。」


そこで言葉を濁す和男。

何か気になることでもあるのか。


「...宮比。こいつを見てみろ。」


そう言って投げ渡してきたのは先ほどの小瓶だった。

受け取り、中身を見てみると...


「...死んでるのか。」


「ああ、体内から這い出てまだ数分...どうやらそういう蠱毒らしい。」


そういう、というのは体内から出ては長く生きられない、ということなのだろう。

瓶の中の小蜘蛛は5匹。

そのどれもが八本の足を上に向けて事切れている。


「思い当たるような蠱毒はないのか?」


「...ないな。蜘蛛の蠱毒は種類が多いが、こういうのは聞いたことも見たこともない。多分失伝した古代の蠱毒の一種だろう。」


この隔離された集落の中で古代より続いてきた巫蠱ふこの家、犬部家だからこその蠱毒と言える訳か。

しかし、これではっきりした。

信奉者も含め、この集落は深くまでこの蟲に巣食われているという事が。


「お前の仮説、随分と真実味を帯びてきたんじゃないか?原因が蠱毒なのは確実、となれば解決の糸口も見えてきた訳だ。」


「まあな...それに、“ものもらい”の儀とやらの事も想像がついた。」


さっきまでとはうってかわり自信気に言う。

蠱毒については役立たずな私と、非現実的な事を目の当たりにしてまだ戸惑っている落合さんに説明をしだした。


「恐らく“ものもらい”というのは、“鬼貰ものもらい”という意味だろう。ここでいう鬼は現代、世間一般で言う角のある鬼じゃなく、古代での用法...つまりは異形、更に正確に言えば、この蜘蛛の蠱毒の事だ。」


和男は瓶の中の死骸を指す。


「となれば、ものもらいの儀はその言葉の通り、この蜘蛛の蠱毒を受け渡す儀式である、という事は容易に想像がつく。つまりこいつらは、あの当主から次の当主...百合奈ちゃんに蠱毒の母体を移そうとしているんだ。」


隣の落合さんがそれを聞いて青ざめる。

自分の娘がこんな得体の知れないものに寄生されるとなれば、当然だろう。


「ど、どうすれば...良いのでしょうか...?」


「...どうするもこうするも、犬部の当主に憑いている母体を祓わない限りはどうしようもありません。」


やはり、そうなるのか。

しかし信奉者達にも蠱毒が憑いていると判明した今、そっちもどうにかしないとならない。

和男にその事を問うと


「大概こういう、母体がいて子供を手足のように使うってタイプの蠱毒は母体さえ祓えれば、子供も死に絶えるもんなんだ。だから母体をなんとかするのを優先したほうが良いんだよ。女王蟻がいなくなれば、その巣の働き蟻が死に絶えるのと同じようなもんだ。」


とのこと。

それならそれで、私は何も言う気はない。

...女王蜂のいなくなった蜂の巣は、次代の女王を作り出すというが。

そちらでない事を祈っておくとしよう。


「まあどちらにせよ、急いだ方が良さそうだな和男。儀式とやらもそうだが、この人が帰ってこない事を家族が不審がって、ここに押しかけられちゃあどうしようもなくなる。」


「篠川さんは確か、独り住いのはずですが...。」


「...そうなんですか?」


「はい。こんな小さな社会ですから、大体の家の家族構成はわかるんです。篠川さんは、確かそうでした。」


それなら多少の猶予が生まれるが、それでも1日が良いところだろう。

時間が経てば経つほどに、隣家の住人が不審がる筈だ。


「...流石にいつ目が覚めるかまでは分からんよな?」


「そうだな。思ったより深い憑き物だったし、下手すりゃ今日明日はこのままかも。」


「...となれば、やっぱり今夜中に何とかしなきゃならんのか。」


何とも慌ただしい1日であることか。

追い込んでいるようで、追い込まれてもいるような気分だった。





やがて夜は更け、更に時間的な余裕は少なくなっていく。

そんな中、私達はというと張り込みをしていた。

犬部の当主は、夜に一人で山に入っていくという。

言い換えれば最も彼女が無防備になる時であるという事だ。

流石に信奉者の家に囲まれたところでは、手も足も出ない。

なら、そこを狙おうというのは当然の発想だった。

しかし...。


「流石に冬の夜に張り込みは辛いな...。」


寒風が身を切るように思えるくらいだ。

勿論幾らか着込んではきているが、動きに支障の出ない程度だ。


「早く当主が来ないと風邪ひくなコレ。っつーか良くこんな中、山に入っていくな当主。」


鼻を啜りながら和男は言った。

別に昨日のように家の二階で見張る手もあったのだが、それだと見失う可能性がある。

確実性を求めた結果、この身体を張った張り込みになった。


「宮比、今何時だ?」


「...11時を回ったとこだ。」


落合さんの言う通りなら、そろそろ目の前の本道を通る頃だが...。

腕時計と本道を交互に見ながら、そんな事を考えていると


「おい、宮比...頭下げろ。」


和男の低い声に、反射的に身を屈める。

幸いこの辺りには、身を隠せる障害物が多い。


「...来たのか?」


「ああ、二つほど向こうの街灯の下にな。」


一本一本の街灯の間には結構な隔たりがある。

その上、あのふらついた足取りだ。

そのせいか、次の街灯の下に現れるのに時間がかかった。


「...なるほど。間違いなさそうだな。」


そこでやっと相手を捉える事ができた。

昨日見た通りの、さながらミイラのような風貌だ。

手筈は、大した事はない。

彼女が山に入っていくのに付いて行き、頃合いを見計らって捕らえ、蛙の蠱毒を投与する。

最早時間がない為にただの力押しでしかないが、だからこそやりやすいとも言える。

やがて彼女は本道を外れ始め、道なき道を歩み始める。

当然街灯もないため視認し辛くなるが、暗闇の中暫く張り込みをしていたため、目はとうに慣れていた。

一応懐中電灯は持って来たが、相手に覚られる危険が大きいため、精々足元を照らすくらいの用途しか考えてはいない。

和男に手振りだけで追跡を開始する旨を伝え、二人身を屈めたままに歩み始める。

対象は目的地もないのか、ただ真っ直ぐに坂道を登っていく。

勿論枯木や岩などがあるため、視界を遮られしばしば見失いそうになる。

例えばこれが草木生い繁る夏場などであったら、もうそうなっていただろう。

それから、追跡が始まって十数分が過ぎた頃だろうか。

そろそろ距離を詰め、一気に捕らえようとした時だった。

当主が急に方向を変え、何かの物陰に隠れてしまったのか、急に視界から消えてしまったのだ。

呆気に取られながらも直ぐにそこへ向かうと、山の斜面から突き出る巨岩があった。

どうやらこれを隠れ蓑にされたらしい。


「おい、どうする。まさか尾行を覚られたのか?」


「いや、まさか...。」


距離は十分に離していたつもりであるし、光にも細心の注意を払っていたはずだ。

...まさかとは思うが、篠川さんについていた蠱毒が抜けた事で、母体に覚られてしまったのか。

しかし相手は未知なるあやかし

そんな力もあったのかも知れない。

老婆であると甘くみ過ぎたか。


「とにかく、仕方ない。手分けして探そう。」


時間が惜しい今、悠長な事はしてられない。

私は和男と別れ、巨岩のある場所から斜面を登っていく。

しかし行けども行けども見当たらず、物音がしたと思っても小動物しか出てこない。

和男の担当した、下った側に行ったのか。

それともこの何処かに潜んでいるか。


(やむを得ん。どうせばれてるなら、使っても一緒だろう。)


そう思い、腰に下げていた懐中電灯を手に取り、スイッチを入れた時だった。


「っ!!?」


ずしん、という衝撃がのしかかる。

不意であるのも相俟って、私はあっけなく地面に倒れ込んでしまう。

...何かが自分の上に馬乗りになっている。

何か。

そんなもの、今のこの状況を考えれば一つしかないだろう。


「犬部の...当主....!」


右手の懐中電灯が、その顔を照らし出す。

乱れた髪に、痩けた顔に、大きく血走った目。

数多の妖怪を見てきた私でさえ、恐怖を感じる。

恐らく木の上にでも潜み、真下に私が来るのを待っていたのだろう。


「ぐ...!」


突然、呼吸が出来なくなる。

気道を強い力で締め上げられているのだ。

渾身の力でもって抗うも、まるで敵わない。

骨と皮だけのような腕とは思えない力だった。


「う...!」


段々意識がぼんやりとしてくる。

このままでは窒息するかその前に首の骨が砕けるかのどちらかになりそうだった。

そして...2度目の衝撃が、私を襲った。

しかしそれは先程のものよりは強くなく、それと同時に呼吸が出来るようになった。

咳き込みながら身を起こしてみると、目の前に和男がいた。


「大丈夫か、宮比!?」


「和、男...?」


まだうまく出せない声が、掠れて途切れ途切れになる。

何故お前がここにいる。

当主はどうなった?

その疑問は声には出来なかったが、和男は察してくれたらしい。


「いや、たまたま下の方から見たら、お前の懐中電灯の光が激しく動いてるところだったから、何かあったんだろうと思って来てみたんだよ。そしたらやばそうだったから、体当たりを食らわしたんだ。」


視線を動かすと、さして遠くない位置に当主が転がっていた。

流石に和男の巨体にぶつかられては、なす術なく吹き飛んだようだった。


「悪い、恩に着る…。」


「気にすんなよ。無事ならそれでいい。」


…何だか、和男が頼もしく見える。

寧ろ、格好良くすら見えてくる。

いや、今はそんなことを考えてる場合ではないが…。


「おい、宮比!あいつ逃げるぞ!」


見るといつの間に立ち上がったのか、こちらに背を向け闇の中へと駆けていく当主の姿があった。


「逃がすか、この…!」


今までさんざしてやられてきた個人的な感情と、落合さん達にしてきた事に対する怒りが私を駆り立てる。

それゆえになにも考えないまま、私は全速力でその後を追った。


「あっ、おい、宮比!」


遅れて和男も駆け出す。

しかし、この山の中。

木々やその枝、岩等、身を遮るものが数多い。

純粋な足の速さでは和男が優るだろうが、それらがその巨体の邪魔をするのだ。

比べて小柄な私と当主は、その有利さを生かしてどんどん和男を引き離していく。


「待て、おい!止まれ!」


どんなに声をかけようとも、当主は奇声を上げるだけで足を止めようともしない。

老婆であるとは思えない速さで駆けていく。

そのうち、山を歩き慣れているかの差が出てきたのか、私と彼女の間の距離が開き始めた。


(こんなとこで逃して堪るか…!)


それでも私は意地で食らいつく。

まだだ、まだ追い付ける。

残った力を振り絞り、地面を蹴った時だった。

突然、追いかけていた背が消えた。

まるで地面に吸い込まれたかのような消え方だった。

一瞬、何が起こったのかは解らなかったが、咄嗟に手近の木の枝に手を伸ばす。

掌に起こる、鋭い痛み。

千切れるんじゃないかと思うくらいの衝撃が、腕の付け根に掛かる。

しかしそのお陰で勢いを殺すことが出来、私は寸でのところで立ち止まった。

見ると、すぐ先が崖になっている。


(当主は…!?)


すぐさま、懐中電灯でもって下を照らす。

そして、私は見てしまった。

明かりに照らされる、当主の顔。

それが、岩肌に打ち付けられ、水風船が割れるような音を立てながら砕け散る。

血と共に撒き散らされたのは、脳漿ではなく──

数千にも及ぶだろう、蜘蛛の群れだった。







「ああ、これでやっと帰れるな。」


来井の村の、駅の前。

私の隣で和男がそんな気の抜けた言葉を吐く。

思ったよりも長引いた仕事が一先ず終わったことに、安堵したのだろう。

今、私や和男、そして落合さんと百合奈ちゃんで電車を待っているところだった。


「あのな…これからまだやることがあるんだからな。そこ忘れるなよ。」


あの後…当然ながら、犬部の当主は死んでしまっていた。

体外に無理矢理な形で飛び出した蜘蛛達もまた同様。

崖下に広がっていたのは、凄惨な光景だった。

勿論そのままにしておくわけにはいかないので、警察やら救急やらに連絡を入れたのだが…。

つまるところ、私たちを待っているのは事情聴取など、また大変な事なのだ。

受けるのは初めてではないものの、だからこそ気が重くなる。

一体、なんて説明すれば良いのやら。

…今回の事件は、世間には奇異なるものとして映るだろう。

脳の無い死体が見つかり、そしてほぼ同時に、近くの集落で大勢の人間が一度に気を失った、という謎の事件として。


「まあ…お前の言う通り、母体が消えることで全滅するタイプで助かったな。」


「言ったろ?蠱毒の事に関しては任せろってな。」


得意気になる和男に、私はなにも言い返す事はできない。

今回は散々、コイツに助けられたのだから。


「本当に、この度は有り難うございました。なんとお礼をすればいいのか。」


「…いえ、そんな。当たり前のことをしたまでですし。」


これは落合さんの、何度目のお礼の言葉だろう。

彼は昨日、帰ってからずっと、事あるごとに私たちにそう言うのだ。

…果たして、和男はともかく、私にその言葉を受ける権利はあるのだろうか。


「宮比。まさかお前、当主の死に対して責任でも感じてるのか?」


元気がないとでも感じたのか。

和男がそう尋ねてくる。

私はそれに対して否定も肯定もしなかった。

ただ、沈黙を保った。


「言っとくがな。あの当主の憑かれ方じゃあ、例え蛙の蠱毒を投与したところで助からなかった筈だ。いやそもそも、彼女は何十年も前に“ものもらい”の儀を終えたときから、死んでいた。それ以降は、あの蜘蛛の傀儡人形でしかなかったんだ。」


慰めるような調子で、和男は言う。

何だか、いつぞやの立場が逆転したかのよう。

私はとりあえず、ああ、とだけ返事をする。


「百合奈ちゃんを救えたんだ。それだけじゃなく、あの集落の多くの人を助けることができた。それで良いじゃないか。」


私の肩に腕を回し、顔を近づけてそう締めくくる。

…殆どはお前のお陰なんだがな。

その言葉は飲み込み、また私は相槌を打つ。


「まあ、俺が言えるのはこれだけだよ。借りは返したからな。」


やっぱり、あのときの事を和男は意識していたらしい。

絡めた腕を外すと、後は何も言わなくなる。

…分かってはいるつもりだったが。

やはり、命とはかくも重いものなのだと感じた。

何回経験しても、この重さには気が滅入る。

やがて、そんなこんなで乗る電車が駅に着く時間が近くなる。

もうホームにいかないと、乗り遅れるかもしれない。

次に来る電車はかなり時間が離れているから、逃すわけにはいかないのだ。


「あの」


構内に入る寸前、背後から声をかけられる。

それは、まだ幼さの残る声。

振り返ると案の定、百合奈ちゃんだった。


「あの…有り難う、ございました。」


言って、頭を下げる彼女。

そういえば、声を聞いたのは初めてだ。

それが、お礼の言葉になるなんて。


「…どういたしまして。」


精一杯の笑顔を添えて、二人に手を振る。

…和男の言う通り、過去の自分の言った通り、今は、救える命を救えた事に喜ぶべきか。

そんな事を考えながら、私たちは来井の村を後にした。



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