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蓑虫藤次 (前編)

気付くと、そこは鬱蒼とした森の中だった。

光はほとんど届かず、視界は酷く狭い。

徐々に目が慣れるに連れ、私は自分が一本の木の前に立っている事を知る。

それは太く、瘤多く、古木であろうことは直ぐに解った。

その古木の、頭上高くに突き出た枝の一つから、実の如く垂れ下がる物があった。

いや、見た目は到底、実などではない。

太く、見るからに丈夫そうな縄にぶら下がる、大きな袋。

その膨らみから、中に何か入ってることは容易に解った。

そうだ、まるで蓑虫だ。

そう思った瞬間、私はこいつの正体に気付く。


「…へえ、なるほど。こいつァ確かに、鬼っ子だ。皆がお前を“蓑虫藤次”と呼ぶ訳が解ったわ。──なあ?藤次郎よ。」


私の呟きに呼応したかのように、麻袋の中身がもぞ、と動く。

それに少し遅れて、ぶつりという音がした。

縄と寄り合わされた糸の幾本かが、千切れた音だった。










それが合図であったかのように、その光景は途切れる。

そして、次に目に映ったのは見慣れた自分の部屋。

そこでやっと、私は先程のものが夢であった事を知った。


「あー、最っ悪…。」


もう夏も終わったというのに、身体中が汗で濡れている。

いや、寧ろ外は土砂降りの雨であり、寒いといって良いくらいだ。

…よっぽどうなされていたのだろうか。


(…まあ、相手があの“蓑虫藤次”じゃ仕方ねえかナ。)


そう自分を慰めてから、私は身を起こす。

時刻は、何時も起きる時間より少し早かった。

とはいえ、今日はその方が都合が良い。

朝食を作る量が、何時もより多いからだ。

取り合えず先ずは汗をシャワーで流し、朝食の支度を済ませる。

そして次に、寝坊助達を無理矢理に起こして朝食を食べさせなければならない。


「おら、起きろ二人とも。はよせんと、遅刻するぞ。」


体を強く揺さぶると、赤く充血させた目を擦りながら夕と堀野サンが目を覚ます。

堀野サンはそれに加えて頭が爆発しているものだから、宛ら幽鬼のような様相を呈していた。


「…あ、おはようございます宮比さん。」


「…あれ、ここどこだっけ?」


つい昨日、類い者に狙われてたとは思えないほどの暢気さだ。

いや、危機の去ったが故とも言えるか。

兎も角、朝食を摂らせたり登校の支度をさせたりと、いつもの二倍の苦労を掛けて二人を学校へと送り出す。

そして、やっとやって来る束の間の休息。

私はこの時間に煙管を吸うのが、一番好きだ。

ましてや、雨の降りしきるこの淡い景色。

私にとり、最高の条件だった。

いそいそと縁側に腰かけて煙管を取りだし、一息吐く。



「……。」


さて、蓑虫藤次。

随分とまあ、厄介な奴に見入られたものだ。

奴はそもそも、あの娘に憑いていた筈ではないのか。

何故、私に鞍替えしたのか。

いや、もしかしたらまだあの娘には憑いてるのかも知らんが…。

…ともかく、私に取り憑いた理由はまるで見つからない。

あの娘、というのは、昨日の仕事の依頼者の娘だ。

依頼者の言うには、ここ最近、奇妙な夢を見るようになったということだった。

話を聞くに、それはどうやら“蓑虫藤次”の夢らしく、それを知ったとき私は戦慄した。

何故なら、蓑虫藤次の夢を見て助かった者はいないからだ。

皆、夢を見はじめてから1、2週間程度で死ぬ。

しかもその死に様が凄まじく、昨日まで生きていたにも関わらず、翌朝には腐り切り、肉が溶け出し骨の見える状態にまでなっていると記録はいう。

余りの惨状に、精神的に参ってしまう人が出るほどだと。

………自分でそう考えて、少し気分が悪くなってきた。

このままだと、自分がそうなってしまう可能性が高いんだし…。

まあ、閑話休題。

私が依頼を受けてその子の元に行ったとき、既に幾日か経っていたらしく、目は窪み、頬は痩け、気の毒な程にやつれていた。

そして、詳しい話を聞いて原因は解ったのだが、かといって、私にはどうすることも出来なかった。

なにしろ、助かった前例がないのだから。

とはいえ、そんなことを正直に伝えられる筈もなく──。

必ずや助けることを約束し、そのまま帰ってきたのだが…。


(どういう事だ…?蓑虫の夢が伝染するなんて、聞いてねえぞ…。)


私の知る限り、そんな伝承は無かった。

だが、現にこうして伝染られているわけであり、そしてそれは理由なく伝染った訳ではあるまい。

そこが解れば、解決の糸口になると思うのだが…。


「うーっす、御早う宮比。また朝っぱらからタバコ吸ってんのか?だからそんなに顔色が悪くなんだよ。」


人が深刻なこと考えているときに、そんな間の抜けた声が聞こえてくる。

和男が起きてきたらしい。


「阿呆言え。煙管を紙巻煙草と一緒にすんな。それに私は吸ってるんじゃなくて吹かしてるから、健康には…。」


いや、今和男は何て言った?

顔色が悪い、だって?


「おい、和男。私はそんなに顔色が悪いか?」


「ああ、土気色っつーのか?割とマジで心配になるくらい悪いぞ。タバコと仕事、暫く止めて休んだ方が良いんじゃねえか?」


ぺた、と頬に手を触れる。

…冷たい。

体温が殆ど感じられない。

──なるほど、そういうことか。

藤次郎の奴は、取り憑いたものを生ける屍へと変貌させる力も有るらしい。


「…和男、ちょっと私は尾白さんのとこいってくる。悪いが飯は自分で盛って食ってくれ。」


「あ?別に良いけど。つーか今仕事は控えろって…。」


和男の静止を無視して私は家を飛び出した。

土砂降りの雨の中、傘も差さずに仕事場へと向かう。

降りかかる雨、跳ね上げられた水滴、それらに体が濡れていくも、私は構わずに駆け抜ける。

そして目的地に着くや否や、その扉を勢いよく開け放った。

ばぁん、とけたたましい音を立てて、扉が壁にぶつかる。


「…五月蝿いぞ。もっと優しく開けてやれ。そんなに息を切らして、一体どうしたのだ?」


それに驚いた風もなく、落ち着き払った声が聞こえてきた。

そちらに目を向けると、既にそこには尾白さんの姿がある。

朝に自分の机で緑茶を啜りながら新聞に目を通すのが、彼の日課だった。


「いえ、別に…。」


なんでもありません、と言うも、尾白さんにそんな下手な嘘が通用するはずもない。

来るなり本棚を漁り始めた私を見咎め、口を開く。


「…昨日の仕事の件か? 」


「…まあそんなところです。」


「顔色が妙に悪いな。それに、この感覚…。何かに憑かれてるのではないか?」


私はその言葉に、少し手を止める。

やはり、彼は騙せないか。

憑き物の専門家さんはやり過ごせたんだがな。

観念した私は、数冊の本を手に取りながらこう言った。


「…いえね、鬼っ子に好かれたようなんですわ。」


藤次郎はその昔、鬼子と呼ばれて恐れられていた。

とかく乱暴者で、盗み、脅し、暴行は勿論、殺人も犯す程に悪行三昧だったらしい。

最期は悪人らしく自業自得なもので、地元の権力者の娘を拐おうとして失敗し、捕まって袋叩きに殺されたと言う。

その後死体は猫や犬などの動物の死体と一緒くたに袋に入れられた挙げ句、ああして吊るされたのだそうだ。

蓑虫はその姿から、鬼の子であると昔は考えられていた。

藤次郎があんな姿にされたのは、恐らくその辺も掛かっているのだろう。

その事を知っている尾白さんには、それだけで伝わったようだった。

珍しく顔色を変え、此方に目を向ける。


「蓑虫藤次がでたのか…!?」


「ええ、まあ…元々は昨日の依頼人に憑いていたのですが、どうやら私に鞍替えしたらしいです。」


「鞍替え…?」


そのことはやはり、尾白さんにも初耳だったようだ。

しかし今重要なのは其処ではない、と思い直したのか、真剣な面持ちで口を開く。


「宮比よ、解ってるだろうな?蓑虫藤次は──。」


「…解ってますよ。致死率100%だってことくらいは。この仕事に就いてりゃあ、その恐ろしさは嫌でも聞こえてくる…。」


全国的に見ても、これだけ恐ろしい怨霊はそうは居まい。

解る限り、その犠牲者は数十人に及ぶ。

これはかなり、異例の人数だった。


「…そういやあ、なんでこんなおっかないやつが野放しになっているんでしょうかね?オオオヌの奴が手も足も出ない程の怨霊、なんですかね。」


いざ憑かれてみて、初めてそこに疑問を抱く。

こんなやつの存在を、オオオヌが黙って見過ごす筈がない。

私のその問に、尾白さんは暫く考えてから答える。


「……蓑虫藤次は、夢に現れる。つまり、人間の世界でも隠の世界でもない場所にいるわけだ。如何にオオオヌと言えども、人の幻想の世界にいるやつには手出しが出来んのだろう。」


ははあ、成る程。

妖怪幽霊の類いにとっても、こいつは風変わりな奴な訳だ。

何から何まで規格外。

改めて私はとんでもない奴に取り憑かれちまった、と頭を抱える。

──だが、まだ私はむざむざと殺されるつもりはない。

とにかく、先ずは文献に頼ることにした。

何かしら、解決の糸口が見えてくるかもしれない。

尾白さんとの二人体制で、片っ端から古書を読み耽る。

そのまま、10時を回ったときだった。

仕事場内に、突然電話の音が鳴り響く。

こう言うとき、尾白さんはまず電話を取らない。

電話に最初に応対するのは女の役目だとかなんとか…訳のわからない持論があるからだ。

案の定微動だにしないので、仕方なく私は受話器に手を伸ばす。

出ると、それは昨日の依頼人だった。


「もしもし、原江ですけど。」


「あ、原江さんですか…。その、多野ですけれども。」


「ああ、多野サン。どうなされました?何か、あったのですか?」


もしや、娘が死んでしまったのではないか、と一瞬嫌な想像をしてしまったが、その声音に少しの喜びが含まれていることに気付く。

とりあえず悪い話ではないらしい、と私は安堵した。


「いえ、その…今朝方娘の顔色が頗る良いので話を聞いたところ、“あの夢を見なかった”と言っておりまして…もしかしたらその蓑虫何とか言うものが取れたのではないかと思いまして…どうなんでしょうか?」


………どうやら完全に奴は私に乗り換えたようだ。

その事もあって、なんだか素直に喜べない自分に気付く。

けれども、その事を覚られまいと、私は努めて明るく振る舞う。


「ああ、そりゃあ朗報です。夢を見なくなったってことは、元凶は去ったってことです。もう心配はないでしょう。2、3日程休ませてあげれば、全快するでしょうな。」


そして、電話の向こう側から喜びの声が聞こえてくる。

それに加わることの出来ない自分が、嫌いになりそうだった。


「あ、すいません。それで、お金の方なんですけれども…。」


「あいや、私たちは何もしてませんのでその必要はありません。今はただ、娘さんを労ってやって下さいな。」


それでは、と電話を切る。

それを見計らっていたのか、尾白さんは読んでいた本を伏せ、此方に語りかけてくる。


「…昨日の依頼人か?」


「ええ、そうです。どうやら蓑虫藤次からの史上初の生還者には成り損ねたようですわ。」


伝染せば、治る。

だがそれは根本的な解決策ではない。

何故、藤次郎は私を標的にしたのか。

やはりそこが解らないことには、生き残れないのだろう。

私と尾白さんは再び文献に目を落とす。

それから昼過ぎにかけて、本とにらめっこをする時間が続いた。

いい加減目と腰が痛くなり、もうそろそろ家に帰らなければならなくなってきた頃、急に尾白さんが声に出して文章を読み上げ始めた。


「“蓑虫藤次は夢に憑く。見えると言う者の夢に憑く。”」


「は?」


「この本に、そういう行がある。どういう意味か解るか?」


(いきなり何を言ってんだこの爺さんは。)


とは思っても声には出さず、取り合えず問われた事を考えてみる。

夢に憑く、というのはそのままの意味だろう。

問題は、“見えると言う者”の方だ。

言葉そのままの意味ではないだろうから、考えられるのは──


「霊感のある人って意味じゃないんですか?」


その答えに、尾白さんは頷く。


「恐らくはそうだ。つまり、蓑虫藤次がお前に憑いたのはそのせいじゃないのか?」


そういえば…と私は昨日の事を思い返す。

その依頼人は、娘は小さい頃変なものが見えると怯えていた事がよくあったと語っていた。

となると、あの娘も多少なり霊感はあったと考えられる。


「じゃあ何ですか、私の方が霊感強いからすり寄ってきたとでも?」


「…考えられなくは、あるまい。」


冗談じゃない、と私は思った。

それが理由であったなら、余りにも些細すぎる。

とても知ったところで、解決に繋がりそうな理由ではなかった。

しかし、粗方の書物を当たっても、その他に有用と思える情報はなかった。

今日のところは、それで時間切れ。

夕飯の支度や、日中さぼった家事の片付けをしなければならなくなり、仕事場を出て家に戻る。

その間、和男や夕には事情を伝えることなく、夜の時間を過ごしていく。

無用に心配をさせるのも気が引けるし、夕に至っては下手に首を突っ込んで来そうだし。

夕食の間、私の方をちらちらと見ていたのは恐らく顔色の悪さが気になったのだろう。

そして深夜、布団に寝転がってから、思案に暮れた。


(“見えると言う者の夢に憑く”か…。)


正直、特徴と呼べる特徴ではない。

霊感の強いものに取り憑く怪異など、ざらにある。

要するに幽霊等にとって干渉しやすいのが霊感の強いものなのだから、当然だった。


(いや、待てよ…干渉しやすい奴に憑くってこたァ、何か伝えたい可能性があるのかも知れねえな。)


霊感が強い人なら、自分の伝えたいことを知ってくれるかもしれない、という考えの元、取り憑くのかもしれない。

そもそも、こういう時間制限のある怪異は、えてして無念を晴らしてほしいとか、失せ物を見つけてほしいとか、そういった理由がある事が多い。

とは言え、相手は同情する余地のない極悪人。

いくら自分の命が掛かっていて、その無念が晴らせるものだとしても、余り協力してやる気分にはなれない。


(まあ、とりあえずは話でも聞いてみるかな…。)


そう思った私は、ゆっくりと目を閉じる。

昨日今日の疲れの溜まっていた私は、直ぐに眠りに落ちていく──。












鬱蒼とした、森の中。

昨日と寸分違わぬ光景が、いつの間にか広がっている。

いや、寸分、というのは些か語弊がある。

目の前の、吊るされた大きな麻袋。

その底の部分が、妙な液体で染まっていた。

赤黒いような、どろどろとしているような気味の悪い液体。

そして、思わず顔をしかめてしまいそうになるほどの不快な臭い。

どうやら、袋の中身の腐敗が進行しているらしい。

…夢とはいえ、長居はしたくないな。

そう思った私は、早速話し掛けてみる。


「おい、藤次郎。お前さん、何か伝えたいことでもあるのではないかい?」


「……。」


しかし、藤次郎は語らない。

いや、語れないのか?腐ってるし…。


「死して尚、こうして出てくる事に理由が無いわけあるまいて。言ってみろ。教えてみろ。」


相変わらず問いには答えはなかったが、その声らしきものは聞こえてきた。

言葉とは言えない。そしてそれは、酷く震えている。


(あ?啜り泣いているのか…?)


低い、男の啜り泣く声。

十中八九、藤次郎のものだろう。

暗闇の森の中に、ただそれだけが響いている。

まるで地の底から湧き上がってくるような、恨みに満ちた声だ。

その後も2、3問うてはみたものの、変化はなく藤次郎は泣き続ける。

それが、私の癇に障り始めた。

そもそも、私はこういう奴が嫌いだった。

生前悪人で、自業自得で死んだくせに怨霊となって尚人々を苦しめるような奴が。

火群を見ろ、と余程言ってやりたかった。

生前放火魔ではあったが、今は人々に火災を知らせ回っている。

多くの人を死に至らせてきたこいつとは、雲泥の差ではないか。

更に言うなら、めそめそとした男も好きではない。

それらが重なってしまった故、私の堪忍袋の緒が遂に切れてしまった。


「いい加減にしろよ!言いたい事があるならはっきり言え!無いなら人様に迷惑かけに出てくるんじゃねえよ!!この泣き虫の屑野郎が!!!」


森の中に、私の怒声が響く。

その後、暫しの静寂。

しかしそれは嵐の前の静けさだったらしく、直ぐに先程より凄まじい泣き声がし始める。

そして目前にぶら下がる袋が暴れるように揺れ、滲み出た汁が此方に降りかかる。

そして、ぶつん、と前より激しい音がした。

見ると縄が半ばまで裂けている。

…あれが完全に切れたらどうなるか。

想像することさえ、嫌だった。



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