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叶海の白蛇

「いってきまーす!」


溌剌とした声が、家の中に響く。

朝からのその元気さが、多少羨ましい。

…この感覚は、自分が年を取った証拠だろうか。

負けじと私も、努めて元気に振る舞う。


「おう、行ってこい。しっかり勉強してこいよ。」


「う…、最近宮比さんも、そっちに口を出すようになりましたね。言われなくても、やりますよ!」


夕は随分、明るくなった。

最初はよく見るらしい悪夢のせいか寝不足で、元気のげの字も見られなかったのに。

その内容を頑なに語ろうとはしないが、おおよそ想像はついている。

まあ、私を心配させまいと気を使っているのだろう。

夕を見送ったあと、私は居間に戻る。

そして煙管を取り出し、縁側に腰掛ける。

嫌なことを忘れるには、これが一番。

外の景色を眺めながら刻み煙草の香を味わう。

それだけで、全てから解放されるのだ。

…欠点は、時すら忘れてしまうことか。

今日もそれは変わらずに、不意に呼び鈴が鳴り響く。

ああ、もう来やがった。まだ吸いきってないのに。

思わず舌打ちが出る。

時計を見ると、夕が出てから30分と経っていない。

私は重い腰をあげて立ち上がり、玄関へと向かう。

鍵をあけて扉を開くと、初老の男と若い女がそこにいた。


「…来るのが早すぎやしませんかね、尾白さん。」


「ふん、何をいうか。これでも遅らせたんだぞ。新香が朝6時は止めとけ、と言ったからな。」


「いや、だって夕子ちゃんがいるとちょっと話しにくいじゃないですか…。」


尾白信明(おじろ のぶあき)巾生新香(はばき あらか)

それぞれ私の上司と同僚である。

私がどうぞ、という前に尾白さんは家に上がり、つかつかと居間へと入っていく。

私と新香はそれに続き、三人で卓を囲んだ。


「…。」


ふと、尾白さんの目が縁側に向けられているのに気づく。

険しい目付きから、彼にとって不快なものがそこにあるのだろう事は、容易に想像が付いた。

私もそちらを見て、内心しまったと呟く。


「年頃の女子が早朝から喫煙か。」


縁側に置いた灰皿の上に、火の着いたままの煙管が乗っている。

いつもの癖で、ついそうしたままにしてしまった。

尾白さんは一言で言うなら堅物。それも筋金入りだ。

考えも昭和期のそれで、女は慎ましくおしとやかに、という言葉を何度聞かされたことか。

──そんなだから、妻と息子に逃げられるんだ。

喉まで出かかったその言葉を、私は呑み込む。


「しょうがないじゃないっすか…それしか楽しみないし。」


「無いなら作れば良いだろう。この世に娯楽などごまんとあるぞ。」


「じゃあ今探してる最中なんですよ。それまでの中継ぎが、喫煙って事で良いでしょう?」


「…全く、屁理屈ばかり捏ねおって。俊晴さんは自分の孫娘にとんでもないことを教えたものだ。」


俊晴(としはる)というのは、私の祖父の事だ。

尾白さんの師であり、その繋がりで私はこの人の下にいる。


「んで、今日の目的は何なんですか?まさか説教垂れに遥々こんなとこまで来たわけじゃないでしょう?」


「…五木場夕子は、どうだ?変わりないか?」


「ありませんよ。いや、明るくなったという点では、変わりましたね。」


「そうか。なら、良い。以後もその世話を頼むぞ。」


「………え、それだけ?」


まあ、その案件であることは解っていた。

現状、最も注意しなければいけない対象だからだ。

他には私の私生活がどうなのか確認に来た、というところか。

…第一印象は最悪だろうが。


「後ね、宮比さん。近々ここに茅輪(ちわ)さんに来てもらうことになったんですよ。その事もお伝えしようと思って。」


新香が補填するように、そう付け加えた。

彼女はまさに、慎ましくおしとやかな女性だ。

直に尾白さんの下にいるから、そうしているのだろう。表向きは。


「何でまた和男が?」


「棚持家の件だ。あいつは憑き物に詳しいからな。何か解るやもしれん。1週間ほどここに滞在させてやれ。」


「…私は、あれは憑き物とは違うと思いますがね。まあ、心に留めておきます。」


どうやら面倒なことになりそうだ。

夕一人でも手を焼いているのに、更にあいつまで来るのか。

今から少し、気が重い。

その後は尾白さんの私に対する愚痴が延々と続き、話し合いは終わった。

結果として、彼は説教を垂れに遥々ここに来たようなものとなった。

漸くそれから解放された時には、もう今日一日分の体力を使いきったかのような気持ちだった。


「それではな。何かあったら、すぐ此方に連絡を回せ。良いな?」


「はいはい、一々言われなくても解ってますよ。」


「それと、この後叶海湖(かのみこ)に行って来い。仕事が入ったからな。」


「はいは……は!?」


去り際に、とんでもないことをさらっと言いやがった。

やっと休めると油断していた私は、変な声を出してしまう。


「…不満か?」


ぎろり、と鋭い目で此方を睨む。

まるで蛇に睨まれた蛙のような気分だ。

こうなると、拒否することはできない。


「うぐ、くっ…い、行きますよ。行けば良いんでしょう?」


私の返事を聞くやいなや、無言のままさっさと家から出ていく。

その様子を見ていた新香が、慰めるようにそっと言った。


「尾白さん、あんなですけど…宮比さんのこと、信頼してるんですよ?その仕事が入ったときだって、原江しかできないな、とかいってましたし。」


「…わあってるよ。お前より私の方が、あの人との付き合いは長いんだからよ。あの人の本意くらい…。」


ただ何となく、私の父親に似ている気がするから反抗したくなるだけだ。

…その私の本意も、あの人に知られているのだろうか。








叶海湖は、この市最大の湖だ。

と言っても、十和田湖や田沢湖に比べればずっと小さい。

それでも市は貴重な観光資源として、最近湖周辺の開発に力を入れているようだ。

今回の依頼は、そこの工事を受け持っている建設会社からのものだった。

味気のないパイプ椅子に座り、机を挟んで担当の男性と向き合っているこの状況…、何だか面接をしている気分だ。


「つまり…要約すると工事を開始してから、奇妙なことが立て続けに起こっている、と言うことですね?」


「はい、そうです。このままでは従業員の士気に関わると思い、依頼を出した次第です。」


まあ、いきなり蛇の大群が押し寄せてきたり、同一人物が同時に複数箇所で目撃されたり、怪我人が続出したりすれば士気は下がるだろう。

契約した以上、会社としても今更建設を止められないから、最終手段として此方に頼ったわけだ。

個人ならまだしも、会社としての依頼は珍しい。


「地鎮祭、やったんですか?」


「ええ、形式上行いました。その点は抜かりない筈です。」


ま、あれにどれ程の効果があるかは私には解らんけど。

少なくとも、ここの土地神には効果がなかった訳だ。


「事情は解りました。少し私も辺りをまわって、様子を見てきます。」


相手の胡散臭いものを見るかのような視線を受けつつ、私は外に出る。

仕事柄、そういった風に見られることは多々ある。

あの男性は神霊の類いを信じない人種なのだろう。

上の命令を受けたから、取り合えずやっている、ということか。

それは、私とて同じだ。

ただ、請け負った仕事を完遂するだけ。

これはどの職種でも変わるまい。

とりあえず私は、ぐるりと湖の周辺を歩いてみる。

周りを森に囲まれ、湖は綺麗な水を湛えていた。。

結構近くに住んではいるが、これ程まで恵まれているとは知らなかった。

この自然を荒らされるのが嫌だから、追い出そうと祟りをなしているのか。

私は湖の真ん中にぽつんと浮いた島に目をやる。

あそこに、ここの神を祀る祠があるという。

随分と昔のものらしいが…。

カノミはカの海。

カとは、昔の言葉で蛇のことを示すらしい。

つまり、蛇の海、といった意味の名前である。

それ故、ここの神は蛇神だと言われている。伝説としては、湖を大蛇が泳いでいたり、水面に姿を写した人に蛇が化けて出てきた、というものがある。

先程の話に有った怪異は、大体これで説明は出来るが…。

段々と怪我人が増えてきているのは、見過ごせない。

下手をすると死者が出てしまいかねない。

そうなる前に、ここの神と話さなければ…。

私は湖の波打ち際にまで進む。

サンダルを履いた足に、冷たい湖水が触れた。

薄く霧がかり、何とも神秘的な情景を醸し出している。

今朝の嫌なことなんて、すべて忘れてしまいそうなほどに綺麗だ。

…今度、夕を連れて此処へ来ようか。

たまにはそんなのも、良いかもしれない。


「…ん?」


ふと横を見ると、丁度一匹の白蛇が湖から出てきたのに気付いた。

とても大蛇とは呼べないが、普通の蛇が湖から出てくるなんて事はまずあるまい。

…こいつが、ここの神か。

私は何気なく、その蛇に声をかける。


「よう、違ってたら悪いけど、あんたが此処の神か?」


蛇は鎌首をもたげて、此方を見た。

鋭い目に、威厳の隠った蛇だ。

私の頭の中に、言葉が浮かぶ。


──ほう、我に話し掛けるとは今時珍しい人間よ。如何にも、我がこの地を任されている者である。汝は?


「私は、原江宮比ってモンだ。まあ…あんたと話がしたくてな。丁度よかったけど、何で此処に出てきたんだ?」


端から見れば、蛇に話しかける奇妙な女にしか見えないだろう。

頭の中に、響く言葉。

小さい頃から、私はそうだった。

無論、限度はあるが、意識を向けたものの言葉が聞ける。

これのお陰で、随分と奇人変人扱いされてきたものだ。


──見慣れぬ人間がいたからな。彼処の、奇怪で厳つい器物を持ち込み、我が湖を荒らしておる者共の仲間か?


「ああ、まあそんなとこだ。変なことが起こってて、怪我人まで出てるから、その原因を調査しろって頼まれたんだよ。あんたがやったんだろ?」


──当然。我が湖を荒らすものは、何人たりとも許しはせぬ。今はまだ、脅す程度に留めてはおるがな。


脅す程度に留めているだけ、この神は人に好意的だ。

問答無用で死人を出すくらいに危険なやつもたまにいる。


「まあ、あんたが怒るのも解るけどよ…。向こうだって、死活問題なんだよ。彼処の一部分だけでも借用させてくれんかね?」


私のその言葉に、白蛇は牙を剥いた。


──信用出来ぬ。今までに人間は、この日の本をどれだけ汚してきたか。人間にここの一部でも明け渡せば、忽ちこの湖も汚されるに決まっている。


「…いや、ここ最近は人間だって、自然保護に力を入れ始めてるんだぜ?確かに3,40年前は酷かったかも知れないが…そこでだ、カノミの神よ。一つ契約をしようじゃないか。」


多少は無理矢理でも、この話に持っていきたかった。

昔から、この国の考えとしてあるもの。

それは、神とは必ずしも、絶対的な主上ではないということだ。

万物に神が宿ると考えた日本人にとっては、神霊はずっと身近な存在であった筈。

人が神に利益を与え、神が人に利益を与える。

それは決して人が神に従う形ではなく、対等なものだった。


──契約、だと?どのようなものだ。


「あんたは私たちにあの土地を貸す。対して私たちは、この湖を汚さないのは勿論の事、あんたが望むことをしようじゃないか。」


──もし、汝らが契約を違えたら?


「その時は、その時だ。あんたの神罰を甘んじて受け入れようじゃあないか。」


じっと、蛇が私の目を見る。

私もそれに応えるかのように、ただその瞳を見つめた。

…どれくらいの時が経ったのか。

白蛇が再び牙を出した。

もしかしたら、笑ったのかもしれない。


──良かろう。その契約、結んでやる。汝のその眼を、信じよう。


「おう、やっぱり思った通り、あんたは人の話が解る神様だ。恩に着る。」


──では我の要求は、あの島の祠の建て替えと、七日に一度の酒の供物。これでどうだ?久しく人の造る酒を、飲んでいないのでな。


「ん、解った。…しかし、祠の建て替えとは…神様も体裁を気にするのか?」


──祠や社は、我々と汝ら人との繋がりを表すものだ。再び人との関係を持った以上、必要なものなのだよ。


なるほど。言われれば確かに祠や社は神と人とを繋ぐ物だ。

今の時代、よりそれは顕著で、神社くらいでしか神に触れない人も多いだろう。

話が終わると、白蛇は身をくねらせて再び湖中へと姿を消す。


──今日は、久方振りに人と話せて愉しかったぞ。気が向いたら、また来るが良い。何時でも汝を、この湖の主として歓迎しよう。


頭の中にそんな言葉が響く。

そしてその刹那、湖面が大きくうねる。

日に晒された、白銀の鱗が眩しいほどに輝いていた。


「ああ、また来るよ。そん時は、連れがいるけどな…。」


いつからか、人は神から離れた。

それと同時に神もまた、人から離れていた。

何だかその事が、無性に寂しいことに思えた。


「…話は、終わりましたか。」


不意に背後から掛けられた声に、私は飛び上がりそうになる。

振り返ると、先程私と話をしていた男性が歩いて此方に向かってくるのが見えた。


「げっ…、み、見てたのかあんた。」


思わず、地を出したまま喋ってしまう。

けれどもそれを気にした風も見せず、男性は頷く。


「ええ、私は神仏の類いを一切信じない質ですので、貴女がどんな詐欺紛いの事を仕込んでくるかと思いましてね。」


よくもまあ、面と向かってここまで言えるものだ。

逆に感心する。


「…しかし、それは不要の事でしたね。どうやら私の考えは間違っていた様です。あの一部始終を見てしまったら、考えを改めねばなりません。」


「へえ、あれだけで、ねえ。もしかしたら、蛇相手に独り言を呟くだけの、いかれた女かも知れんよ?」


「蛇に話しているところだけなら、まだそう考えられる余地はあった。しかし、あの湖面の大蛇まで目撃してしまった以上は…。」


まさかあいつ、この男性が見ていることを知った上であんなことをしたのか。

…敵わねえな、まるで。


「まあ、聞いていたんなら、話は早い。ここの神様の要求は、この湖の自然を極力汚さないこと。あの島の祠の建て替え。それと週一の酒の供物だとさ。破るとどんな神罰が降るか解ったもんじゃないぜ?」


「ええ、肝に銘じておきます。」


「でも、あんたが信じても上が信じるかね?問題はそこだろう?」


「私が誠心誠意、説得しましょう。以前の私の神仏嫌いは有名でしたから、多少なり効果はあるかと。」


そこで男性は、不敵な笑みを浮かべた。

何だか奇妙な心強さがある。

まあ、私のやれる事はやった。後は彼らの仕事だろう。

その後も少しの話し合いをして、終わったのは結局午後を回ってからだった。

尾白さんの説教に、突然の仕事。

今日一日で、二日分の体力を消耗した気分だ。

…明日は一日中寝て過ごそう。


「それでは今日は、ありがとうございました。」


去り際に、男性は律儀にそういって頭を下げる。

今日の一番の成果は、一人の男性の、神仏との距離を縮めた事かもしれない。


「また何か異変があったら、連絡下さい。何時でも対応しますんで。」


「ええ、これからはそうさせていただきます。」


「ああ、それと一つ言い忘れてました。白蛇は、金運上昇の御利益があるとか。これを言っておけば、説得がずっと楽になるかも知れませんよ。」


その私の言葉に、男性はまた笑みを浮かべる。

──叶海湖が綺麗な自然と神秘的な情景で有名な観光地になるのは、それから暫く後の話だ。



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