白魎
ある日の放課後。
私は美琴ちゃんにつれられ、ある山に来ていた。
山と言っても大したものではなく、歩道も付いてて私でも登りやすいものだ。
眺めもよく、私たちの住む町が一望出来る。
初めて来た場所から見た町は、何時もと違った顔を見せてくれた。
「わあ、いい眺めだね。空気も美味しいし、心が洗われる感じがするよ。」
「あのね夕子ちゃん、今日はここに癒されに来たんじゃないでしょ?」
そう、今日もまた部活である。
いや正確には、その下見であるのだが。
毎回美琴ちゃんはこうやって実際に噂のある場所に事前に行っているらしい。
「今度の曰く付きの場所ってなんなの?」
「ほら、木造の平家あるでしょ?彼処に女の人の幽霊が出るって噂があるんだけど…ただ人が住んでるだけって情報もあるのよね。」
今日は人がいるかどうか、ということを調べに来たわけか。
確かに見た目かなり古い建物で、人が住んでいなさそうに見えるが…。
「ちょっと近づいてみようよ。中を見ないと、なんとも言えないし。」
「う、うん…そうだね。」
こういうとき、奇人変人が出てきた場合が一番怖い。
もしそうなったとしたら、私たちだけじゃどうにもできないし…。
幽霊が出てきてくれた方が、ましに思える。ともあれ私達は家の中を窓越しに覗く。
「なんか結構綺麗だね。人住んでるんじゃないかな。生活感あるし。」
「ちぇっ、またガセネタ掴まされたか。志野木山の幽霊屋敷はガセ…と。」
メモ帳に何事かを書き込む美琴ちゃん。
覗き込むと、そこにはびっしりと曰く付きの場所の名前や情報が書き込まれていた。
結構マメな性格なのか…。
相変わらず、自分の長所の使い道を間違えていらっしゃる。
と、その時。
「あのもし…この家が幽霊屋敷と言いましたか?」
二人して飛び上がらんばかりに驚き、振り替える。
そこに立っていたのは、一人の女性。
清楚な感じで、宮比さんとは真逆な雰囲気の美人だった。
「あ、ああ、いえ、その、えと、私達は別に怪しい者では…。」
窓から家を覗き、かつ酷く焦ってそう釈明する人が怪しくない訳がない。
私は美琴ちゃんを落ち着かせつつ、正直に話す。
「すみません。私達はこの家の噂を確かめに来てまして…。もしかしてこの家の方ですか?」
「噂を…?はい、私はこの家に住んでる者ですが…。どんな噂があるんですか?」
私は簡単に噂について伝える。
すると女性は口元を手で隠しながらくすくすとわらった。
「ああ、それは恐らく私ですね。こんなあばら家に女一人で住んでいるから、そんな噂がたったのでしょう。幽霊なんて、見たことはないですから。ただ…。」
「ただ?やっぱりこの家に何かあるんですか?」
美琴ちゃんは女性が口ごもったのを逃さず、踏み込む。
女性は暫く言うべきか迷っていたようだったが、やがて語り始めた。
「実は…この家に何かいるのは本当です。いえその、女の幽霊とかではなく、もっと異形のものでして…私も困っていたところなんです。」
「異形のもの…?」
妖怪とか、そう言ったものだろうか。
それを聞いた美琴ちゃんが私を肘で小突き、耳打ちする。
「ねえねえ、これは原江さんに連絡したほうが良いんじゃない?仕事だ仕事。」
「え?うーん、どうなんだろう。宮比さん急に仕事入ると不機嫌になるからなあ。」
電話するのが、少し躊躇われる。
多分その被害を一番被るのは私だしな…。
しかし美琴ちゃんがその事を女性に伝えると、その女性も頼み込むようにして言う。
「お願いします。ずっと困ってて、夜も十分に眠れなくて…。」
そう言われると、もう断る理由は何もない。
私は携帯電話を取り出し、宮比さんの家に電話を掛けることにした。
宮比さんが来たのは、電話をしてから30分くらいしたときだった。
偶々喫煙時間でなかったらしく、思ったより不機嫌にならなかったのは幸いだった。
けれど…
「ええー!?なんで私たちは駄目なんですか?」
「当たり前だろう。これは仕事、大人の話だ。子供はさっさと帰っとけ。」
宮比さんは動物を追い払うかのようにして手を振る。
こういうところ、意外と厳しいからな…。
出来れば私たちも事情を詳しく知りたいんだけれど。
「私たちが仕事を斡旋してあげたんですよ。恩を仇で返すつもりですか!」
「斡旋ごくろうさん。もう取引は成立したから、斡旋業者はいらんのよ。」
双方、一歩も引き下がらない。
女性はただその二人をおろおろとしながら困り顔で見ていたが、やがて口を開く。
「あ、あの…私のこんな話を聞いてくれましたし、別にお二人がいても、私は気にしませんから…」
美琴ちゃんは喜び、宮比さんはうんざりとした表情でため息を吐く。
「お客さん…、こいつらはいつもこういった事に首突っ込んで、人様に迷惑かけてるんですよ。あんまりそう甘い事言ってると、貴女もとばっちり食らう可能性も…。」
宮比さんがそう説明するも、女性は“大丈夫ですから”の一点張り。
流石の宮比さんも折れ、依頼人の言うことなら、と私たちに同行の許可が降りる。
「ただし、勝手なことはするなよ。」
家に入る直前、険しい顔でそう宮比さんは言った。
よっぽど私達はトラブルメーカーだと見なされているようだ。
前例があるから、仕方ないか。
家の中はしっかりと手入れしてあるらしく、見掛けほどぼろくはない。
ただ、そこかしこから、墨汁というか…強い匂いが漂っている。
「…お客さん、書道でもしてるんですか。」
宮比さんも気になったのか、そう尋ねる。
「あ、阿代で良いです。私の名前…阿代周と言いますから。ええと、いえ、私は日本画を描いておりまして。家は代々、そうなんです。」
日本画。
教科書を通してでしか見たことが無いくらい、私には遠い存在。
それ故に、この人がどんな絵を描くのか、興味が湧いた。
「どんな絵を描いてるんですか?」
「今は、ここから見えるこの街を。絵自体は父が描いていたのですが、完成前に亡くなり…後を継いで私が描いているのです。」
さっきのあの景色のことだろう。
あの景色が日本画になったら、どんな風になるのだろうか。
益々、その絵を見たく思った。
「まあ、絵の話は後程にして…。本題に入りましょうか、阿代さん。貴女を悩ませているものというのは…?」
「あ、すみません。その…最近この家に、変なものが住み着いたようなんです。最初は、物音から始まりました。屋根裏をことことと駆け回るような音がし始めて…その時は鼠でも住み着いたのかと思って、気にも止めなかったのですが…。次には、物が無くなるようになりました。どれも家に伝わる古いもので…遂先日も、大切な筆が無くなってしまいまして、絵がかけなくて困ってるんです。そしてこれは、一昨日の話なんですが…。」
そこで一旦、口をつぐむ。
身体が小刻みに震えており、恐怖に怯えた表情をしている。
宮比さんは努めて穏やかに、阿代さんに言う。
「…辛いなら、無理に思い出さなくても大丈夫ですが。」
「いえ、すみません。その…これは私が寝ていたときなのですが、不意に息苦しさを感じて、目を開けたときに目の前に居たんです。異形の化け物が…!」
段々と、その化け物の行動がエスカレートしていっている。
挙げ句目の前に現れられたら、確かに恐怖だ。
命の危険さえ、感じる。
「目の前に?それは、本当ですか?」
急に宮比さんが訝しげな表情をした。
阿代さんは疑われたことを心外に思ったらしく、語気を強める。
「私、嘘なんか申してません!それは、確かに俄には信じがたいことですが…私はこの目で…!」
「いや、不快に思われたなら謝ります。貴女の話を根本から疑ってるわけでない、のですが…。」
そこで宮比さんは何事かを考え始める。
いつになく真剣で、悩んでいるかのような表情。
これは、もしかして…?
「宮比さん、原因が解らないんじゃ…。」
ごん、と鈍い音が響き、頭に痛みが生じる。
私の頭上に、宮比さんの拳が降り下ろされたのだ。
「痛い…。」
「滅多なことを言うんじゃあない。見当くらいは、付いている。」
「じゃあじゃあ、何がこの家に住み着いてるんですか?」
早くそれを知りたいと言わんばかりに、美琴ちゃんが急き立てる。
宮比さんは改めて阿代さんに向き直り、言った。
「十中八九、“白魎”の仕業でしょう。」
「ハクリョウ?」
三人の疑問の声が、重なる。
それは一体どのようなものなのだろう。
「白魎は、九十九神の魂を喰らう妖怪です。大抵は古い器物の収容された蔵などに住み着いているのですが、恐らくは貴女の家に伝わる絵筆等に惹かれたのでしょうな。」
「つ、九十九神の魂を…?」
阿代さんの顔が、みるみる青ざめていく。
妖怪が住み着いたのに加え、自分の所持品が九十九神に成っていたら、恐怖を感じても仕方ない。
「白魎の白は、九十九に通じます。これは今でも白寿等に、名残があります。そして魎ですが…これは魍魎から来ていると言われています。器物の魂を喰らうその姿を、人の死体を喰らう魍魎に準えているのでしょう。ただ…。」
そこで再び、考え始める。
余程気にかかることが有るのだろう。
やがて腕組を解き、阿代さんに言った。
「白魎は、非常に臆病な妖怪です。特に音には敏感で、病人の小さな咳に驚いて壺を割ったなんて話も有るくらいで…。いくら寝ていたとはいえ、貴女の前に姿を現すとはとても…。」
「人に馴れたんじゃないの?妖怪だって、馴れは有るでしょ。」
美琴ちゃんが若干興奮気味に口を挟む。
宮比さんはそれに小さく頷いた。
「ああ、まあ…考えられなくも無いが…。それでも白魎が人前に現れる理由が無い。人の魂は喰わないし、わざわざそんな…。」
「あ、もしかしたら…私、寝るときはいつも近くに筆等を置いておくんです。それがないと不安で…。きっと、それを狙って出てきたのではないでしょうか。思えばそれから、筆がなくなったのですし。」
成る程、それなら人前に出てきたのも頷ける。
宮比さんも納得したらしく、先程より大きく頷いた。
「ところで…その白魎を追い出すのはどうしたら良いのでしょうか?」
「ああ、それは簡単です。先程申しました通り、白魎は物音を嫌う。わざと大きな音を出したりして三日もすれば、この家を離れていくでしょう。」
確かに簡単だが、手間は掛かる方法だ。
それを聞いた阿代さんは多少躊躇った風で、おずおずと言う。
「あの…宜しければその、それを貴女様にやっていただく、というのは出来ますでしょうか?私、怖くてその…一人でこの家にいられなくて。」
「つまり、泊まり込みってことですか?」
私の質問に阿代さんは申し訳なさそうに頷いた。
それだけの事に、それ程の事をさせるのが忍びないのだろう。
けれども宮比さんはあっさりとそれを承諾する。
「阿代さんが宜しいのなら、私は構いません。その間に失せ物捜索とかも出来ますし。白魎は物を持ち出すことはしませんから、屋根裏等を探せば見つかるでしょう。」
その言葉に、救われたかのような表情を見せる阿代さん。
これでこの話は一件落着…と思ったのも束の間。
更なる問題が浮上する。
「あれ?私はどうすればいいんです?」
宮比さんがいないと、私はあの家で一人と言うことだろうか。
「そりゃ、留守番だろ。お前中学生にもなってそれも出来ないのか?」
あっさりとそう言い切られてしまった。
こう言うのも何だが、あの家に一人、というのは結構怖い。
宮比さんの仕事柄、変なものが多々あるのだ。
なまじ霊感があると、何かありそうで…。
「なら、うちに来る?夕子ちゃんなら親も何も言わないだろうし、事情話せば大丈夫だと思うよ。」
そう救いの手を差し伸べてくれたのは美琴ちゃんだった。
私は勿論、即その提案を受ける。
そんなわけで美琴ちゃんの家に厄介になることになった私は、ここでの用件が済んだこともあって直ぐに発つことになる。
外に出ると、向こうの山に日が半分隠れていた。
夕焼けに染まる町はまた、先程とは違う顔を見せる。
「綺麗…。」
思わず漏れる、感嘆の声。
これを描いた阿代さんの絵は、一体どんなものなのだろう?
「あの、阿代さん。この街を描いた絵が完成したら、私にも見せてくれませんか?」
私のその言葉に、阿代さんはにっこりと微笑む。
「はい、良いですよ。じゃあ完成したなら、貴女達にいの一番に知らせますね。」
手を降りながら、私たちはその場を離れる。
早く、完成しないだろうか。
日本画の画風と、あの街の風景はさぞ合うことだろう。
美琴ちゃんの家に向かう道中、私はただ、その事だけに思いを巡らせていた。




