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第4章 第3話 正しい世話

 連休前、学校は伴走制度の中間報告会を開いた。


 会議室の長机の上に、相談件数と満足度を示す表が並ぶ。数字だけ見れば順調だった。話を聞いてもらえて安心した、学校へ来やすくなった、保健室へ行く回数が減った。教師たちはほっとした顔で頷いている。


 だが真白は、満足度の欄の高さにむしろ落ち着かなかった。誰かに支えられる仕組みが短期間でそんなに綺麗に機能するはずがない。数字が高い時ほど、その外へ出たものが見えなくなる。


 報告会のあと、結菜はまた図書室で真白を待っていた。今日は進路の話ではない。部活の見学先をどうするか、友達の誘いを断っていいか、昼休みに一人でいても変に見えないか。

 質問はどれも、小さすぎて大事だ。

「全部聞くの?」

 真白は椅子に座る前に訊ねた。

「だめでしたか」

「だめじゃないけど、全部聞かれるのは困る」

 結菜は目を伏せた。責めたかったわけではない。けれど、言わなければ伝わらない一線もある。

「朝比奈さんの方が正しいから」

 その一言で、真白の中の何かが固まった。

「それ、違う」

 言葉は思ったより硬く出た。

「正しいかどうかを、わたしに預けないで。わたしの方が早いことはある。でも、早いのと正しいのは別」

 結菜は何か言いかけてやめた。図書室の空気が少し冷える。真白はそこで、机の上にあった部活紹介の冊子を結菜の方へ押した。

「まず、自分で三つ選んで。そこからなら話す」

 突き放したつもりはない。けれど、結菜にとっては少し厳しすぎたかもしれない。彼女は冊子を抱えたまま、いつものようには頷けなかった。


 その晩、教師から連絡が来た。相談役が厳しすぎると感じる生徒が一部いるので、対応を柔らかくしてほしいという内容だった。名指しはされていない。されていないのに、真白は自分のことだと分かった。


 翌朝、生徒会室でその話をすると、九条は資料の端を揃えながら言った。

「正しい世話は、だいたい嫌われる」

「わたし、世話したいわけじゃないんだけど」

「制度がそういう役割を作ってる」

「じゃあ制度が悪い」

「半分は」

 九条は新しい一覧表を出した。相談役への問い合わせ回数、面談の長さ、同じ相手への集中度。真白の欄は明らかに伸びている。結菜だけではない。何となく話しやすいと思われた相手のところへ、質問が雪だるまみたいに集まっていた。


「人気の相談役が、親役になる」

 九条は淡々と言う。

「人気って言い方やめて」

「実態の話」

「楽しそうにしないで」

「楽しくはない。ただ、予想通りではある」

 真白は紙を奪うように受け取った。数字として見ると、余計に息苦しい。支える側が多くを抱えた分だけ、支えられる側の自立は遅れる。そんな当たり前の話を、制度にした瞬間、人は見失うのだ。


 昼休み、悠真は校舎裏の渡り廊下で、伴走役に選ばれなかった生徒たちと話していた。愚痴の聞き役に見えるが、実際には空気の流れを変えている。誰か一人へ負担が寄りすぎていること、相談の場が固定されるとそこへ依存が生まれること。悠真は結論を押しつけず、自然にそれが話題になる位置へ自分を置いていた。


 真白は少し離れたところから見ていたが、しばらくして近づいた。

「また何かしてる」

「してない。聞いてるだけ」

「その“聞いてるだけ”が一番怪しいのよ」

 悠真は苦笑もせず、廊下の外の花壇を見る。

「伴走役、増やした方がいい流れにはなると思う」

「わざと?」

「少し」

「人には危ないって言うくせに」

「真白に寄りすぎるよりは、まし」

 その一言で、真白は言い返せなくなった。悠真のやり方は、真白にも九条にもほとんど効かない。だが周囲の流れには効く。中心を直接動かすのではなく、中心を取り囲む空気を変える。ずるいくらい地味で、ずるいくらい正しいやり方だ。

「あとで文句言うから」

「知ってる」

 その返事の淡白さに、真白は少しだけ救われる。感謝を求めない人は、まだ親になりきらない。


 放課後、結菜が再び図書室へ来た。昨日より顔色が悪い。冊子を返しながら、彼女は小さく言った。

「自分で選んでって言われたの、ちょっと怖かったです」

「そう」

「でも、昨日の夜、家でずっと考えました」

 結菜はしわになったメモを差し出す。部活候補が三つ並び、その横に短い理由が書かれている。字は乱れているが、昨日よりはずっと自分の言葉だった。

「だから、その」

 結菜は真白をまっすぐ見た。

「どれが正しいかじゃなくて、どれが今の私に近いかを聞きたいです」

 真白はゆっくり息を吐いた。昨日より、たしかに一歩だけ違う。

「それなら話せる」


 椅子に座り、冊子を開く。吹奏楽部の写真、文芸部の紹介、図書委員の募集要項。真白はすぐに答えを指ささない。ページの端をめくりながら、結菜が書いた理由を一つずつ読み直す。そのあいだ、結菜も黙って待った。待てるようになったこと自体が、昨日までとは少し違う。

「どれを選んでもいい」

 真白は最後にそう言った。

「でも、選んだあとで嫌になったら、それも自分の失敗じゃなくて途中経過だと思いなさい」

 結菜は黙って頷いた。その頷き方はまだ危ういが、昨日よりは寄りかかっていない。


 図書室を出ると、夕方の光がガラスの床へ四角く落ちていた。九条が窓際で待っている。

「どうだった」

「昨日よりはまし」

「それは君が一度嫌われたからだ」

「言い方」

「事実」

 九条は視線を外へ向けたまま続けた。

「親が子どもを自立させる時、一度は“冷たい”と受け取られる」

「親子の話にしないで」

「してるのは制度の方だ」

 真白は口を閉じた。まさにその通りだからだ。支える、伴走する、ひとりにしない。どの言葉もやさしい。でもやさしい言葉は、簡単に年上と年下、支える側と支えられる側を固定する。


 帰り道、悠真は珍しく先に話した。

「真白が嫌われるの、必要な時はある」

「それ、励ましてるつもり?」

「好かれることでしか支えられないなら、たぶんもう遅い」

 真白は歩きながら、横目で悠真を見る。

「相変わらず言い方が下手」

「知ってる」

「でも、ちょっとだけ助かった」

「それならよかった」

 夕焼けの色は薄く、電線の影が道に落ちていた。支えることは、抱えることに似ている。抱えているうちは、相手の足が地面から離れる。だったらどこかで降ろさなければならない。降ろす瞬間だけは、どうしたって少し嫌われる。その当たり前を、真白はやっと身体で理解し始めていた。


 伴走制度が始まって三週目、相談室の前で小さな列ができていた。みんな静かに順番を待っているのに、空気だけが落ち着かなかった。廊下の窓は開いていて、春の風がカーテンをふくらませている。待っている生徒たちは、その揺れを目で追いながら、自分の番が来る前に何を話すかを頭の中で整えているように見えた。

 真白はそこで、三年の女子が一年の男子に言っているのを聞いた。

「ちゃんと食べたか確認してあげた方がいいよ。あの子、自分じゃ決められないから」

 その言い方が、妙に引っかかった。心配なのだろう。本気で気にかけているのも分かる。だが、自分じゃ決められないと決めてしまう言葉は、善意の顔をしたまま人を小さくする。


 午後、真白が担当の生徒と話していると、結菜が珍しく先に口を開いた。

「私、最近ちょっとだけ話せるようになったんです」

「よかったじゃない」

「でも、それを見た母が、今度は毎日“今日は誰に何を話したの”って聞いてくるようになって」

 真白は返事を失った。支えたいと思った人間ほど、回復の兆しを管理したくなる。昨日よりどれだけ良くなったか、誰と話したか、どこまで自分でできたか。数字にできない変化まで、報告の形にしてほしくなる。

「それ、しんどい?」

「しんどいって言うと、せっかく応援してるのにって顔される」

 結菜は苦笑した。責めるつもりはない。ただ、困っている事実だけがそこにある。


 真白は相談室を出たあと、階段の踊り場でしばらく立ち止まった。校舎の中ほどから吹奏楽部の音が上がってきて、金属の響きだけが妙に明るい。

「顔、悪い」

 九条の声がして振り向くと、彼はノートを片手に立っていた。

「最初からいい顔してる時なんてないでしょう」

「そうでもない」

「何」

「怒る前の朝比奈さんはわりと整ってる」

「最悪」

 九条は肩をすくめた。

「言いたいことは分かる。支援の名目で経過を管理するのは、ほぼ監督だ」

「しかも相手は善意のつもり」

「善意の世話ほど断りにくい」

 真白は階段の手すりに指を置いた。冷たさが少しだけ落ち着く。

「助けたい気持ちがあるのは分かるのに、ああいう言い方になると、もう子ども扱いなのよ」

「“あなたのため”は強いからね」

「嫌なまとめ方」

「でも当たってる」


 放課後、真白は結菜の母親と短く話す機会を得た。

 面談というほどではない。校門の前で、帰りを待っていた相手に呼び止められただけだ。

「あの子、前より落ち着いてきたんです。朝比奈さんのおかげで」

「わたしのおかげってほどでも」

「でも、ちゃんと見てくれる人がいると安心で」

 母親の笑顔は疲れていた。その疲れがあるから、真白はきつく言えない。見ていたいのだろう。手を放したくないのだろう。放した瞬間に、また悪くなる気がしているのかもしれない。

「見ていることと、決めさせないことは違います」

 真白は慎重に言った。

「少しずつ、自分で決める余白も残してあげた方が」

 母親は戸惑った顔で笑った。

「分かってるんですけど、つい」

 その“つい”がいちばん厄介だ。悪意も支配欲もなく、手を貸しすぎる。守るために近づきすぎる。真白はその場ではそれ以上言えなかった。


 帰り道、悠真にその話をすると、彼は珍しく即答しなかった。自販機の前でココアのボタンを押し、落ちてきた缶を受け取ってから言う。

「見てる方は、放すと落ちる気がするんだよ」

「分かるけど」

「うん。分かるけど、その気がするって感覚で全部決められる方はたまらない」

「それ、あんたが言うと妙に重い」

「見てきたから」

 真白は缶のぬるい熱を指先に感じながら、何も言えなかった。悠真は真白のことを言っているのかもしれない。あるいは自分のことかもしれない。どちらにせよ、この話はもう学校の制度だけの話ではなかった。


 夜、真白は伴走記録の空欄に、結菜の母親のことを書くか迷ってやめた。書けば共有される。共有されれば整理される。整理されれば、対処法になる。けれど今はまだ、誰かの不安まで制度の言葉へ変えたくなかった。真白はノートを閉じ、消し忘れた廊下の電気を見上げる。守りたいと思うことと、抱え込むこと。その境目は、思っていたよりずっと家庭的で、ずっと日常的だった。


 翌週、結菜は母親に「今日は聞かないで」と言ってみたらしい。成功したわけではない。夕食のあとで結局、「少しだけなら」と自分から話してしまったという。

「負けた気がしました」

 そう言う結菜の声に、真白は首を横に振った。

「負けじゃないでしょう」

「でも、全部言わないって決めたのに」

「全部守れない日もあるわよ」

 窓の外では雨が降り始めていた。図書準備室の薄いカーテンに灰色の光がにじみ、机の上の消しゴムかすまでよく見える。こういう細部が見える日は、会話も少しだけ遅くなる。

「守れなかったって思うと、次にまた言いにくくなるんです」

「だから、“今日はここまで”って言い方がある」

 真白は昨日考えたばかりの言葉を口に出す。全部やれない日がある前提の言葉。完璧な親離れも子離れも、最初から期待しないための言い方。


 放課後、悠真は校舎裏の花壇の前で水やりをしている一年の男子と少しだけ話していた。帰り道、そのことを真白が指摘すると、悠真はじょうろを返却しながら言う。

「話したってほどじゃない」

「十分話してた」

「相手が勝手に話しただけ」

「その言い方、自分のこと棚に上げてる」

 悠真は笑わずに肩をすくめた。

「真白や九条ほどじゃないけど、流れくらいは作れる」

 それは自慢ではなく報告に近い口調だった。真白はそこに少しだけ腹を立て、同時に納得もする。悠真は中心で人を動かせない。でも、外側の空気は変えられる。だからこそ、真白には通じないやり方で場を支えられる。


 夜、真白はノートに「正しい世話」という言葉を書き、その下に小さく「正しい顔をして、人を子どもに戻す」と付け足した。支えることが悪いのではない。正しい世話の顔をしたまま、相手の順番を飛ばすことが危ないのだ。そこまで書いて、真白はペンを置いた。親離れや子離れは、劇的な決別より、こういう小さな順番の回復に近いのかもしれない。


 雨の帰り道、真白は傘を持つ手を何度も持ち替えた。世話を焼くことと、子ども扱いすること。その境目は、思ったよりも会話の中にあるのではなく、相手をどこまで“自分より小さい存在”として見ているかにある。そこへ気づいた時からしか、たぶん支え方は変わらない。


 真白は濡れた歩道の反射を見ながら、自分もまた誰かを安心させるために小さくしていなかったかを、初めてまっすぐ考えた。

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