55 持ち出された報告書
「デュシェル・レアールです! あ、姉上にはずっとお会いしたいと思っていました! あのっ、戴いた剣は、僕にはまだ大きいので部屋に飾ってあります! いつか、あの剣にふさわしいと言われるように、今は勉強中です‼」
「キャロルです。遠い所を、来てくれてありがとう。帝都でのお仕事があるので、毎日は一緒にいられないんだけど、今日は大丈夫なので、1日一緒に過ごしましょうね?」
「はい!」
レアールともローレンスとも名乗りづらかったキャロルは、敢えて名前だけを目の前の弟に告げた。
産まれた時も思ったが、やはり自分とは真逆の、カレル似だ。
朝食の後片付けが終わり次第、パーティー準備の傍ら、商業ギルドを見学しようと言う話になり、デュシェルが支度に消えるのと前後するタイミングで、ヒューバートが部屋へと入って来た。
「お嬢ちゃん……ちょっと、良いか」
「あ……うん。あ! エーレに何か――」
「いや、悪い。そうじゃないんだ。多分、これ……お嬢ちゃんに見せた方が良いんじゃないかと思って、な」
そう言ったヒューバートが手にしていたのは、紐で縦横両方向から綴じられた、書類の束だった。
「意識が途切れる直前のエーレ様が、持ち出しを指示した書類なんだよ。だけど俺らは、これをどうするつもりだったのか、読めないからな……」
「……ジャガイモの取引リスト……代価が帝国貨幣? なんで……」
「やっぱり、分かるのか」
まだ、紐を解かない内から、一番上を見て判断したキャロルに、ヒューバートが唸る。
「やー……詳しくは、全部読んでみないと、何とも言えないんだけど……」
「解いて、見てくれて良いぜ。多分今度の外遊で、お嬢ちゃん経由で、帝国の殿下に渡そうとしていたヤツなんじゃないかと思うんだよ。詳しくは聞いてないんだが、手土産の1つでもないと――的な話をしてた事はあるんだ」
「アデリシア殿下に?」
取引代価が帝国貨幣である点から言っても、ヒューバートの言う事は、あながち間違いではないのかも知れない。
そう思ったキャロルは、思い切ってその綴じ紐を解いた。
始めは、軽く斜め読みするくらいのつもりだったが、その顔色が変わるまでに、時間はかからなかった。
「お嬢ちゃん……たまに、エーレ様が書類見ながらなってる表情と同じじゃねぇか……」
「……ヒュー」
「あ、ああ」
ヒューバートの呟きは、恐らく聞こえていなかったのだろう。
片手で口元を覆ったキャロルの視線は、書類に固定されたままだ。
「マルメラーデ国のフォアネニ妃……って、どう言う立ち位置の女性? あと、この……後見の、イエッタ公爵家って……」
「あ? ……っと、悪い。そこはちょっと説明が難しいな……フォアネ様自体は、セレナ妃――つまり、エーレ様の亡くなられた母君と、親友と言っても良いくらいに親しくしていらっしゃったんだが……マルメラーデで後見に入ったイエッタ公爵家って言うのは、公国のミュールディヒ侯爵領から、一人嫁いでるんだよな……」
「分かった。それは、ニ妃本人が絡んでいないにしても、立ち位置としては、第二皇子側と思った方が良いよね。ありがと。じゃあ……ファールバウティ公爵家は? 同じ派閥なのかな」
「……悪い、俺はそこまで詳しくない。ただ、イエッタ公爵家と同じ系列だとかで、名前を聞いた覚えがないってのは、言える」
「……分かった」
ヒューバートは、エーレを守っている時に感じていたのと、同じ無力感を、この目の前の少女にも感じてしまい――顔を顰めた。
武力の向こう側にいて、ヒューバートの手が、届かない。そんな表情をしているのだ。
目の前の書類に没頭しているキャロルは、そんなヒューバートの変化には、気付かない。
「これ……証拠が揃ったら、殿下からファールバウティ公爵家を動かして貰うしかないなぁ……ニ妃を絡めとるか正妃を絡めとるかは……時間もないし、殿下に丸投げで良いか」
「うん?」
「何でもない。……あ、これ、途中からはディレクトアの話になるんだ。別の報告書だ。えーっと、こっちは……」
読み進めていくうちに、こちらも眉間に皺が寄り始めたが――最後には、口元にあった手が額へとやられ、大きなため息が一つ、吐き出された。
「お嬢ちゃん?」
「ヒュー……エーレの部下で、ヒュー達とは別の勢力――って言うか、グループって、ある?」
「別の勢力?」
「ヒューって、武闘派でしょ? そうじゃなくて、諜報とか、そっち系」
「ああ、なるほど……それなら、ルスランだな。ルスラン・ソユーズ。覚えてねぇか? 濃い緑色の髪にメガネかけた、ちょっと陰険な感じのヤツ。何だかんだ、あいつ、俺の次くらいには強いから、そう言う区別の仕方をした事がなかったけど、エーレ様に時々調べ物を頼まれるのは、アイツだ」
曰く、エーレを最初に公国から逃がす助力をしたのも、このルスランらしい。
「顔を見たら、思い出すかも……私、まだ、他の人に会ってないんだけど、同行者の中に、いる?」
「おお、いるぜ。っつーか……」
言いながら、ヒューバートは、つかつかと窓の方へと歩みより、徐ろに窓を開けた。
「ルスラン、お嬢ちゃんのご指名ー」
「えっ、気配感じなかったんだけど⁉」
「俺だって、殺気でもなきゃ、そうそう感じねぇよ。だけど大抵、こう言う時は建物のすぐ外にいるんだよ、コイツ」
ヒューバートの言葉に、視線を書類から剥がしてみれば、確かに窓の端に、人の背中が見えた。
「あー……っと、ちょっと、中でお話し聞けます?」
「ちょい待ち、お嬢ちゃん。何で俺には自由で、ルスランには敬語なんだ」
「ヒューが、いくら畏まらなくて良いって言ったからって、いきなり他の人にまで、拡大解釈はしませんー」
「うわぁ……俺、絶対、初対面の時の接し方間違ったわ」
「……自分で話を脱線させておいて、何を言わんや、だな。と言うか、陰険そう、は余計だ」
窓の外の人影が、ため息と共に、動く。
あ、とキャロルが思わず声を発した。
眼鏡の容貌もそうだが、何よりキャロルはルスラン・ソユーズに対しては、ハッキリと覚えている事があった。
「そうだ、暗器いっぱい持ってた人だ……」
呟かれた一言に、ルスランが目を丸くして、ヒューバートは――吹き出して、哄笑した。
「どう言う覚え方してんだよ、お嬢ちゃん! いや、間違っちゃいねぇけど!」
「確かに……そんな風な言われ方をした事は、なかったな……」
「えっ⁉ あ? ごめん……なさい? 私、カーヴィアルで、近衛の礼服にアレコレ仕込んであって……それって、昔に色々見せて貰ったのが、すごく参考になったから、つい……」
「いや、仕込むなよ。そこは、参考にするところじゃねぇだろ」
「謝らなくて良い。力押しの誰かさんと違って、実に見上げた心がけだ」
「ルスラン、てめぇ――」
「――それで?」
ヒューバートの抗議には取りあわず、窓枠に両肘を置いたルスランが、キャロルにニッコリと笑いかけた。
「俺に聞きたい事とは?」
「えーっと……中に入って貰っても?」
「一応、周辺の警戒と護衛も兼ねているつもりだから、なるべくなら、このままの方が有難いが……」
「話し声が外に漏れる危険を減らしたいです。特にヒューとか、どちらかと言えば、声大きいですし」
「なるほど」
なるほどじゃねぇよ、と、ヒューバートが呻いたが、キャロルもルスランも、無視して話を進めている。
では、少しだけ……と、首肯したルスランが、窓枠を軽々と飛び越えて、部屋の中に入った。




