53 こんな筈じゃなかった
「そうやって見ると、やっぱりお嬢ちゃん、レアール侯爵の娘だったんだな……って、実感するな」
店舗に繋がる方の出入口の扉を、軽く叩いて、注意を引きつけたのは〝東将〟ことフランツ・ヒューバートだった。
「ヒュー……」
「うん、せめて『ヒュー』で頼むわ。ヒューバートさんは、こそばゆいっつったのは確かに俺だが、30歳過ぎて『ヒューっち』は、さすがに勘弁してくれ」
「う……分かった」
「起きたら部屋の窓から、お嬢ちゃん見えたからな。とりあえず、寝床を提供してくれた礼を言いたくてな。助かった」
「あ……ううん。こちらこそ、と言うか……」
チラリとロータスを見れば、片膝をついた姿勢のままで、ロータスが頷いた。
「カレル様からは、キャロル様の伝言として、キャロル様が以前お世話になったと言う事と『デューイ様の命の恩人だ』と言う事を伺いましたが――カレル様とデュシェル様がお休みになられてから、更なる詳細を、こちらの〝東将〟から伺いました。正直、すぐにでも発ちたかったところを諭され、キャロル様を今か今かとお待ちしておりました」
「お嬢ちゃん」
ロータスが「詳細」と言ったところで、ヒューバートが僅かに顔を歪めて、扉の奥を指差した。
「エーレ様……まだ意識はないけど、どうする?」
ビクリ、とキャロルの身体が震えた。
ヒューバートを向いた瞳が、不安げに揺れる。
「会え……る?」
「顔を見るだけに、なっちまうけど……」
「会いたい……」
「分かった」
「……ごめん、ロータスさん……母が起きたら……後で行くから、って……」
片膝をついた姿勢から立ち上がって、ロータスは一礼したが、キャロルは既にそれを見ていなかった。
常の凛とした姿勢ではなく、おぼつかない足元で、ヒューバートの後から、建物の中へと入って行く。
「……俺は、ここにいるから」
「……うん」
部屋の外で待つ姿勢を見せたヒューバートに、頷いてみせながら、キャロルは静かに部屋の扉を押した。
部屋に入って、まずここが、かつて母と暮らしていた時の、自分の部屋だった事に気が付いた。家具や配置が、そのままなのだ。
今は住居棟が別に出来たため、キャロルが帝都からたまに帰って来る時でも、ここを使ってはいなかった。
母が気をきかせてくれたのだろうか。
「!」
寝台の位置も、変わっていない。
目指す人物は――そこに眠っていた。
「エーレ……」
寝台の脇の椅子に、ストンと座り込む。
雰囲気は、変わっていないと思った。
ただ、痩せて、顔色にも生気がない。首元からは、血の滲んだ包帯が覗いている。
左の肩から、袈裟懸けに近い形で斬られたようだと――聞いた。
父を、庇ったと。
「……なんで……」
こんな形で、会う筈じゃなかったのに。
膝の上で握りしめた拳の上に、涙が零れ落ちた。自覚した瞬間、それはもう、留まる術を知らなかった。
第一皇子なんて、知らない。そんな雲上人の隣に、席を頼んだ覚えはない。自分はただ〝エーレ・アルバート〟の隣の席に、憧れただけだ。
それがどうして、こんな事になっているのか。
そして――それでも。
この人を、諦められない。この人の隣にいたいと、思ってしまう。
こんな形でも、会えて嬉しいと、思ってしまう。
(あぁ……)
俯いた拍子に、揺れた髪飾り。
否が応にも、自覚させられる。
自分はこの人が、好きなんだと――。
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用心のため、半分だけ開けておいたドアから、押し殺した泣き声が聞こえる。
廊下の壁に背中を預けながら、やるせないと言った態で、ヒューバートが片手で自分の頭をガシガシと掻いた。
「キャロル様……」
驚いたように、扉の向こうに視線を固定させているのは、心配で後をついて来た、ロータスだ。
「あー……悪い。もうちょっと、このままで頼む」
片手を頭に置いたまま、視線を足元に落とすヒューバートに、ロータスも頷かざるを得ない。
ルフトヴェークの政情にまだ疎いカレルは、ここにいるのが、およそ5年前に、キャロルがルフトヴェークを訪れた際にお世話になった、公国の首席監察官だとのキャロルの説明を素直に信じているようだった。
ただロータスはデューイから、それが公国の第一皇子の兼務職だと言う事を聞いている。
ロータスの推測が正しければ、この部屋で昏倒しているのは、謁見の間でレアール侯デューイを庇った、第一皇子エーレ・アルバート・ルーファスの筈だ。
「エーレ様は……4年半くらい前に、監察中にお嬢ちゃんと知り合った後は、もう自分の皇妃は、お嬢ちゃんしかいないと決めて、それは周到に根回しをされてた。当初は他国在住の平民だって話だったから、尚更。だがどこかで、お嬢ちゃんが弟の誕生祝いに来たって言う実家が、レアール侯爵家だと気付かれたみたいだ。途中からは、公式行事の度に、侯爵に接触を図るようになっていた。俺の身分では、詳しく確認も出来なかったけどな」
キャロルとエーレの関係が繋がらないロータスに、小声でヒューバートが、そう説明をする。
ロータスも、何となくそこには覚えがあったようである。
「気付かれたと言うよりは……私の部下が、当時、カーヴィアルに戻られるキャロル様の護衛をしていたルヴェルの街で、ルーファス公爵領の通行許可証を渡されたと言って、持って帰って来た事がありました。とある貴人に、あとはこの名に賭けて、自分が守ると言われた、とも。許可証を見たデューイ様…レアール侯は顔色を変えて、今度の式典で、何としてもお声をおかけして、真意を確認する――と、その時点で仰っておいででしたので、恐らくはそこで、お二方の間で話が繋がったのではないかと……」
「……おお、なるほどな」
当初エーレは、自分が通行許可証を渡した相手が、レアール侯爵家のお抱え護衛だなどとは知る由もなかったのだから、恐らくはデューイの方から、何らかの形で接触を図ったのだろう。
とは言え、ヒューバートは式典会場の中で主人を警護する立場、ロータスは会場の外で主人の帰還を待つ立場である。それぞれの主同士、どのような会話が交わされたのかなど、知る由もなかったのだ。




