『ルイーズ・オディエ』
◇
季節はめぐり、桜の舞い散る季節――。
木々は一斉に芽吹き始め、気の早いものは小さな若葉を広げている。
庭の薔薇たちも、次々と新芽を伸ばし、庭にささやかな彩りを添えている。薔薇の新芽は、花色を予感させる朱色でそれだけでも可愛らしい。
早朝の庭先で紅葉は新芽の様子に目を細め、生命力溢れるその姿に日々の生活のエネルギーを分けてもらっていた。
少し伸びた髪を耳にかけ、朝露を載せた新芽をじーっと見つめる。
「薔薇の若芽って、天ぷらにしたら美味しそうよね」
薔薇たちが俄にざわついた気がした。
タラの芽に、ウドの若芽。各種山菜も天ぷらにすると美味しい。山野に囲まれた村の直売所では、さっそく色々な山菜が売られている。それなら薔薇の新芽だってイケるような気がする。瑞々しくて柔らかそう。
菊の花だって、藤の花だって、天ぷらになるのだから。同じような植物の若芽が食べられないわけがない。
もしかしたら薔薇のような良い香りがするかもしれない。
思わず手を伸ばしかけた紅葉だったが、そこで我に返る。
「あ、ごめんねルイくん、冗談だよ冗談」
鉢植えの『ルイ14世』は怯えていた、と思う。物言えぬ薔薇の若木は、主人の乱心に『……!?』と、顔を青ざめさせていたことだろう。
「さて、朝ごはん食べよ」
バカな事を考えるのも、お腹が空いているせいだろう。
春はあけぼの、食欲の春。暖かい陽気に体調も良いし、気力も漲ってくる。
今日も一日、日向園芸の正社員として働かねばならない。
新築のお宅用の庭造りも、いよいよ本格的に始動する。冬の間は外構工事のみを行い、庭木や多年草の苗、そして彩りの主役として薔薇を植えることになっている。
葵と紅葉の合作は、果たして施主さんに喜んでもらえるだろうか。
うんっ……! と、伸びをして朝の空気を思い切り吸い込む。
水やりと朝の庭の見回りが、紅葉の大切な日課になっていた。
「あ、新聞とりわすれた」
庭から玄関の方へと回り、家と外を隔てる生け垣に沿って進む。やがて黒い石畳の通路を経て、時代劇に出てきそうな東屋のような棟門へと至る。
茅葺屋根は季節を重ねて朽ちつつあり、正面から見ればなるほど、お化け屋敷か廃屋のようだ。
新聞受けから朝刊を抜き取り、家の玄関へ戻ろうと歩き始めたときだった。
わずかに差し込む朝日が東屋の根元を照らしていた。
「あら……?」
そこに明らかに生命の輝きを感じ取る。
何かの若芽だった。
枯れた植物の根元から、元気よく朱色の若芽が伸びてきていた。
紅葉は思わず近づいて、しゃがみ込んで若芽を観察する。
「あ……これって」
枯れた枝はトゲに覆われていた。それは見慣れた薔薇のトゲ、つまり薔薇の枝だ。枯れて灰色に朽ちた株の根元、落ち葉の隙間から地表に残った僅か10センチほどだけが生きている部分だった。そこから左右に新芽が生えつつある。
そして、この場所は、この薔薇は――
「『ルイーズ・オディエ』だよね、すごい! 生きていたんだ……!」
確かここには去年までルイーズオディエがあった。半つる性のオールドローズとして、棟門の軒下まで伸びる見事な古株だった。ところが紅葉が引っ越しのとき、引っ越し業者のトラックの後輪に踏みつけられて 折れてしまったのだ。
枯れてしまったと思っていた。
けれど冬を越えて再び芽吹く生命力の強さに、踏みつけられても復活する強さに心打たれる。
――ルイーズを殺したのは、お前か。
玄関先に現れた青年――葵が発した言葉が脳裏に甦る。
あの出会いが、この薔薇が、すべての始まりだった。
「ちゃんと……生きてます」
紅葉はこみ上げてくる喜びをぐっと噛み締める。
立ち上がり、春風に舞う桜の花弁を見上げる。
そうだ、写真を撮って葵さんに見せてあげよう。
ルイーズ・オディエの新しい息吹を。
<了>
★これで物語は一応の区切りとなります。
ヒキニートな紅葉、隠れ引き篭もりだった葵。
二人はひょんなことから出会い、心を通わせることができました。
藤崎のお婆ちゃんの遺した薔薇という、美しいヘリティジ(遺産)を鍵として。
紅葉と葵、二人の物語はここから始まるのですが――
それはまた、どこか別の機会に。
応援して下さった読者の皆々様、本当にありがとうございました!




