番外編「亡くした宝とプロポーズ」
自分の全ては置いてきた。
あの雪深く埋もれ、息絶えた里へ。
「ユキ! 良いところにきた。こっちへ来てくれ。頼みがある」
冒険者の酒場に顔を出した途端、店主に声をかけられた青年は、僅かに目を細めた。癖のない鋼色の髪。切れ長のブルーグレーの瞳。端正な容貌の青年である。
粗野な荒くれ者も多い冒険者の中では、目立つ雰囲気の青年だった。しなやかで凛々しく、隙がない。
季節は初春、まだ外套を身につけている者も多いが、青年──ユキは軽装だ。白地に黒黄の切り返しが映える上衣に、黒一色の下衣。装飾一つ身につけていないが、それを補って余りある、黒地に薄青と、銀糸で施された模様が目を引く手甲。冴えざえとした光を放つ、極上の陽石が嵌め込まれた逸品だ。
無言のままユキが歩み寄ると、店主の側には明らかに駆け出しの冒険者が四人、緊張した面持ちで待っていた。男、男、女、男。全員若い。唯一の女性が最年少で、ユキより少し年下くらいか。
ユキはその少女に、少し目線を留めた。
人目を惹く少女だった。
紺色の髪は長く、波うってキラキラと光を弾いている。まるで晴れた美しい夜空のようだ、と思った。瞳は透き通る月光色。瞬きをする度に、大きな満月が満ち欠けしているようで、何とも神秘的だ。
冒険者の女性にありがちな、男勝りな雰囲気も、すれた空気も感じられない。魅力的な娘だった。
冒険者に向いているとは思えない、というのが正直な第一印象だった。下手なパーティーに放り込んだら、一瞬で下種な男の餌食になって終わりだろう。
目線で店主に問いかける。
「今日の仕事を探しに来たんだろう? こいつらは全員新顔でな。これから初依頼に出すんだが、ひよっこだけじゃ心もとない。付いていってやってくれ」
──そんなサービスがあるとは知らなかった。
ユキは心の中でだけ呟いた。
彼も数ヶ月前に、冒険者になったばかりだ。だが彼の初仕事の時には、保護者の斡旋などなかったはずだ。まあ、保護者が欲しかった訳ではないので、それは構わないが。
つまり、恐らく新人の護衛は、表向きの口実だということだ。
ユキはもう一度、四人の新人冒険者を順番に観察した。目が合うと、少女だけはニコッと笑いかけてくる。そうするとより一層可愛さが増して、ユキはどちらかと言うと頭痛を覚えた。
──本命の依頼内容は、あの娘の護衛か。
確かに他の男三人は、あからさまに少女を意識してチラチラ視線を投げている。人気のない山野に行かせたら、結託してすぐに襲いかかりそうだ。
だが。
ユキは控え目に反論した。
「知っての通り、俺も冒険者歴は浅い。王都付近の地理にも、まだまだ不案内だ。他の奴の方がいいんじゃないか」
「こういう依頼は、下手な奴には任せられん。それに基本的には、怪我をするのも死ぬのも、そいつの腕不足が原因だ、と突き放すのが冒険者の流儀だ。──だが、お前なら大丈夫だろう」
ユキの反論は、店主にアッサリいなされた。こういう、腕を認める系の言い方をされると断りにくい。
そしてユキは、店主の洞察力に舌を巻いてもいた。依頼に同行して言動をつぶさに見ている訳でもないくせに、よく分かったものだ。冒険者の徹底した個人主義は、ユキの慣れ親しんだ流儀ではない、ということを。
冒険者は、良くも悪くも自分を最優先する。特にその日その日の依頼に応じて組んだだけのパーティーなど、協力もへったくれもない。自分の成果を確保することが全てだ。
だがユキにとってパーティーとは、仲間とは、そんなものではなかった。
決して裏切らないもの。見捨てないもの。協力して戦うもの。命を賭けて助け合うもの。そんな、かけがえのない宝だ。
──既に亡くした宝だ。
眼裏に映る故郷の仲間たちに、ユキは思いを馳せた。
すぐにでも甦る。
若長! と呼ぶ声。弾むような息遣い。力強く打ち合わせた拳。屈託のない笑顔。信頼をこめた眼差し。
言葉など要らなかった。お互いの背中を預け、息をするように連係していた。仲間にとって最善な行動を取ることが当たり前だった。個人的な旨味を追及するなどありえなかった。
だが、そんな仲間たちは、既に亡い。
あの雪深く埋もれた山里で、全て息絶えた。
たまたま里を空けていた彼が、異変に気付き戻ったときには、全てが終わっていたのだ。
そして里を離れ王都に着いた頃には、ユキは既に悟っていた。
冒険者に仲間意識など期待してはならない。ユキがいくら仲間を気にかけようとも、それに他の冒険者たちは応えない。下手をしたら、助けられていることにさえ気づかない。
それならば、彼も割りきるだけだ。
宝は既に失われた。二度と手に入らないのだ、と。
それに彼としても、かつての自分は全て、置いてきたつもりだった。
あの雪深く埋もれ、息絶えた里へ。
家族や仲間たちの骸と共に。
今の自分は、ただの一人の冒険者だ。
「分かった。引き受ける。具体的な依頼内容は?」
尋ねると店主から告げられたのは、新人冒険者に相応しい、難易度の低いミッション。やはり自分の役目は少女の護衛らしい、と再確認する。
「でも、そいつも冒険者になりたてなんだろ? 頼りになるのかよ」
あからさまに噛みついてきた新人冒険者が一人。お目付け役をつけられたことに気付いたらしい。
店主はニヤリと笑った。
「お前ら、ユキの手甲を、よく見るんだな」
「──陽石!?」
「ユキは凄腕だ。その武器石を奪おうと絡んだ奴等は、片っ端から返り討ちにされているぞ。お前らが束になっても敵う相手じゃない。諦めて面倒を見てもらうんだな」
程度の差はあれど不服そうに黙ったのは、男三人。しかし少女だけは、素直な称賛の瞳でユキを見上げてきた。涼やかな声が、ユキの耳を打った。声も綺麗なんだな、と呆れたように思った。
「凄いんですね。今日は宜しくお願いします」
懐かしい眼差しだった。里で、同年代の女性たちからよく向けられていた憧憬の──。
これは駄目だ、とユキは再び思った。故郷の仲間を思わせる程の、信頼と尊敬が宿る眼差しなど、とんでもない。
──この娘は、冒険者には向いていない。
女冒険者になりたいのならば、いくら店主の采配でも、初対面の男冒険者へ、簡単に気など許してはならないからだ。
今回は優しい店主が、特別にユキを重石にしたが、本来冒険者は、自分の身は自分で守らなければならないのだ。女冒険者は邪な男の欲望から身を守ることも、その一貫となる。
それができないなら、女冒険者になど、なるべきではない。さすがにこんな少女が、取り返しのつかない酷い目にあうのを見過ごすのは、ユキとしても寝覚めが悪い。
余計なことかもしれないが、この依頼の間に、冒険者になるのは止めろとアドバイスするべきかもしれない。そう迷いながら、ユキは四人に付いてこいと合図をして、歩き出したのだった。
そして一年後。
「あのっ! これ、受け取って貰えませんか?!」
冒険者の酒場に顔を出した途端、横から声をかけられて、ユキは足を止めた。
差し込む夕陽のせいだけではなく、頬を真っ赤に染めた町娘が、籠に入ったパンを差し出していた。焼きたてで、少し形が不揃いのそれは、手作りなのだと一目で分かった。
──見覚えは……ない、な。
ユキは脳裏をざっと検索して、すぐに知り合いではないという結論に至った。ということは、一方通行で見られていて、このたび待ち伏せを受けたらしい。
冒険者の酒場に、ただの町娘が長居するのは勇気がいる。依頼を出しに来た風でもなく、そわそわと人待ち顔をしていれば尚更だ。好奇心丸出しの目線を向けられて、さぞ居心地が悪かったことだろう。
実際に今も、周囲にはニヤニヤ笑いの壁。趣味の悪い冒険者どもが、この見せ物を面白がっているらしい。
「よう色男! 羨ましいじゃねえか!」
「早く受け取ってあげなよ。娘さんが可哀想だろ」
「ジーナが泣くぜー!」
野次に混ざったジーナ、という名前に、町娘の顔が歪んだ。知っているのか。ならば話は早い。
「気持ちだけ受け取るよ。ごめんな」
この人でなしー! ひでえええ! と周囲から沸き起こる非難。こいつらは何がしたいんだ、とユキは心中で嘆息した。受け取れば受け取ったで、ジーナがどうこう、二股がどうこうと、うるさく騒ぐに違いないくせに。
「受け取って貰えるだけで、いいんです。貴方のために、心をこめて焼きました。だから……」
籠を差し出す手が震えている。町娘の半泣きの顔に、罪悪感は沸いたが、結論は変わらなかった。
これを受け取ったら、きっとジーナは悲しむ。
ふーん、と拗ねてそっぽを向く。でも勿論パンを捨てたりも出来なくて、どんな返事をしたのだろうと不安がる。説明されても完全には安心出来なくて、ユキのバカ、とか言いながらくっついてくるのだ。
「ありがとう。でもその心は、俺じゃない奴に。俺の宝はジーナなんだ。ごめんな」
精一杯柔らかく告げると、町娘に気づかれないように、周囲をギロっと睨み回した。これ以上囃し立てることは、町娘の傷を抉る。余計な口を叩く奴、表に出ろ。
ユキの威圧に恐れをなして、冒険者たちが慌てて口を閉じる。
ペコリ、と一礼し、立ち去っていく町娘を、見送ることはしなかった。傷つけてしまった。きっとしょんぼりと項垂れているだろう。もしかしたら泣いているかもしれない。純朴そうな良い娘だったと思う。
だが、だからこそ、思わせぶりなことはできなかった。
あの日から、魂に染みるほど、彼にとってジーナは特別なのだから。
気を取り直して、酒場のカウンターに歩み寄ると、慰めるような表情の店主。
「仕方ねえやな。お前ら、早く結婚しちまえよ。男も女も、お前らに気をとられてソワソワせずにすむってもんだ。プロポーズして、そろそろ一年だろう」
ユキは額を押さえた。そちらに話が流れたか。
店主は、ユキがジーナをパーティーに誘った時のことを、プロポーズだと評して聞かないのである。
当時カウンターに頬杖をつきながら、散々揶揄ってきたものだ。
「常々自分は誰とも組むつもりはないと、無関心な態度で周囲に雄弁に主張していたお前が! あの日依頼を完遂してパーティーが解散になった途端、いきなり、ど新人を真剣勧誘ときたもんだ。ありゃ変則的なプロポーズだろう。歴は浅いが仁義をわきまえている奴だと見込んで、可愛い子ちゃんの護衛をふったのに、いやあ、その澄ました顔に、見事に騙された」
「プロポーズじゃない。パーティーを組まないかと誘っただけだ」
「白々しい言い訳だな、ユキ。ど素人の新人銃士だぞ。見込まれる程の腕前が、当時のジーナにある訳もなし。釣り合わないにも程がある。第一それ以来がっちり囲いこんで二人きり、手放す気もないくせに」
まあ、お似合いだからいいがな、と続いたので、それ以上の反論は控えることにした。
ジーナとパーティーを組んでからというもの、日々彼女への想いが深まっている自覚はある。
手放す気がない? そんなことは当たり前だ。
ただでさえジーナは、その腕前も容姿も性格も、知れば誰でも欲しがる宝。
そして自分にとっては。
二度と手に入らないと思っていた、亡くしたはずの宝だ。
手放せない。手放せるはずがない。
出会ってからずっと、彼女を守りたいと足掻き続けている。
好きだなんて言葉では足りないほどに狂おしく。
宝を亡くすのは、一度でたくさんだ。
──プロポーズ、か。
店主の言葉は、ある意味的を得ているのかもしれない。
勿論あの時はそこまで考えていたわけではなかったが、ジーナはユキにとって唯一無二だった。その存在ごと受け入れて守りたい、ただ一人の『仲間』だ。
他の女性など考えられない。口にしたことはないが、いつか必ず、と思ってはいる。
それでもまだ踏み込んでいないのは。自分の故郷について、言いそびれているからだろうか。
雪深い山里。
冷たく澄んだ清流。
キンと透明な空気。
針葉樹林に煌めく木漏れ日。
獣の鳴き声と鳥たちの羽ばたき。
そして亡くした仲間と、そこに置いてきたかつての自分。
それを、いつかジーナに話せるだろうか。
その時こそが、ジーナに本当のプロポーズを告げる時だと、ユキは心に刻んでいる。