浮遊魚
ぼくは満ちゆく光の中で溺れる魚を探しながら雑草を刈っていく。腐葉した土壌にぎっしり詰まった葦の根は吸いつくように前面を覆い、鬱陶しい湿気がまとわりつく。草刈機のエンジンが煩く唸り、草陰に隠れた様々な小虫が転げるように逃げていく。
ぼくは空を見上げる。雲はなく、青い晴れ間に薄い光が降り注ぎ多少の見えにくさを演じているがしっかりと浮遊した魚が見える。そんな魚は風に運ばれながらぼくの上空を旋回し、ベランダからぼくの姿を見ていた利用者さんの視覚を誘導する。
ぼくは利用者さんに手を振るが利用者さんの目は浮遊した魚にくぎ付けになり、ぼくの姿は視界から消える。魚は利用者さんの目を奪いながらゆっくり上空を旋回する。
この利用者さんはいつも浮遊した魚を見つめる。グループホームの食堂の窓からぼくが草刈りをしている裏の畑の上空を見つめ、そこで泳いでいる浮遊魚に目を奪われる。
「あそこに魚がいる。何をしているのかの。いつもいる。あんたには見えるか?」
ぼくは見つめる。窓の外を。グループホームの裏側にある野菜畑の上空を。
季節の移ろいに彩られた様々な空があることをぼくは知っている。雨の日、曇りの日、晴れの日、雪の日、そこで生きずく鼓動は全て違う音階を奏でながら、見る者の視界を一秒ごとに変えていく。
そして、見る者のその日、その時の感情によって様々な変化をもたらし、心像を揺るがす。
だから、同じ空は存在しない。魚が浮遊する空もあってよいと思う。現に見えている人がいる。
「ええ。いますね。魚。なんであんなお空に泳いでいるのかわからないけど、いますね。でも、あまり美味しそうではないですよ。見た目」
利用者さんはぼくの言動に共感を得て、満足そうに頷く。
ぼくは利用者さんの満足した顔を見つつ、お空に浮遊する魚を探す。でもその日は見つけられなかった。
毎日過ぎていく日々を変わりない日々と思い込んでしまう感性。鈍磨する感情の発露が繰り返され、繰り返されることにより時間が磨り減る。そんな時間を過ごしているぼくは少しづつ腐敗していく。
一方、利用者さんの感性は毎日更新され、日々新しい何かを感じている。季節の移ろい、時間の経過と共に感情が変化し研ぎ澄まされた刃のようにスッと発露される。その発露される一瞬に魂が宿り、目がキラリと光る。その目を見ると発露された感情を否定できない。
だから、ぼくも見る。魚を。
ぼくはゆっくり利用者さんに近づいて、驚かせないように声をかける。利用者さんはやっとぼくに目を移し、
「ご苦労様。こんな暑い中で」と言い、嬉しそうな笑顔を向ける。
「今日は一段と暑い日ですけど体の調子はどうですか?」
「ええ、おかげさまで、無事に過ごしています。ただ、あの魚が元気がないように思われるもんで。泳ぎ方がどうもいかんような」
利用者さんは首を捻りながら、心配そうに魚を見つめる。
「ええ、ぼくも感じてました。何だかいつもの泳ぎ方ではないような。でも暑い日だからあまり無理をしないで泳いでいるのかもしれませんね。まぁそのうち元気になりますよ」
利用者さんはぼくの言動に安心感を得たのか、
「頑張って働いてください」と言って家内に入っていった。
真っ白な空間に青い絵の具を垂らして一晩中夜遊びを繰り返したピエロ逹が朝の訪れを嫌がりながらも、騒がしく鳴き始めた小鳥逹の声を聞き落胆の溜め息をつく。
ぼくは一匹の浮遊魚を偶然見つけ、その後を追いかけながら深い森に入り、ピエロ達が吐き出した溜め息で真っ白になった幻想的な靄をあらゆる方角から払い除けながら浮遊魚を追いかける。
そこに真実性はない。
金魚鉢に金魚が二匹泳いでいて、透明な硝子の器は曲線を描くように外からの光を幾つもの波にして映し出し、揺れる。
カーテンの隙間から漏れる光具合で金魚鉢に浮かんだ光の屈折した模様は様々に反射しながら、淡い模様の印影を描きだす。
そこには縁日にたまたま買ってきたであろう普通の金魚が印影として浮遊している。光の加減で消えたり、現れたりしながら、浮遊魚としての存在をアピールする。
透明な金魚鉢で泳いでいる金魚は何も言わなければ、何も欲しがらず、ただ光の波に揺られながら泳いでいる。
ぼくが「君たちと同じ形をした浮遊魚がそこにいるよ」と教えてやっても何の反応もない。
ぼくは向きを変え、煙草を咥える。
二匹の金魚は口をパクパクしながら光の波を弄ぶ。
青い空が見える。
入道雲が遠くに浮かんでいる。
蝉の鳴き声が聞こえる。
向日葵が咲いていて、蜃気楼がたつ夏の午後に、縁側でかき氷を食べているぼくの横に金魚鉢がある。
軒下にぶら下げた風鈴の音がチリン~チリン~と鳴る。
金魚鉢で泳ぐ金魚はもういない。
さっき出ていった。
浮遊魚として。
そこにも真実性がない。
でも感じたい。あらゆる真実性の証明がなされて浮遊魚など存在しないと断定されても、
感じたい。