時間を巻き戻すネジ、あるいはヨット
おばあさんの死から一週間。周りで生活を共にしていた利用者さんは職員より強く逞しく過去の出来事を受け流す。
「あれ?ここに居たおばあさんは?」
「お空に飛んで逝ったよ」
「ふ〜ん、羨ましいかぎり。お空の上で何をしているのやら」
「なにもしとらんやろ、あのおばあさんは」
「はは。で、あのおばあさんは何処へいった?」
「さぁー?何処へいったかの?さっきまで居たのに」
「お星になったとか」
「んだ。お星になったとか」
「へぇー、お星になったのかい。で、あのおばあさんは何処へいったかの?」
「さぁー?それより御飯食べたかい?」
「食べてないよ。聞いてくるかい?」
そんなような会話がおばあさんの死後あったけど会話自体の終結がさっき食べた昼食を済ましたか済ましてないかの問いに帰結し、ぼくが「さっき食べましたよ」って言ったら、
「ほら、食べたんだよ。わたしは食べたと思ったけど、なんだか食ってないってこの人が言うから」って。
それっきり忘れたのか、記憶から消えて存在自体無くなったのか、これまでの死の経験から、おばあさんの死はお空に飛んで逝ったという心の受容として受け入れられたのか分からないけど、いつも通りのゆっくりした空気が流れていて、むしろ、職員の方がおばあさんの死に対してああだこうだと様々な意見を持ちつつ平静を装っている有様で、その職員の空気を利用者さんのゆっくりした空気が治療的に緩和してくれる。時間を巻き戻すみたいに。何度でも時計の針を戻して自由に時間軸を移動するみたいに。
ぼくは見る。ぼくは感じる。ぼくは沈む。ぼくは浮かび上がる。その繰り返しを波のような存在として捉え、そのものになる。揺れる。ゆっくり揺れる。その上にヨットが静かに航行している。だから、ぼくは時間軸を移動する。
海辺の底にヨットが消えて朝が来た。そんな感じの始まりであったのかもしれない。
ぼくはまた繰り返される今日という日を思う。
波のように揺れる空気が繰り返し訪れて、ぼくを磨耗し、磨耗されたぼくは昨日のぼくをザラザラの砂みたいに抽出して海辺の底に連れていく。海辺の底に連れていかれた昨日のぼくは静かに揺れる海底の布団に包まれて二度寝しようとする。
その時、セットしたアラームが鳴って、ぼくは目覚める。時間を教えてくれる現実に、呼吸をしている自分に、今日という日が動いている世界に不思議な知恵があることに気づき、目覚める。
「ふふ〜ん」って鼻を鳴らしながら部屋の置き時計に手を伸ばし裏側にあるネジを巻く。
そう、ぼくはネジを巻く。
煙草を吸って緑茶を飲みほし、パンにバターを塗って目玉焼きとレタスをのせ、赤い完熟したトマトを最後にのせる。
熱い湯を注ぎ珈琲を作って軽い朝食の出来上がりに何となく満足し、テレビをつけ、今日の朝刊を読みながらゆっくりと食べる。
朝食を食べ終わるとふと気付いた事があった。
さっきも食べたような気がする?
「ふふ〜ん」とまた鼻を鳴らした。
ぼくはまた置き時計に手を伸ばし、今度はもう少し長めに巻き戻してみた。
海辺にヨットがゆらゆら揺れて、月明かりの薄い光の中でぼくはボンヤリ波と呼吸を合わせていた。波面にはお空の星が落ちてきて光の渦を巻きながらヨットを揺らし、海辺の底に消えていないヨットが繰り返し時間を戻す。
記憶から記憶への狭間で、今話した事、今行動した事、今食べた事、今の時間、日にち、年、季節、経験し積み重ねた大事な過去を、ヨットは運ぶ。
「ふふ〜ん」と鼻を鳴らした。
ぼくは時計の針を巻き戻すため、ネジを巻く。
記憶から記憶への狭間でヨットが揺れる。
なにもかもを乗せてゆっくり航行するヨットはやがて海辺の底に沈む。
ぼくの記憶もあなたの記憶もすべて受け入れて、海底の砂となり、深い眠りにおちていく。




