普通の俺と、普通じゃない幼馴染
特別な才能なんてない。
だから俺は、できるようになるまで努力するだけだ。
ただ、それだけのはずだった。
……なのに、どうして俺の周りの女の子たちは、こんなにも俺を放っておいてくれないんだろう。
これは、努力することしかできなかった俺が、いつの間にか彼女たちの特別になっていた物語。
「陽翔、ネクタイ曲がってる」
玄関を出ようとした瞬間、扉の向こうから聞き慣れた声が聞こえてきた。
「え?」
そこには、呆れ顔の女の子が立っていた。この女の子は、水野美咲。昔から少し仲の良い女友達だ。
そして、ためらうことなく俺の胸元に手を伸ばした。
「もう、じっとして」
「いや、自分でできるからいいって」
「できてないから言ってるんじゃん」
美咲は俺のネクタイを器用に結び直していく。
今日は高校の入学式。
新品の制服に身を包んだ俺は、鏡の前で何度も身だしなみを確認したはずだった。
それなのに、ネクタイ一つまともに結べていなかったらしい。
「はい。こんなものかな」
「ん、まあまあだな」
ドスッという効果音とともに俺の足につま先がぶつかった。
「いってえなあ、何すんだよ」
「何すんだよじゃないわよ、他に言うことはないわけ?せっかく新しい学校で少しでも陽翔が周りからかっこいいと思ってもらえるようにしてあげようと思ったのに!」
美咲はそう言って一人で学校までの道のりを歩き出した。
「おい、待てって」
「何よ」
「その、何だ.....あり....がと」
「ふふふ、どういたしまして」
美咲は満足そうに笑った。
肩まで伸びた黒髪が、朝の風にふわりと揺れる。
小学校からずっと一緒にいる、俺の幼馴染だ。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
見慣れた景色のを二人並んで歩き始める。
今日から俺たちは高校生になる。
制服が変わっただけなのに、なんとなく世界まで変わったような気がした。
「ねえ、陽翔」
「ん?」
「同じクラスになれるかな?」
「さあ。学校に着けばわかるだろ」
「そうだけど……」
美咲は悲しそうな表情で俯いた。
「同じクラスだったらいいなって思って」
「まあ、家も近いしいつでも顔は見れんだろ」
「……そういうところなんだよね」
「何が?」
「なんでもない」
美咲は小さく微笑んだ。
俺にはよく分からなかった。
特別な才能があるわけでもない。
勉強がものすごくできるわけでもない。
スポーツだって普通。
だからこそ、高校では何か一つくらい、自分が夢中になれるものを見つけたい。
そんなことを考えながら、俺たちは学校へ向かった。
そして、入学式。
体育館には、新入生とその保護者、そして多くの先生たちが集まっていた。
俺は自分の席に座り、だるそうに前を見つめた。
校長先生の話。
来賓の挨拶。
そして、新入生代表の挨拶。
「新入生代表、白石怜奈さん」
名前が呼ばれた瞬間、体育館の空気が少し変わった。
一人の女子生徒が壇上へ向かう。
長い黒髪。
整った顔立ち。
背筋がまっすぐ伸びていて、歩き方まで綺麗だった。
「……誰、あの子」
「めちゃくちゃ可愛くない?」
「新入生代表ってことは、頭もいいんだろ?」
周囲からざわざわした声が聞こえてくる。
俺も思わず彼女を見ていた。
確かに、同じ新入生とは思えない。凛々しい態度で、周りを一切寄せ付けないような雰囲気だった。
「陽翔」
隣から小さな声がした。
「ん?」
「……見すぎ」
「え?」
美咲が少しだけ頬を膨らませている。
「いや、見てたっていうか……」
「ふーん」
「いや、本当に」
「別にいいけど」
そう言いながら、美咲は前を向いた。
……なんだ?
何か怒っているような。
まあ、気のせいだろう。
俺は再び壇上へ目を向けた。
「みなさん、おはようございます。新入生代表の白石怜奈です。これから始まる高校生活の中で、私たちは多くのことを経験すると思います」
白石さんの声は、体育館の隅までよく通った。
「楽しいことだけではなく、辛いことや、思い通りにならないこともあるでしょう。それでも、一つ一つの経験を大切にしながら節度を守り、礼儀正しく、仲間とともに成長していきたいと思います」
堂々とした挨拶。
最後まで一度も言葉に詰まることなく、彼女は壇上を降りた。
拍手が体育館に響く。
俺も自然と手を叩いていた。
このときの俺はまだ知らなかった。
まさか、この女の子とこれから何度も関わることになるなんて。
「一年三組、神谷陽翔」
教室に入ると、黒板に書かれた名簿を確認した。
自分の名前を見つける。
「三組か……」
そして、そのすぐ下。
「……あ」
水野美咲。
同じクラスだった。
「やったじゃん陽翔!また私と同じなんて、嬉しくて声もでないかあ」
後ろから美咲の声がする。
「いや、また静かな学校生活が送れないと思ったら悲しくて」
「はあ?本当は嬉しいくせに強がっちゃって~」
美咲は楽しそうに笑った。
そのときだった。
「白石怜奈」
教室の前方から声がした。
周囲の男子がざわつき始める。
白石さんも同じクラスらしい。
女子も彼女を見ている。
入学初日から、すでにクラスの注目を集めていた。
白石さんはそんな周囲を気にする様子もなく、自分の席へ向かった。
そんな様子を横目にそのまま席に座った。
昼休み。
俺は弁当を食べ終え、机の上を片付けていた。
そのときだった。
「あ……」
前の席から小さな声が聞こえた。
白石さんがどこか凛々しさの中に困っているような表情を浮かべていた。
「もしかして、これのこと?」
俺は、自分の椅子の下に落ちていた消しゴムを拾い上げた。
白石さんが振り返る。
近くで見ると、やっぱり綺麗な顔をしている。
「はい」
「……」
「どうかした?」
「いえ」
白石さんは消しゴムを受け取り、いつもと変わらない凛々しい顔に戻った。
「ありがとう、神谷くん」
「いいよ、気にしないでくれ」
それだけだった。
俺は自分の席に戻る。
特別なことをしたつもりはない。
消しゴムが落ちていたから拾った。
ただ、それだけ。
でも。
「……変な人」
小さく呟いた白石さんの声は、俺には聞こえなかった。
放課後。
「陽翔、帰ろ」
美咲が教室の入り口から顔を出した。
「ごめん。先に帰ってて」
「え?何か用事?」
「ちょっとやることあるから」
「何するの?」
「今日の数学でちょっと分からないところがあったんだよ」
俺は机の上にノートを広げた。
高校の数学は思っていたより難しかった。
授業中に先生の説明を聞いているときは分かった気になっていたのに、いざ自分で問題を解こうとすると手が止まってしまう。
「数学?明日でもいいじゃん」
美咲が言う。
「そうだけど」
俺は問題を見ながら答えた。
「分からないままにするの、嫌なんだよ」
「……そっか」
「じゃあ、先に帰ってるね」
「ごめん」
「いいよ。頑張ってね」
美咲が教室を出ていく。
俺は再びノートに向かった。
才能がある人なら、もっと簡単にできるのかもしれない。
でも俺には、そんなものはない。
だから。
できるまでやるしかない。
「……よし」
ようやく一問解けた。
小さな達成感に、思わず笑ってしまう。
そのとき。
「神谷くん?」
誰もいないと思っていた教室に、声が響いた。
「うわっ!」
驚いて顔を上げる。
教室の入り口に、白石さんが立っていた。
「……驚きすぎじゃない?」
「いや、誰もいないと思ってたから」
「ごめんなさい」
「白石さん、どうしたの?」
白石さんは少し迷うように視線を逸らした。
「……一つ、お願いがあるの」
「俺に?」
「うん」
彼女は教室の中へ入ってくる。
そして、俺の机の前で立ち止まった。
「今日の数学、私も分からないところあって......よかったら、一緒にやってもいいかしら?」
「……え?」
思わず聞き返した。
だって。
白石さんは新入生代表だ。
どう考えても、俺より頭がいい。
「なんで俺と?」
「……何となく」
白石さんは机を隣に寄せて、ノートを広げた。
「まだ、いいかだめか言ってないんだけど」
「だめだったかしら.....」
「まあ、別にいいけど」
どうして平凡な俺なんかと勉強しようと思ったのだろう?何でも余裕そうに見えてできないことも結構あるのか?それを他の人には、ばれたくなくて、俺だったら口止めできると踏んだのか?そんな疑問が頭に浮かび悩んでいる俺の横で白石さんは黙ったまま黙々と問題に向き合い始めた。
夕暮れの光が、教室の窓から差し込んでいた。
俺はまだ知らなかった。
この日を境に、俺の普通だった高校生活が、少しずつ変わっていくことを。
そして――。
この教室で出会った女の子たちが、いつか俺の日常に欠かせない存在になることを。
このときの俺は、まだ何も知らなかった。




