EP 10
首都奪還。そして偉大な親父の影
長い、本当に長い夜が明けようとしていた。
EMPによってすべてのネオンと街灯を奪われた東京のコンクリートジャングルに、白み始めた朝の光が、ひび割れたアスファルトと血の跡を容赦なく照らし出す。
「……各小隊より報告。新宿、港区、千代田区における敵便衣兵の残党、完全に沈黙。鷹人たちのネットワークからも、不審な部隊の移動報告はありません」
佐藤陸士長が、血と泥にまみれた顔をほころばせながら、瓦礫の上に座り込む力武義正に敬礼した。
「……そうか。ご苦労だった。負傷者の手当てを最優先しろ。自衛隊の医療班だけでなく、民間(鷹人の経済圏)の医者も総動員させろ」
力武は、砕けた左腕を三角巾で吊り、標準語で淡々と指示を出した。
制服はテロリストたちの返り血でどす黒く染まり、顔は疲労で土気色になっている。だが、その理知的な眼差しは、首都奪還という大任を果たした後でも、決して緩むことはなかった。
——ブォォォォォンッ。
そこへ、一台の迷彩塗装を施された高機動車が、瓦礫を乗り越えて到着した。
降りてきたのは、海を生き抜いたヤクザ将軍・坂上真一だ。
坂上は、周囲の凄惨な死体の山と、体育館の窓からこちらを怯えた目で見つめる民間人たちの視線に気づき、すぐに事態を察した。
かつて裏社会で、そして過酷な戦場で幾度も見てきた『汚れ仕事を引いた人間の孤独』が、今の力武の周囲には漂っていた。
「……派手にやったな、若獅子」
坂上は、力武の隣にドカッと腰を下ろすと、懐から取り出した缶コーヒー(配給品のアサヒ・ワンダ)を、力武の無事な右手に押し付けた。
「……司令。申し訳ありません、民間人に恐怖を与え、自衛隊の威信に泥を塗る結果となりました。君主としては、下策です」
力武は、缶コーヒーの冷たさに微かに顔を歪めながら、自嘲気味に呟いた。
「バカ野郎。誰の手も汚さずに勝てる喧嘩なんて、三流の童話の中にしかねえんだよ」
坂上は、プシュリと自分の缶コーヒーを開け、一口すすった。
「綺麗事並べて国が滅ぶより、化け物呼ばわりされてでも同胞を守り抜く。……お前の親父も、そういう男だったな」
その言葉に、力武の肩がビクリと震えた。
「……司令。親父をご存知で?」
「ああ。陸上自衛隊・特殊作戦群の伝説の鬼教官……力武厳。俺がまだ血の気ばっかり多いペーペーの幹部だった頃、合同訓練で手酷くしごかれた。……俺の顎の骨を粉砕しやがった、本物のバケモノだ」
坂上は、懐かしそうに、そして深い敬意を込めて空を見上げた。
「あのオッサン、酒飲むといつも自慢してたぜ。『俺の息子は防大生だ。頭が良くて、料理も上手い自慢の息子じゃ』ってな」
力武の目が、わずかに見開かれる。
親父から褒められた記憶など、一度もなかった。いつも「お利口な半人前」と罵られ、地獄を知らないと突き放されてきたのだ。
「だがな、同時にこうも言ってた」
坂上は、力武の目を真っ直ぐに見据えた。
「『あいつは優しすぎる。本当に国が燃えた時、綺麗なマニュアル通りに動いて、絶望に押し潰されやしないか心配だ。……兵士が真っ先に地獄に浸かって泥水すすって進まんと、後ろにおる国民は守れんのじゃ』……ってな」
——親父の呪い。
それは、自分を否定する言葉ではなかった。
最愛の息子が、狂った戦場で心を壊さないための、不器用すぎる『親心(免罪符)』だったのだ。
「……ハッ」
力武は、不意に吹き出した。
そして、標準語の仮面を捨て、缶コーヒーを握りしめながら、低く笑った。
「……クソ親父が。勝手なことばかり言いおって。……俺は、地獄の底で、ちゃんと泥水啜れとるかのぉ」
「ああ。極上の泥水だ。親父が泣いて喜ぶぜ」
坂上が、力武の背中をバンと力強く叩く。
砕けた腕に激痛が走ったが、力武の顔には、開戦以来初めて、憑き物が落ちたような晴れやかな笑みが浮かんでいた。
* * *
こうして、EMPの暗闇に乗じた中国軍の『首都内部崩壊作戦』は、完全に鎮圧された。
鷹人と蘭が構築したアナログの情報網が都市の神経を繋ぎ止め、力武義正という陸の狂犬が、敵の刃をすべてその肉体でへし折ったのだ。
総理官邸地下・危機管理センター。
若林幸隆は、復旧したばかりの衛星通信回線の前で、ジャック・ジャスティス大将からの暗号通信を受け取っていた。
『——ユキタカ。東京のネズミ駆除、お疲れさん。だが、休む暇はなさそうだぞ』
「……沈威の動きか」
『ああ。艦隊と特殊部隊の両方を失った人民解放軍のトップは、完全にメンツを潰された沈中将の更迭を決定したようだ。……だが、あの冷血な天才が、大人しく首を差し出すと思うか?』
若林の顔が、険しく引き締まる。
『奴は、軍の統制を離脱し、残存する戦略原子力潜水艦と、サイバー部隊の中枢を掌握したという情報がある。……負けを認めるくらいなら、盤面ごと(地球ごと)ひっくり返す気だ』
「……狂ったか。自国の首脳部ごと、この戦争を暴走させる気だな」
若林は、深く息を吐き出した。
兵糧攻め。大艦隊決戦。そして首都の泥沼の市街戦。
すべての非対称戦を出し抜かれた中国の天才が、最後に選んだのは、国家という枠組みすら超えた『絶対的な破壊(戦略兵器)』への引き金だった。
夜明けの東京。
燃え上がる高層ビルの煙の向こうで、坂上真一と力武義正は、血に染まった制服のまま、東の空を睨みつけていた。
「……親父の背中を越えたなら、次は俺の喧嘩に付き合え、若獅子」
「喜んで。大将の首獲るまで、とことん地獄に浸かりましょうや」
海と陸のヤクザたちが、静かに闘志を燃やす。
第三次世界大戦は、国家間の領土争いという次元を抜け出し、人類の存亡を懸けた『最後の十日間(最終章)』へと、その重く血塗られた扉を開こうとしていた——。




