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じゅうよん


「伏せろ、リア!」

背後から聞こえた声に従い、私は頭を抱えて伏せた。


頭上で何かが振りぬかれる気配と、それにともなう風。

魔物が悲鳴を上げて、粘っこい液体が飛び散る音がした。


背後から現れたその人は、私を転がすようにして自分の背後に庇った。

「ヴァルター様!」

いつもは綺麗に撫でつけられている髪は乱れ、額の汗が月の光の中光っている。

彼は恐れなど知らないかのようにグッと踏み込み、手首を返して先ほど振りぬいた剣を再び振るう。

銀の光が一閃し、魔物の首から血が噴き出した。

あたりに血と獣の臭気が立ち込め、魔物は低い唸り声を発した。

金属をこすり合わせるような嫌な音。額に開いた一つ目がギョロリと、私を庇うようにして立つヴァルターを見た。

金属をこすり合わせるような音が一層高くなり、ふいに周囲が明るくなった。

魔物の尻尾が青白く光っている。

いや、あれは、燃えているのだ。

同時に飛び散った魔物の血からも青白い炎が芽を出すようにふき上がる。

魔物は鞭のように燃える尻尾をふるいながら、慎重にヴァルターと間合いを取る。

飛び散った血や、尻尾が当たったことで燃え移った炎が木々の幹を舐め、周囲はあたかも青白い悪夢に紛れ込んだかのような様相をなす。

どうしよう……!

このままじゃ、魔物に食われるか、焼け死ぬかの二択だ!


赤黒い毛を震わせ、炎の尻尾をくねらせる魔物に対して、ヴァルターは剣を構えるどころかなぜか両手をぶらんとたらした。

「なっ……!?」

驚いて声も出なくなった私は、とっさにヴァルターの背に縋り付こうとした。

しかし魔物のほうが早かった。

体全体をしならせることによって放たれる強烈な尻尾の一撃が、ヴァルターめがけて繰り出される。

「危ない!」


ビュッという空気を裂く鋭い音。

まるで触れるものを切り裂き、さらに焼き尽くすような一撃。

喉が潰れるほどに叫んだ私が見たのは、燃える尻尾に真っ二つにされたヴァルター、ではなかった。

ヴァルターは堂々とその場に立っていた。

その右手は自身めがけて振り下ろされた長い尻尾を見事に掴んでいる。

けど、ダメだ。

だってこの尻尾は燃えているのだ。

「ダメ、燃えちゃう!」

「大丈夫だ」

大丈夫って、手袋燃えてるじゃないですか!

そう叫ぼうとした私は、異変に気付き口を閉じた。

「炎が小さくなってる……?」

ヴァルターの手を燃やすどころか、青白く発光する炎の勢いは弱まっていた。

周囲で燃えていた炎もまた、ぼっぼっと断続的に消えたり燃えたりして、ついにはヴァルターの手によって握りつぶされ、黒い煙を出すばかりとなる。

炎と同調するように、魔物にも異変が現れていた。

炎が消えるのと合わせて、足元がおぼつかなくなり、へなへなと力なく倒れこんでしまう。

一体、何が起こっているの?


唖然とする私を背に、臆することなく弱り切った魔物に近づいたヴァルターはその大きな頭に手を添える。

そしてまるで労わるようにその頭を撫でた。

葉の付け根がびりびり震える金属をこすり合わせるような警戒音も次第に小さくなり、弱々しい呻きへと変わった。

私は立ち上がり、おそるおそる魔物とその頭を撫でるヴァルターに近づく。

額に一つだけ見開かれた魔物の瞳は、現をさまよっているかのごとくぼんやりと焦点があっていない。だというのに大きく見開かれていて、死に瀕しているからこそありありと迫る生の実感に空恐ろしくなってしまう。

「ごめんな」

彼はそう小さく呟いた。

それに合わせて、魔物の瞳から光が急速に失われる。

それが巨大な水晶のようになったのを見届け、ヴァルターはそっと手を下した。

魔物が目を閉じると同時に、燃え盛っていた炎も全て幻のように消え、あたりは再び薄暗い闇に飲み込まれる。

名残がごとく焦げ臭いにおいが漂っていた。


「死んだん、ですよね……」

「ああ。もう安心していい」

言葉とは裏腹にヴァルターの声は暗かった。

ふうと一つ大きく息を吐いて立ち上がった彼は、くるりと振り返り素早く私の全身へ視線を走らせる。

そして思わずこぼれたというふうに、無事でよかったと呟いた。

その表情があまりにも心底心配したという感じだったので、こんな時だというのにちょっと心臓がドキッとしてしまう。

私を必死に探して、心配してくれたんだ。私を、リアを。

そう思うと、ときめかずにはいられなかったのだ。

「どこか痛むところは?怪我はしてないか?」

「……ヴァルター様が助けてくださったので、どこも痛くありません」

「嘘つけ」

ヴァルターは苦々しい顔で私の足を指差した。

「血が出ている」

「え!嘘!?」

見てみると左のふくらはぎが血まみれだった。

でも魔物に引っかかれた記憶もないし、もしかしたら逃げている途中に枝かなにかでひっかいたのかもしれない。

じわじわと傷の周囲が発熱しているような感覚がある。

「なんだか急に痛い気がしてきました」

「痛みを感じるどころじゃなかったんだろう。見たところそう深くはないな。これでも巻いておけ」

そう言ってハンカチを取り出そうとして、ヴァルターは自分の手も血まみれだと気が付き、顔をしかめた。

きっと尻尾を掴んだ時に皮膚が裂けたのだろう。

そりゃそうだ。凄い音してたもん。

「ヴァルター様こそ怪我してるじゃないですか!」

人の心配をしている段ではないだろう。

どう見たって出血量もそっちの方が多い。

私はとっさにヴァルターの怪我をした手を取ろうと、自身の手を伸ばした。

「バカ、やめろ!」

ドンっと左手で突き飛ばされ、私は後ろに倒れて、尻もちをついた。

ついでとばかりに突き飛ばした側のヴァルターも、とっさのことで上手く力加減ができなかったのか、右手を頭上に振り上げた勢いで後ろに倒れこんだ。

そして私たちは二人して、鬱蒼とした木々の隙間から夜空を眺めるという事態に陥ったわけなのだが、いや、なんだこれ?


けれどようやくわかった。

そうか。

そういうことだったのか。

呪われた王子。

神殿との対立。

決して外されない手袋。

ヴァルターの秘密。

……ダメだ、泣いちゃいそう。

だって、そんなのあんまりだ!


もぞもぞとヴァルターが起き上がる気配を感じながら、私は呆けたように星空を見上げてるしかなかった。

ひょっこりとヴァルターが顔を覗き込んでくる。

その顔はまさに渋面と呼ぶにふさわしいものだった。

「生きてるか?」

「はい」

ヴァルターはため息をついて手のひらの血を乱雑に拭い、軟膏のようなものを塗った。治癒の魔法で作られたものなのか、血が止まる。彼は手早く予備の手袋を嵌めて、確認するように何度か手のひらを閉じたり開いたりした。

そうしてようやく安心したのか眉間の谷が少しだけ浅くなる。

彼はいつまでも倒れたままの私に対して、だいぶ申し訳なさそうな顔もしていたが、手を差し伸べてはくれなかった。

いや、できなかったのだ。

だって彼の魔法は、


「右手で触れたものを殺してしまう。それがヴァルター様の魔法なんですね」

さぁっと風が吹いて、焦げ臭い匂いは流れて、湿った土の匂いが戻ってくる。

それは数多の生き物の死骸の匂いだった。

ふっとヴァルターの顔から表情が抜け落ちる。

そして彼は観念したように、眉毛を下げて微笑んだ。

それはいつもの厳格そうな呪われたハインリヒ王子でなく、どことなく頼りない一人の青年ヴァルターだった。

「見境なく触れたものの命を吸い取る。それが俺の魔法だ。王が持つべきものではない、呪われた力だ。だから隠していた」

呪われた王子。

右手の手袋。

ヴァルターの秘密。

触れたものの命を容赦なく吸い取る魔法。

そんな魔法を豊穣と慈愛の女神を信仰する神殿が好ましく思うわけがない。

いまさらになって、先ほど彼の素手に迂闊に触れようとしたことが恐ろしくなった。

もしかしたら私は、己の迂闊さのせいで、彼に私を殺させてしまうところだったのだと。

けれど、どうしてだろう。

不思議と喜びのようなものも感じている自分がいる。

私は、今、この人の一番もろいところに触れようとしている。


「怖いか?」

少し大げさなくらい首を左右に振る。

「ヴァルター様自身が怖がるよりは、ずっと怖くありません」

「言うじゃないか。俺が怖がってるって?この力を?」

「違いますか?」

今度はちゃんと手袋をしていることを確認してから、私はヴァルターの右手を掴んだ。

びくりと震えるその手が逃げないように、強く、強く握る。

そしてそれを私は自分の胸、心臓の上へと導いた。

「ヴァルター様がその力で助けてくれたおかげで、この心臓はちゃんと動いているんです。だから怖いけど、怖くありません」

そう言って私は精一杯の微笑みを浮かべた。

本当はもっと言葉を尽くして、いかに私が感謝しているのか、ヴァルターの秘密に触れられたことを嬉しく思っているのか、本当はちょっと怖いことも伝えるべきだったんだろうだけれど、私は所詮町娘。適切な言葉が思いつかなった。

少し速い心臓の鼓動を感じてもらうことが、今は一番、私の気持ちを伝えられると思ったのだ。


ヴァルターは呆気にとられたようにぱちぱちと瞬きを繰り返して、ぐっと眉間にしわを寄せた。

でもそれはいつもみたいな怖そうなものではなくて、泣くのを我慢している子供みたいに見えた。

「……なんだそれ」

心臓の拍動を確かめるように、彼は胸の上に置かれた手に力を込めた。

「なんだそれ」

そんなことを言いつつ、私の鼓動に感じいるようにヴァルターは目を閉じる。

食いしばっていた歯の隙間から、長い長い息を吐いて、吐ききって、ヴァルターはああと安堵のため息を漏らした。

「本当に、君が死ななくてよかった……」

そして彼は、恐る恐る私を抱きしめた。

男の人に抱きしめられるのは初めてだったけど、彼もまた女の子を抱きしめるのは初めてなのだろうなとわかるほどに抱きしめ方がぎこちなかったので、私は少しだけ笑ってしまいそうになったのだった。





しばらく抱き合っていた私たちだが、いつまでもその場にいるわけにはいかなかったので、簡単に私の足を治療し、おんぶしてもらって進むこととなった。

魔物の死体は埋めようか悩んだが、体に合わせた大きな穴を掘っていては朝になると判断し、瞼を閉じさせるだけにとどめておいた。

ヴァルターの背中から見る景色は、いつもよりぐんと高くて、最初は怖かったけどすぐになれた。体はすっかり冷え切っていて、触れ合ったところから彼の体温がじんわりとしみる。

私がずり落ちないようにしっかりと彼の手は支えていたが、手袋をしているのであの魔物のように私の命が吸い取られてしまう様子はなかった。

全く心配していなかったかといえば嘘になるけれど、たぶん私よりもきっとヴァルターの方が緊張しているのだろうなと思ったら、なぜか微笑ましいような可哀そうな気持ちになる。

命を奪われるのと同じくらい、命を奪うことは恐ろしいことだと私は思うから。


彼は私を背負って歩きながら、自分もまた転移門をくぐったら見知らぬ森の中に飛ばされていたのだと教えてくれた。

生えている木や草の種類から、魔物が出現したという西の町に近い地域のはずだが、正確な場所まではわからないらしい。山岳地帯が近いので、森が多いのだ。

そしてしかたなく他にも誰か飛ばされていないか探しながら森の出口を目指していたら、叫び声が聞こえ慌ててそちらに向かったところ、私を見つけたのだという。

「しかし情けない叫び声だったなぁ」

思い出して笑っているのか、乗っかっている背中が小刻みに揺れる。

「おかげで助かったんだから、私に恥じるところはないです!」

堪えきれなかったのか声に出して、ヴァルターは笑った。

よかった。

少し落ち込んでいるように見えたから。

「転移門に誰かが細工をしたとしか考えられない。俺とリアをそれぞれ魔物のいる森へ放り込み、部隊とはぐれさせた」

そして私はその誰かの狙い通り魔物に襲われ、ヴァルターに助けられた。

彼がいなければ私は今頃魔物の腹の中だっただろう。

恐怖が蘇ってきて、ヴァルターの首に回した腕に力を込めた。

あれ?

「どうしてヴァルター様まで?」

「そこが変なんだ。リア一人を飛ばせば確実に殺せたはずなのに、運が良ければ助けられる距離になぜか俺も飛ばされていた」

「ルディ様は私を、偽物を殺したいのでしょうか」

「わからない。だがまるで挑戦だ」

「挑戦?」

「お前はお前の聖女を救えるのかってね」

わずかに残っている舞踏会でのルディの記憶を引っ張り出してみる。

優し気で、少しなよっとした感じの彼がそんなことをするようにはどうにも思えない。

ヴァルターも同様に感じているのか、声音はどこか訝しげだ。

「メリナを逃がしたいのか、王位継承権を奪いたいのか、俺たちを殺したいのか。全てであるようで、どれも違う感じがする。どうにも狙いが読めない。ルディは俺の知る限り、どちらかといえば単純な人間だ」

「じゃあ相手はルディ様じゃない?」

「いや、メリナを匿い、舞踏会でちょっかいを出してきたのはルディだろう。だが今回のことは違う人間がやったことなのかもしれない。神殿も聖女交代前でピリついているらしいし」

「敵だらけじゃないですか!」

「逃げるなら今のうちだぞ」

冗談なのか本気なのか、顔が見えないからわからない。

「私って旗色が悪いからって逃げるほど賢くないんです。知らなかったんですか?」

悩んだ末にそう伝えると、知ってると言われた。

失敬な!

そうこうしているうちに、変な匂いが風に乗って流れてくることに気が付いた。

ついさっきも嗅いだような。

そう、何かが燃える匂い。

でも、もっと生臭くて、嫌な感じのする匂いだ。

ヴァルターの歩く速度が上がる。

同時に私の心臓も嫌な速度で脈打つ。

前方がにわかに開けて、私たちは夜から夕闇の世界に紛れ込んだ。

遠くに見える町から、火の手が上がっていた。町の真上の空だけが、夕暮れみたいにオレンジに染まっている。

甲高い魔物の声が、地響きのように聞こえてきて、私はヴァルターの背からその光景をただただ呆然と見つめることしかできなかった。




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