第47話「素敵な人」
「た、ただいま」
「おかえりー」
「おう、遅かったじゃん。めずらし」
「祥子!帰りが遅くなる時は連絡しなさいって、お父さんいつも……」
「もう〜。過保護。祥子、ご飯の前にお風呂いってらっしゃい」
家に着いてすぐ、リビングの団欒は一瞬だけ私に集中し、すぐに逸れた。
母はテーブルの上を拭いていたところで、気が気でない様子の父はわざわざ立ち上がろうとする。兄は、ソファでテレビを見ながらスマホをいじっていた。
「何か、あったのか。お前、何時間も遅れて」
「そんなに心配しなくても。祥子ももう大人なんだから」
「いや〜、俺は親父の気持ち分かるよ。祥子が伝えた時間より遅れること、まずないもんな」
兄が言うように、私が何時に帰ると伝えて、それよりも遅れたことは少ない。片手で収まる程度しかない。
過去、帰宅が遅れた理由もやむを得ないものばかりで、例えば乗る予定だった電車が遅延していたとか、切り上げられない飲み会や残業の雰囲気に呑まれたとか。
その時でさえ時間変更を空き時間に即送り、なるべく家族——特に心配性な父親——には迷惑をかけないよう、努力していた。
「彼氏か〜?」
「……お風呂入ってくる」
当然、怪しまれる。
探りを入れてきた兄から逃げるため、廊下を渡り脱衣所へ駆け込む。あの場にいたら、父までも参戦してきそうで。
何分経っても火照ったままの体も、冷ましたくて。
「っ〜……はぁ。つめ、た」
服を脱ぎ捨て、温度調節もせず冷水を浴びたら、心臓が縮み上がりそうになる。負荷をかけすぎて、死んでしまいそう。
愛しい灰原さんのため、長生きしなきゃいけないっていうのに。
——すごく、えっちだった。
思い返して抱く感想は、純度の高い官能と、
「慣れてた……」
過去の、女達の影。
『もう一回……したい』
元カノ達は、あの。
蕩けた眼差しと甘えた声でねだるあの顔を、絡むたび鼻の奥から抜ける吐息を、何度だって奪いたくなるぷっくらした弾力の唇を。
全部、感じたことがあるんだ。
「考えちゃ、だめ……過去は過去、今は今」
そうだった現実に直面すると気が狂いそうになってしまうから、必死で“今起きている出来事じゃない”や“今後は私だけ”と言い聞かせた。
どうにもできないことに対して嫉妬しても、無駄。変えられないものを変えようとしても、無理。
なら、未来に思い馳せて前を向いていた方がよっぽどいい。
「未来……か」
灰原さんは、今の関係を“婚約”と例えてくれた。
女同士だから男女のようにこの国で結婚はできないけれど、いずれは公的にも結ばれたいとは考えている。
感情的に望んでいるのはもちろん、公的な結びつきがないと何かあった時に必ず不利になるからだ。以前チラッとネットで調べただけでも、たくさん出てきた。
最近は寛容になってきているとはいえ、まだまだ法的な面では守られておらず、今後もおそらく男女と同じ扱いはされない。仕方のないことなのかもしれないが。
また賃貸、購入に関わらず不動産での契約や保険の受取人等は断られることもあり、病院でも親族でないからと拒否される場合があるらしい。つまり、大変な時にそばにいたり、選択権すら持っていない。
子供も、持てない。特別養子縁組も、夢のまた夢。
なら、結婚ではない制度を用いて家族になるのが一番の近道だろうか。いや、それもいざ同性婚が認められた場合に、戸籍を親子から夫婦へ戻せない可能性が出てくる。
他にも、その手段を選びたくない理由はたくさん。
「はぁー……」
大きなため息も、つきなくなる。問題が山積みすぎて、生まれて初めて生きづらさを痛感した。
親にも、なんて報告しよう。
『——彼氏か〜?』
些細な聞き方が胸に刺さるなんてこと、初めてだ。これまでは、気にしたこともなかった。
パッと出てきたのが男性なのは、それだけ世の中は男女で交際することが当たり前で、同性同士はあまり想定されていないんだろう。
『——灰原さんって、彼氏いるんですかね』
岩村さんも、悪気なく異性愛を前提に進めていた。
灰原さんは、ずっと。
こういう世界の中で、生きてきたんだ。
「——すみません、遅くなって」
『いいのよ。ちょっと、うとうとしてた』
「あ、寝ます?切りましょうか」
『……やだ』
お風呂上がり、手短に夕食を済ませて自室にこもった。灰原さんと、通話をするためだ。
「今日は、ありがとうございました」
『いーえ。こちらこそ』
「楽しかった……です」
——あと、かわいかった。
いやらしかったし、いいにおいもした。——変態みたく思われたくないから、言わないでおこう。
「次のデートは、どこにしますか?何かしたいことがあれば」
『んー……そうねぇ。今日すごくゆっくりできたから、その分お外で動いちゃう?』
「いいですね。好みのアクティビティはありますか?」
『登山!……あ。でも、そこまで本格的なのじゃなくて』
「ハイキングとかにしときます?」
『それがいいかも。お散歩しながら、お話したい』
トントン拍子に二回目のデートも決まり、調べながらどこへ行くか、周辺で休めるお店はあるかなどひと通り詰めた。
ふたりとも突発的に出かけるよりは、予めこの日と決まっていた方がモチベーションも上がるタイプで、「気が合うね」という内容でも笑い合った。
そして、ふと。
「瑞月さんは、ご家族にカミングアウトとか……してますか?」
風呂場で悩んでいたうちのひとつを、口に出した。
かなり踏み込んだ質問を自覚なくしていて、少し間が開いてから“あ。デリカシーなかった?”と不安感でゾッとする。
『言ってないよ。ただ、仕事が楽しくて結婚とか子供は無理かも〜とは、やんわり』
「そう、なんですね」
思ったよりも暗い雰囲気にならず、胸をなでおろした。
同時に、やっぱりなかなか言いづらいですよね、と世知辛さに胸を痛めた。
『祥子さんは、言うの?』
「うーん……私、は」
正直、我が家は難なく受け入れてくれると、容易に想像がつく。放任主義な母はもちろん、厳しくも優しい父だって、最後には「お前が幸せなら」と認めてくれるだろう。なんだかんだ妹思いな、兄も。
だから、前向きではある。
「もし、灰原さんが嫌でなければ……」
『うん?』
「いずれ、紹介したいです」
大切な家族に、大切な女性を。
胸を張って、会わせたい。
あなた達が大切に育ててくれた私は、おかげでこんなにも素敵な人と出会えたんだよ、と。




