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烏猫の箱庭  作者: 彩︎華じゅん


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第1話

※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。


「おちゃらか、おちゃらか、ほい、ほい、ほい」


 日の光が差し込むホールに、穏やかな歌声が響く。


「ナエさん、またそれ歌ってるんですね。好きなんですか?」


 車椅子に座った老婆に視線を合わせるように、しゃがみ込む一人の女。


「ほい、ほい、ほい。おちゃらか、ほい」


「ふふっ、おちゃらか、おちゃらか、おちゃらか、ほいっ」


 淡いピンク色のポロシャツ、歌に合わせて揺れる、茶色いボブ。


「お姉ちゃん、歌が上手だねぇ。お目目もくりくりで可愛いねぇ」


 しわだらけの手が、女の頭を撫でる。


「ありがとうございます。あたし早苗って言います。虫壁むしかべ早苗さなえ。4月から相談員としてここで働き始めました。よろしくです」


――――


 初夏が、始まろうとしていた。

 半袖ではまだ少し肌寒く、少し動けば汗ばむような陽気。

 デスクに向かった早苗は、書類やケースファイルを一つ一つ確認しながらカバンにしまい込んでいた。


「虫壁さん、準備出来てますか? そろそろ出発しますよ」


 声をかけてきたのは、看護師の田鎖たくさり有紗ありさだ。

 紺色のスクラブの上に黒いカーディガンを羽織った彼女は、カバンと一緒に携えた社用車の鍵をじゃらりと鳴らす。


「はい、今行きます!」


 パタパタと身支度を終えた早苗が玄関に行くと、有紗は既に運転席に座っていた。


「虫壁さん、ナエさんの家行くの初めてですね? 私運転しますから、乗ってください。ついでに送迎ルートも案内しておきますので」


「ありがとうございます。お願いします」


 助手席に座った早苗がシートベルトをするのを見届け、アクセルが踏み込まれる。

 小さな田舎町。飲食店やスーパー、コンビニなどが立ち並ぶメイン通りを抜けると、あたりは山に囲まれた田園地帯である。

 交差点を抜けた車は、山へ向かう坂道をゆっくりと上っていく。


「あたし、こっちの地区の方にはあまり来たことないんですよね。利用者さん、結構来てるんですか?」


 早苗の問いかけに、ハンドルを握る有紗は「ええ。割と」と答える。


「O地区は昔、金山きんざんがあって、出稼ぎの人が多く住んでいました。この辺からうちのデイを利用してるのは、その時代に定住した人たちが多いです」


 マスク越しに聞こえる声は、淡々としている。


「へえ、金山ですか。県北けんぽくの鉱山は知ってましたけど、この辺にもあったのは知りませんでした。結構色んなところから出稼ぎに来てたんですかね?」


「さあ、どうでしょうかね……」


 ばっさりと切り捨てる言葉。

 有紗に会話を続ける気がなさそうなのを察した早苗は、気まずさを感じて口をつぐむ。


(最初会った時から思ってたけど、この人絡みづらいなあ……)


 会話が途絶えた車内に、ステレオから流れるラジオの音だけが鳴っていた。

 早苗が花柳はなやぎデイサービスに入職してから、施設長の山本、介護主任の田中と共に業務指導に入ったのが有紗であった。

 どうして前任の相談員からの直接指導でないかというと、どうやら前任は急な退職でいなくなってしまったかららしい。「らしい」というのは、周りの態度から早苗が感じ取った所感だ。

 どうも3人は、その件についての明言を避けているきらいがあった。

 明るく親しみやすい山本、さっぱりしていて優しい田中が取り仕切るデイサービスはとても風通しの良い雰囲気だ。

 その中で、笑わず、冗談も言わず、必要事項のみを淡々と説明する有紗の存在は浮いて見えた。

 車は尚も進み続け、川と林に挟まれた狭い道を上へ上へと昇っていく。

 木々に遮られ、晴れ間の光が届かない鬱蒼うっそうとした道。巣でもあるのだろうか、木の上で、やたらとカラスが騒いでいた。

 道の脇には、御影石みかげいしで作られたよく分からないオブジェが数体飾られている。日陰の薄暗さと相まって、その一帯にはまるで異世界にでも迷い込んだかのような不気味さがあった。


「結構、山奥なんですね……」


 不安の声を漏らした早苗に、有紗はただ「そうですね」とだけ言って車を走らせる。

 アスファルトが、途切れる。

 ガタガタと揺れる車内で早苗が「田鎖さん」と声を上げようとした時、有紗が思い出したように口を開く。


「虫壁さん、マスクの替え、持ってますか?」


 ――どうして今それを聞くのだろう。


「あ、すみません。今つけてるこれしか……」


「そうですか。戻ってきたら新しいものをあげます。恐らく、そのマスクは使い物にならなくなるので」


「ありがとうございます。でも、何で?」


「ナエさんの家は……少々特殊なので」


「どういう意味ですか……?」


「行けば……分かります」


 それきり有紗は何も言わなかった。砂利道をしばらく走り、車は民家の密集した小さな集落にたどり着く。

 雑草の生えた空き地に車が止められ、有紗についてくるよう促された早苗は、凸凹でこぼことした坂道を歩く。カラスの鳴き声と川のせせらぎに乗って、湿っぽい空気が肌にまとわりつくような心持がした。


「ペットの安全確保のために、送迎の時以外は敷地内に車を乗り入れないことになってるんです。ご家族の希望なので、覚えておいてください」


「ペット……? 犬か何かですか?」


 やはり、有紗は何も答えない。

 やがて坂を上りきった2人の前に、一軒の家が現れる。


「わぁ、立派な――」


 言いかけた声は、息を飲んで断絶した。


「ナエさん宅です。中ではあまり騒がないように」


 その家は、山間の風景に似合わない随分と今風の家であった。

 白い外壁が美しい、ヨーロッパにでもありそうな洒落た佇まい。

 介護用スロープが取り付けられた玄関の両サイドには花壇が設えられていて、トルコ桔梗ききょうやアイリス、ユリ、名前の分からないカラフルな細かい花がびっしりと隙間なく咲き誇っている。

 それだけではない。花壇に根を張っているらしい藤が、クレマチスが、家の壁伝いに枝を伸ばして紫色の花をつけていた。

 美しい外観に似合いの、甘く、密なユリの香りが押し寄せてくる。

 だが、早苗にとってそんなことはどうでも良かった。


「おはようございます。花柳はなやぎデイサービスの田鎖です。担当者会議で参りました」


 カラスの声。


 玄関のインターホンを鳴らした有紗が、送話口に向かって声を上げる。

 いつの間にか彼女はスクラブの上に羽織っていたカーディガンを脱いでいた。どうやら車に置いてきたらしい。


 ニャー


「おはようございます。いつもおばあちゃんがお世話になってます〜。少し、お待ちくださいね」


 機械の向こうから、柔らかな声がする。


 ニャー


 しかしそれも、どうでも良かった。


「た、田鎖……さん……」


 ニャー


「騒がないで。後で説明します」


 振り向かずに行った有紗は、ただ前だけを見ている。


「え……」


 喉の奥が、かゆいような心持だった。


 スロープの上、花壇の花の隙間、藤の枝、雨どい、ニャー、屋根、吊り下げられたカンテラの上、窓のさん、ニャー、出窓の内側、ベランダ、茂み、ニャー、風見鶏かざみどり、ニャー、自家用車の上、下、庭ニャー中――おびただしい量の黄色い目が、2人をじっと見ていた。


 ガチャリ、扉が開き、足元を、駆け抜けていく。


「お待たせしました。どうぞお入りください」


 現れたのは、朗らかな表情をした初老の女性だった。


「あら、そちらは?」


 ニャー


「佐藤さんの後任です」


 有紗に肘でつつかれた早苗は、ハッとして背筋を伸ばす。


「初めまして。虫壁早苗と申します。4月から相談員やらせてもらってます」


「あらあら〜、新人さんだ。若くていいねぇ〜」


 ニャー


 きれいに整えられた髪を、女性はあかぎれだらけの手で撫でつける。


「ケアマネさん、いらっしゃってます?」


「多分そろそろ来ると思うから、とりあえず中にどうぞ」


「失礼します」


 何のためらいもなく玄関をくぐった有紗を、早苗は慌てて追いかけた。


――――


 家の中は、きれいに整っていた。

 玄関も廊下も、通されたリビングも掃除が行き届いている。そして、磨き上げられた家具の上には、花壇に咲いていたものなのだろう。満開のユリの花を生けた花瓶がいくつも飾られている。

 アンティークの雑貨店のような美しい空間。


 なのに、なのに――


 外とは違い、振り子時計の音だけが響く空間。だがしかしそこにも、当然のように数多の目が光っていた。

 おぼれそうなほどのユリの香りに混ざり、強烈な、魚が腐ったような臭気が鼻をつく。


「あ、あの……田鎖さん……」


 通されたリビング。女性がキッチンに立ったタイミングで早苗が声を上げるが、有紗は「騒がない」と言って目を閉じていた。

 ――どうして説明してくれないのだろう。


「今日はおばあちゃんちょっと体調悪くしてて……。部屋で寝てるって言うから、私だけ参加でもいいかしら?」


 お盆に3人分の茶碗を乗せた女性が、静かに言葉をかけてくる。


「え……でも昨日……」


 こぼれた言葉は、有紗の声に遮られた。


「本来であれば、ご本人には参加していただかないといけないんですけどね。体調不良なら、まあ……」


 昨日はナエの利用日だった。

 デイに来てからのナエは元気そのもので、いつものわらべ歌を歌って、風呂に入って、食事だって完食していた。

 レクリエーションでは輪投げで1番を取って……それは機能訓練をしていた有紗だって見ていたはずだ。


「後ほどケアマネさんがまた内容説明にいらっしゃると思うので、本人にはそこでお話してもらいましょう」


 ――この人は、何を言っているのだろう。


「ほんと、困っちゃうわよね〜。この肝心な時に」


「体調は、仕方ないかと。もう94ですし……」


「昨夜もね、いきなりおこわが食べたいだなんて言って困っちゃったのよ。おかゆ食べてる人が何言ってんの〜って」


 女性の言葉に、有紗はぴくりと眉を動かす。


「食べては……いませんよね?」


「も〜、食べさせられるわけないじゃないですか! とっても怖くて無理ですよ」

「それなら、良かった」


 インターホンの音が、響く。


「あ、ケアマネさん来たみたいです。ちょっとお待ちくださいね」


 ナエの担当ケアマネージャーが到着し、自己紹介を交わした面々は担当者会議に移った。話し合う内容は、ナエが自宅やデイで何を目標に、どう過ごすかという基本的な内容だ。

 ケアマネージャーからの介護計画の共有に始まり、有紗や早苗からの施設での様子報告。そして女性――雅美と名乗っていた――からの介護上の悩みなど話はつもりにつもり、あっという間に壁のはと時計が11時を告げた。

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