3 悪魔の口づけ
ジョアナリーザは、シェイエーズに横抱きにされ、自室へ戻ってきた。
ひとり掛けのソファに降ろされると、悪魔から、ことの顛末を知らされる。
「ええっ!!? ロエルの魂は他の悪魔たちにほとんど食べられて、残りは天の使いが持って行ったですって!?」
人間のジョアナリーザにとっては、にわかには信じがたい話だった。現実離れも甚だしい。
(天の使いって、天使さまのこと? て、ことは、神さまも、わたしのこの状況を色々とご存じなのかしら。もう遅いわね。わたしはすでに悪魔に魂を渡す約束をしてしまったんだから)
ロエルの悲惨な末路を悪魔から告げられ、ジョアナリーザは今さらながら身震いする。
「そうですね。大変悪魔好きのする魂の持ち主でしたから、それはもう悪魔たちが群がってきました」
恐ろしい状況を眉ひとつ動かさずに淡々と語るシェイエーズは、やはり悪魔なのだと痛感する。
「……っ」
(そんな気の毒な、哀れな最期だったなんて、ごめんなさいロエル。天使に連れて行かれたなら、せめて少しでも天国で安らぎがありますように)
ジョアナリーザは心の中で謝罪し、祈りを捧げた。
「それより、ジョアナさまと私は早々に堅固な契約を結ぶ必要があります。あなたの魂に他の悪魔たちを寄せつけないためにも」
「わかったわ。どうすればいいの?」
契約……。後戻りはできないと思うと、背筋がゾワリとする。
「私の魂の一部をあなたの魂に吹き込むだけです。あなた自身は、どこも何も変わりません」
「本当に? 何も変わらないのね?」
「本当です」
甘く妖しい微笑をたたえながら、ロエル顔のシェイエーズが、ジョアナリーザに歩み寄り、膝を着く。ソファの中のジョアナリーザに逃げ場はなかった。
「な、に?」
ジョアナリーザは、シェイエーズの温かな手で顎を掬われ、落ち着きを無くす。
「口移しでふうーっとあなたの魂に、直接私の魂の一部を吹き込みます」
「く、ち、ですって!? あ、あなたと口づけするってこと?」
「外に漏れ出ないようにするには、口移ししか方法がありませんので」
シェイエーズの口元は緩やかな弧を描いていたが、目は獲物を前にした獣のようにギラついていた。
(憧れていた初めての口づけの相手が、ロエルの顔の悪魔だなんて……。しかも愛のない、ただ契約を結ぶためだけのもの。悲しいけれど……もう覚悟を決めたのだし、仕方がないわ)
ジョアナリーザは、一度大きく深呼吸をすると、しっかりと目をつぶって、その瞬間を待つ。
ところが、なかなかその時が訪れないので、薄目を開けてみる。
「ジョアナさま、その形の良い小さな口をお開けください。それとも私が舌でこじ開けますか?」
妖しく目を細めながら、ジョアナリーザの唇を指の腹で撫で回すシェイエーズ。ジョアナリーザは自分の体温が急激に上がるのを感じた。
体内に溜まった熱を逃がすように、ジョアナリーザは自ら口を開いた。
後頭部と頬に手が添えられたと思うと、温かく柔らかなもので唇が覆われた。
「……!」
吹き込まれているというより、息ができないほど唇を吸われている感覚だった。次第に、悪魔の口づけに応え始めている自分に気がつく。
初めての口づけは、ジョアナリーザには刺激が強く、無我夢中で……。
気がついた時には自分のベッドに寝かされていた。
シェイエーズとの激しい口づけを思い返し、枕に顔を埋める。
(もう、わたしったら、どうしちゃったの? ちっとも嫌じゃなかったなんて、未婚のおとめなのに。はしたないにもほどがあるわ!)
◆
ロエルの魂を追い出し、その肉体を我がものにしたシェイエーズはジョアナリーザと魂の契約を結んだ。その魂を己のそれで僅かに濁らせたのだ。これでよほどのことがない限り、他の悪魔を避けられる。悪魔にとって、同族の魂ほど不味い物はない。ほんの少しでもだ。
そして次に行ったのは……。事前にジョアナリーザと悪魔は示しあわせておく。
シェイエーズはジョアナリーザの部屋に、ロッドリー伯爵夫妻を呼び寄せ、すぐ本題に入る。
「旦那さま、奥さま、お願いがございます。改名させていただきたいのです」
「え? 改名? 名前を変えるということか?」
ロッドリー伯爵夫妻は、家令になった悪魔の思いもよらない申し出に目をぱちぱちと瞬かせる。
「そ、そうなの。お父さま、お母さま。ロエルとわたしは、わたしの病について色々と調べていたのだけど、原因がわからないから、もしかして呪いの類かもしれないと思って。ある国では名前を変えると呪いがその名前に引きずられて消えるという言い伝えがあるらしいの。だから、ロエルの名前を〝シェイエーズ〟に変えることにするわ」
「ジョアナではなく、ロエルの名前を? 変えるのか?」
最もな疑問だ。
「そ、そうなの。わたしではなくロエルのほう。実は本人ではなくても身近にいて親しい人物なら同じ効果を得られるらしいのよ。まさか、わたしの名前を変えるわけにはいかないでしょう? 教会から祝福と共に授かった名前ですもの」
これは適当な言い訳だ。
「それはそうだが……。ロエル、そなたはそれでよいのか?」
ロッドリー伯爵がすまなさそうに眉を寄せている。
「はい、旦那さま。私は男爵家の五男でございます。まさか五男まで生まれるとは思っていなかった両親と兄たちに、おもしろ半分に命名されたこの名前は、昔の父の飼い犬の名前でしたので。この名に未練などあるわけもなく、むしろ虫酸の走る名前でございます」
これは、事実らしい。哀れロエル。
「まあ……」
人を疑うことをしない伯爵夫妻から、同情の目を向けられるロエルの姿をした悪魔。ジョアナリーザとシェイエーズの目論みはいとも簡単に成功する。
「ジョアナさまのお役にたてて、尚且つ、大変素晴らしいシェイエーズという新しい名前もいただき、ありがたき幸せ。今後はどうぞシェイとお呼びくださいませ」
「よろしい、今日からそなたを、〝シェイエーズ〟とし、シェイと呼ぼう」
「よろしくね、シェイ」
伯爵夫妻は、にこやかな笑顔ですんなりその名を受け入れた。すぐに屋敷の使用人たちにも申し伝える。
悪魔は本来の名前を取り戻した。




