9 新しい暮らし
鳥が鳴いている。
朝が来たのだ。
早く起きて、お湯を沸かさないとー
ハッと目覚めると知らない部屋にいる。家具も天井も、初めて見る。
「ここはー」
ベッドから足を下ろすとズキっと痛みが走る。
足にはグルグルと包帯が巻かれていた。
そうだ、私家を出たんだ。
思い出そうとしても、馬車に乗ったところまでしか記憶がない。あの日、割れたカップで傷ついた足が痛くて、必死でアランに着いて歩いたのを覚えている。
痛む頭を押さえて記憶を探っていると、扉が開いてアランが入って来た。
「ミュリエル! 気がついたか!」
心配でたまらないといった表情をして、アランが駆け寄って来る。
「まる1日眠ってたんだ。気分はどう? ケガをしてるって、どうして言わなかったんだ。」
「アラン、迷惑かけてごめんなさい。」
カサついた声で謝る。
慌てて頭を起こすと目の前が暗くなってくる。力が抜けていくのがわかるが、どうすることもできない。
「ミュリエル!」
焦ったアランの声がして、ふわっと抱きしめられたような気がする。
「ひどい熱で、1日寝てたんだ。急に動いたらダメだ。何か飲む?」
真っ暗だった視界が少しずつ戻ってくる。
言われると喉がカラカラだった。側の水差しからアランがコップに水を入れてくれる。抱きしめられたまま少しずつ水を口にすると、ずっと気分が良くなった。
周りを見ると、質のいい木材をふんだんに使った居心地の良い部屋だった。よく磨かれた家具も既に据え付けてある。
カーマイン家のような贅沢さはないが、暖かさが感じられる。
アランはいつもの商人の服装で、白いシャツをはだけていた。
急に自分の服装が気になりだす。唯一の外出着だったワンピースはベッドの横の書き物机の前にに据え付けられた背もたれ付きの椅子に掛けられている。
ミュリエルは下着だけで毛布を掛けられていた。
「あ、あの、、私、着替えを、したいのですが。」
顔が赤くなったのを通り越して、青ざめたミュリエルを見て、アランもバッとミュリエルから離れる。
「何にもしてないから! あの! 熱が高くて! それだけ、脱がせた! ごめん! 見てないから!」
叫ぶアランも真っ赤になっている。
「着替えをそこのクローゼットに入れてあるから。気に入ったのがなければ、また買いに行こう! ちょっと出て来る!」
そう叫んでバタバタと出て行ってしまった。
ミュリエルはもう一口水を飲むと、そろそろとベッドから降りてみた。目眩は治まっているようだ。毛布を肩から被ったままクローゼットの前まで行き、開けてみると、女性の服が何枚か掛かっている。
ミュリエルが持ち出したわずかな荷物も置いてある。
続きの部屋には小ぢんまりとした浴室があり、石鹸や髪の手入れに必要な香油まで置いてある。
何も持って来なくていいと言ったアランは、本当にいろいろと用意してくれていたようだ。ー こんなに、数日で用意できるものだろうか? 誰か他の人のものだったのだろうか。
アランに他に親しい女性がいるかもしれないと考えてミュリエルはため息を吐いた。そもそもアランは、好意は持ってくれていると思うが、結婚を申し込まれたわけでも、交際を申し込まれたわけでもない。可哀想に思って、あの家から連れ出してくれただけなのかもしれない。
人から好意を寄せられたことのないミュリエルは、この状況をどう理解して良いのかさっぱりわからなかった。これまでの経験を踏まえると、うまい話には裏があり、何かいいことがあるとその次には地獄のような嫌がらせをされるのだ。
とにかく、仕事を見つけて、生きていく方法を見つけなくちゃ。
それは、もう死んでマリアの所へ行きたいと考えていたミュリエルにとっては大きな進歩ではあった。
前向きになれそうな気がしたミュリエルは、遠慮しながらも体を清め、清潔な下着を身につけて、クローゼットから青色のおとなしいドレスを選んだ。
戸を開けて部屋から出ると、目の前にアランが立っていた。
「きゃっ!」
驚くミュリエルを見て、アランはホッとしたようだった。青いドレスを嬉しそうに見つめる。
「良かった。遅いから心配して、、、。顔色が良くなったね。家を案内しよう。」
ミュリエルの部屋は2階にあって、隣にもう一部屋あった。アランはこちらを使っているそうだ。くるりと回るように降りる階段で1階に降りると、1階には食卓付きのキッチンと、居心地の良さそうな居間がある。
「小さい家でガッカリした?」
目を驚きに見開いているミュリエルにアランは心配そうに尋ねる。
「いいえ! いいえ。 何て素敵なのかしらって。私のために準備してくれたの? こんなの夢みたい。」
嬉しすぎて涙が出て来る。
「ミュリエルと、僕のためだ。ここで二人で暮らそう。落ち着いたら、もっといい所を探すから、、、、」
「いいの! ここで十分に嬉しいの。」
二人で暮らそう、という言葉にまた涙が溢れて来る。一緒にいてくれる約束が嬉しくてたまらない。涙を止めようと、息を吸うとお腹が鳴ってしまう。
「そうだ。何か食べよう。いつ起きてもいいように準備してたんだ。」
アランは微笑んでミュリエルをキッチンへエスコートした。お腹の音を聞かれて恥ずかしかったが、ミュリエルは天国へでも来たような気持ちでアランと食事を始めた。