10 不安
「ミリー! 帰ったよ。」
「アル! お帰りなさい。」
アラン、ことアルは荷運びの仕事を始めた。商人として遠くから物を仕入れて、持ち帰ってこちらで売る商売だ。月に1週間ほど家にいないこともあるが、それ以外は朝家を出て、通りの向こうの商店を経営し、ピッタリ5時には帰って来る。
仕事以外で無駄な外出は一切しない。
「キレイな奥さんが心配でしょうがないんだろ。」
商店の隣のパン屋の主人がニヤニヤしながら噂する。
子爵家から逃げ出したミュリエルは、名前もミリーにして、すっかり平民の暮らしに溶け込んだ。夜中に馬車でこの街に辿り着いてから、3ヶ月経っている。
ミュリエルは元々得意だった繕い物の腕を生かして、仕立ての仕事をしている。ちょうど腕のいい仕立てのお店が、高齢を理由に店を閉めたところで、ミュリエルの縫い物がプロ並みであることが知られると、続々と仕立ての依頼が来るようになった。
ジュリエッタの服を直して着ていたことが、こんな風に生かせる日が来るなんて、とミュリエルは苦笑いする。
灰色の瞳を嫌う習慣は、一部の貴族にあるもので、港町の平民の間では気にする者はいなかった。むしろ色素の薄いミュリエルが「儚げで守りたくなる」と水夫や漁師の間では絶大な人気となり、シャツのボタンひとつ取れただけでミュリエルの所へ繕い物を持ち込む者が列を成した。
家計の助けになる、とミュリエルは嬉々として仕事をこなしたが、荒くれ者が鼻の下を伸ばしてミュリエルに自分のシャツを渡す光景を見ていられなかったアランが、自分の店で受付をすると言い出し、今は仏頂面のアランに服を預ける時にたまたまミュリエルが店にいるかいないかの賭けとなり、一目見たいとアランの氷の眼差しに耐えて定期的に店に来る強者がいるだけとなった。
それでもミュリエルの仕立てる子供服は、センスも良く裕福な商家の奥様には贔屓にしてくれる家も何軒かできた。
このままここで暮らせることを信じてもいいかもしれないー
ミュリエルは縫い物をしながら幸せを噛みしめる日々だった。
そんな毎日に少しずつ過去の影が忍び寄る。
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ミュリエルは悩んでいた。
この頃アランの様子がおかしい。
決してミュリエルに怒鳴ったりはしないが、時々暗い目をして考え込んでいることが多いように思う。
二人の関係も、最近よくわからなくなってきた。
街の人は二人を夫婦だと思っており、アランもそれを否定しないが、正式な夫婦でないことはお互いによくわかっている。
寝室も別で、そのような関係になったことはない。
毎日一緒に食事をして、出かける時は必ず側にいてくれる。エスコートも完璧で、いつだったかミュリエルがお店のお客様に肩を掴まれた時なんて、その場で相手を殺してしまうかと思われた。
その客のお孫さんの身長を確認していただけなのだけど。
先週はパン屋のカルロさんに
「子供は可愛いよ。まだなのかい?」と言われて笑顔で首を振ってごまかしたが、アランは渋い顔をしていた。
夫婦だとごまかすのが、辛いのかしらー
持って生まれたマイナス思考で、ミュリエルも益々悩んでしまう。
アランは何も知らない私をここへ逃がしてくれて、もう手を離したいと思って、優しいから言えないのかもしれない。
元々落ち着いて暮らしていなかったようだし。
アランは色々な国の話に詳しかった。
毎晩食事の後、居間のソファに座ってミュリエルの肩を抱きながら、
行ったことのある場所について、面白い話をたくさん聞かせてくれる。ここへ暮らして8ヶ月になるけれど、どこかへ行きたいと思っているのではないかー
そう考えると、そうだとしか思えなくなってきた。
「私が、手を離さないと」
そう口にするだけで目が潤んでくるが、ミュリエルはこんなに優しいアランを苦しめるのだけは嫌だった。
今日は1週間ぶりにアランが仕入れから帰って来る。
おいしい夕飯を準備して、良い雰囲気にして、話をしてみよう。
アランの好きなウサギのシチューを作ろう。
決心したミュリエルは台所へ向かった。
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