謎の紳士
「…おかえり。」
次に目が覚めたときには少し広めの部屋の真ん中で僕は大の字になっていた。
肘の力で上半身だけ起き上がり、痛みのある左側の首筋を抑えながら振り返ると、
そこには尾崎さんと割と身長の高い年配の男の人が並んで、僕のほうに駆け寄ってきた。
「いやぁ! やっぱり君は僕が思っていた通りの人材だ。スカウトしてよかったよ! なあ尾崎くん。」
「…彼が加入するのは反対ですが。でもさっきのはちょっとカッコよかったかなぁ。」
「そうそう! 「心の中に何かが残る」と言うあの言葉こそこの少年の心底から出る優しさを感じるいい言葉じゃないか。」
そしてスーツの男性は右手をすっと差し出し、
「私の名前はムー。我が本箱の味方へようこそ。」
「?」
僕はフラフラと立ち上がり、
「…僕は、その… 現実の世界へ戻って来たんですね?」
「そうだ! 君の勇気ある行動でこの物語は大きく変わった。」
そういうと手に持っていた『シバラレ絵本』のページをパラパラとめくり、栗原君が木下さんに謝罪するシーンを僕に読み聞かせてくれた。
つい1時間前に読んだ物とは明らかに違ったシーンだった。
「じゃあ僕は、物語を良く出来たんですね?」
「あぁ。作者が部数稼ぎで作った裏設定を見事に壊してくれたよ。1人の女の子の愛おしい青春を君は救ったわけだな。」
そういうとムーは手に持っていた本を胸の内ポケットの中にしまった。
僕が帰って来たこの部屋は学校の教室程度の広さがあり、僕と尾崎さんとムーが部屋の端っこの方に固まって居た。
部屋の中心には尾崎さんが爆弾を投げた『シバラレ絵本』が無傷のままに転がっていて爆弾による損傷はなさそうだった。
そしてムーはこの部屋に無造作に転がっていた『シバラレ絵本』の所までゆっくりと歩み寄り、
胸ポケットにしまってあったライターでそっと本に火を点けた。
僕は何だか笑顔になっていた。
ムーの優しい言葉のお陰だろう。
尾崎さんとムーは本当に悼むようにその本に手を合わせ、炎を見つめながら僕に教えてくれた。
「この部屋にあるあの本は唯一、推敲される前のままなんだよ。ようは最後の駄作だ。」
「それで本の内容はどうなるんですか?」
「2人が揃って現実に戻ってきた時点で大きく変わっていたよ。」
僕は誰かが書いた作品を勝手に手直しする事に少し複雑な気持ちのままムーに、
「作品を読んだ人の大切な記憶までなくなっちゃうんでしょうか?」
その声を聞くとムーは笑顔で僕の方へ振り返り、
「いや、みんなそれぞれ心の中に何かが残る。」
その力強い表情に圧倒された。僕は安堵の声で「じゃあ、よかった。」と息を吐くと、ムーは「どうだ!」と言わんばかりの表情で、
「そうさ! 私達は本箱の味方なんだよ。」
「本箱の味方?」