最終話〜黒瑪瑙の勇者見習い
事件が解決してから三日後の朝――
村外れの納屋では、アメシスが旅立ちの支度を進めていた。
借りていた毛布を丁寧に畳み、荷物の中身を一つずつ確かめていく。その傍らでは、オニキスが敷き藁の上に座り込み、退屈そうに欠伸をしていた。
開け放たれた木戸から流れ込む風に乗って、家畜たちの鳴き声が聞こえてくる。
長らく空になっていた囲いには家畜が戻り、畑や森へ向かう村人たちの姿も見られるようになった。
つい数日前まで異変に怯えていた村は、少しずつ元の暮らしを取り戻していた。
「これで全部ね」
荷物をまとめ終えたアメシスは、最後にフルートを腰に下げると、いまだ立ち上がる気配のないオニキスを振り返った。
「オニキスくん、忘れ物はない?」
「俺に聞くな。テメェの荷物だろうが」
「オニキスくんのものも入ってるのよ?」
「なら、忘れたらテメェのせいだな」
言いたいことだけ言うと、オニキスはようやく敷き藁から腰を上げる。
「もう……」
アメシスは呆れた声をこぼしながら荷物を背負い、壁に立てかけていたグレイブを手に取ると、先に外へ向かったオニキスのあとを追って納屋を出た。
そして、これまで世話になった納屋の中を一度振り返り、木戸を静かに閉めた。
二人が村の入口まで歩いていくと、そこには大勢の村人が待っていた。
村長を先頭に、子供たちの親をはじめとする人々が並んでいる。
「勇者様……もう、行ってしまわれるのですね」
名残惜しそうな村長の言葉に、アメシスは静かに頷いた。
「はい。私も北へ向かい、先に進んでいる仲間たちと合流しなければなりませんから」
「そうですか……」
村長は寂しげに目を伏せたが、やがて気を取り直すように顔を上げると、小さな革袋を差し出した。
「では、旅立たれる前に、どうかこちらをお受け取りください」
「これは……?」
差し出された革袋を受け取ると、中で硬貨がじゃらりと触れ合い、掌に確かな重みが伝わった。
「村の皆で出し合った、今回の依頼への謝礼です。決して多くはありませんが……どうか、お納めください」
「いえ、こちらでは何日も寝床を貸していただき、食事まで用意していただきました。それなのに、お金までいただくわけには――」
アメシスが返そうとした革袋を、村長は両手で押し留めた。
「勇者様が助けてくださったのは、子供たちだけではありません。家畜を失ったままでは、私たちはこの村で暮らしていくことさえ難しくなっていたでしょう」
村長の後ろで、村人たちも深く頷いている。
「勇者様は、私たちの村そのものを救ってくださったのです。これでも、ご恩には到底足りません。それでも、何もお返ししないまま送り出すことだけはできません」
アメシスは手の中の革袋へ視線を落とし、すぐには答えられなかった。
勇者への報酬として見れば、決して多い額ではない。
だが、村人たちの衣服や暮らしぶりを思えば、それが決して軽いものではないことくらい分かる。一人ひとりが、僅かな蓄えから少しずつ出し合ってくれたものだった。
どう答えるべきか迷っていると、隣からぶっきらぼうな声が飛んできた。
「受け取っとけ」
「でも……」
「テメェがテメェの力を好きに使った結果、こいつらは村ごと救われた。その礼がしてえって寄越してんだ。だったら黙って受け取っとけ」
言うだけ言うと、オニキスはふいと顔を背けた。
村へ来た当初、オニキスは村人たちがアメシスの力をあてにして厄介事を押しつけようとしているのだと疑っていた。
だが、少なくとも彼らは、アメシスの善意に甘え、何も返さずに済ませるつもりではなかった。
差し出された革袋は、彼女を利用したことへの対価ではなく、村を救われた者たちが返そうとしている礼なのだと――オニキスは、そう認めたのだ。
アメシスは革袋を両手で持ち直すと、改めて村長たちへ向き直った。
「分かりました。皆さんのお気持ちと一緒に、ありがたく受け取ります」
「ありがとうございます、勇者様」
「お礼を言うのは私の方です。これまで本当にありがとうございました」
アメシスが頭を下げると、村人たちの表情にも安堵の笑みが広がった。
「勇者様ー!」
そのとき、村の方から元気な声が飛んできた。
振り返ると、ニィナ、ハンス、ジョンの三人がこちらへ駆けてくる。ニィナとジョンは、それぞれ折り畳んだ紙を大事そうに抱えていた。
「よかったぁ、間に合った!」
三人は息を切らしながら二人の前までやってくると、示し合わせたように顔を見合わせた。
その中からニィナが一歩進み出て、持っていた紙をオニキスへ差し出してきた。
「これ! オニキスにあげる!」
「あ?」
「私たち三人で描いたの。開いてみて!」
オニキスは訝しげな顔をしながら紙を受け取った。
折り畳まれた紙を開くと、色鮮やかな絵が目に飛び込んでくる。
そこには四人の子供が横一列に描かれていた。
中央の黒髪の子供は黒いフードを被り、その左右から角が大きく突き出している。周りにはニィナたちと思しき三人が並び、全員が笑顔で手を繋いでいた。
「誰だ、こいつ」
「オニキスだよ」
「どこがだ!」
「黒髪と黒目で、フードの飾りもあるだろ」
「こんな間抜けな顔してねえ!」
「四人で遊んだ記念!」
「遊んでねえし、誰がテメェらの仲間になった!」
「離れてても仲間だからね」
「人の話を聞け!」
オニキスが怒鳴っても、三人は楽しそうに笑うばかりだった。
「もう一枚あるよ」
ジョンが手にしていた紙を差し出した。
「こっちは勇者様とオニキスに!」
「私にも?」
アメシスが受け取って紙を広げる。
その絵を横から覗き込んだ瞬間、オニキスの顔が強張った。
そこに描かれていたのは、長い髪が黄色く塗られた女と、黒髪に赤い目の男だった。男は女よりも背が高く、その背には大きな翼が広がっている。
二人は並んで手を繋ぎ、その頭上には大きな赤いハートが浮かんでいた。
「これ……私とオニキスくん?」
「そうだよ!」
「オニキスが大きくなったときの絵!」
「勇者様と手を繋いでるんだ」
「何描いてやがる!」
オニキスはアメシスの手から紙を奪い取ると、すぐさま握り潰そうとした。
「あっ! 駄目よ!」
アメシスは慌ててオニキスの手から紙を取り返した。
「返せ! そんなモン捨てろ!」
「せっかく三人が描いてくれたのに、捨てられるわけないでしょう?」
「オニキス、勇者様のこと好きなんでしょ?」
「うるせえ!」
「今度はちゃんとちゅーできるといいね!」
「黙れ、ガキども!」
オニキスがニィナたちを追いかけようと一歩踏み出すと、三人は笑い声を上げながら村人たちの後ろへ逃げ込んだ。
「待ちやがれ!」
「もう出発するんだから、追いかけないの」
アメシスはオニキスの外套を掴んで引き止めると、丸まりかけた紙の皺を丁寧に伸ばした。
「それも持っていく気か?」
「もちろん。二枚とも大切にしないと」
「捨てろ!」
「どうして?」
「どうしてもだ!」
アメシスは首を傾げながらも、荷物から一冊の本を取り出し、二枚の絵を丁寧に重ねてあいだに挟んだ。
オニキスはなおも忌々しげに睨んでいたが、村人たちが見ている前で奪い返すことは諦めたらしい。
アメシスは本をしまうと、荷物を背負い直し、村人たちに頭を下げた。
「それでは、皆さん。お世話になりました」
「道中、どうかお気をつけて」
「また近くへ来ることがあれば、いつでも立ち寄ってください」
「次は納屋ではなく、家に泊まっていただきますから」
「ありがとうございます。そのときは、ぜひ」
「俺は二度と納屋なんざ御免だからな」
「はいはい」
「その返事やめろ!」
二人のやり取りに、村人たちから明るい笑い声が上がった。
アメシスはグレイブを背負い直し、北へ続く道へ足を踏み出した。
オニキスもその隣に並び、何事もなかったように歩き始める。
「勇者様ー! また来てね!」
「オニキスも!」
「絶対だからね!」
背後から、ニィナたちの声が追いかけてくる。
アメシスは振り返り、大きく手を振った。
オニキスは前を向いたままだったが、その歩調は僅かに緩んでいた。
「オニキスくんも、手を振ってあげたら?」
「断る」
「寂しくないの?」
「誰が寂しがるか」
「また会えるといいわね」
「…………知らね」
二人の姿は次第に遠ざかり、やがて街道の向こうへ消えていった。
◇◇◇
二人が村を旅立ってから、幾日かが過ぎた。
村の広場では、子供たちのあいだで新しい遊びが流行っていた。
籠を王冠代わりに頭に被った魔族役を、木の枝を武器に見立てた勇者役と、黒い布を纏った少年役が追い回す。
その周囲では、動物役の子供たちが駆け回り、広場には絶えず楽しげな声が響いていた。
「何をしてるんだい?」
村に立ち寄った旅人が尋ねると、子供たちは揃って振り返った。
「ゴブルーランドごっこ!」
「紫水晶の勇者様とオニキスが、悪い魔族をやっつけるんだよ!」
「オニキスは大きな石をばりばり食べて、すっごく大きくなるんだ!」
「翼もこんなに大きくなるの!」
子供たちは旅人を取り囲み、我先にと古城で見た出来事を話し始めた。
黒紫に光る石を食べたこと。
大きな翼を持つ青年に姿を変えたこと。
悪い魔族を何度も殴り、紫水晶の勇者とともに自分たちを助けてくれたこと。
半信半疑ながらも興味深そうに話を聞く旅人に、近くにいた年配の女が笑いながら声をかけた。
「紫水晶の勇者様と一緒に、この村を救ってくれた黒いちびちゃんさ」
「では、その子も勇者なのか?」
「そうだねえ。オニキスって名前だったから、黒瑪瑙の勇者見習い、といったところかね」
冗談交じりに口にされたその呼び名を、子供たちはすっかり気に入った。
――黒瑪瑙の勇者見習い。
こうして、まだ誰も彼を勇者とは呼んでいなかった頃、小さな村ではひと足先に、黒瑪瑙の勇者見習いの物語が生まれた。
旅人はその話を土産に村をあとにした。
“黒瑪瑙の勇者見習い”の名は、その物語とともに人から人へ渡り、街道の先へ運ばれていった。
やがて北の大地で、各国の協力を得た勇者一行は魔王軍との決戦を制し、魔王アダマントを打ち倒して、世界に平和をもたらした。
その最後の戦場には、紫水晶の勇者とともに空を駆ける、大きな翼を持つ一人の青年の姿もあった。
その青年が、かつて小さな村で“黒瑪瑙の勇者見習い”と呼ばれた黒い少年であったことは――また、別のお話。




