↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/28

第1話〜紫水晶の精霊使いと小さな黒瑪瑙の魔族①

 魔王が率いる魔族たちに支配された世界。


 人々が魔族と魔物の脅威に怯え、僅かに残された町や村へ身を寄せ合って暮らすその世界に、魔王討伐を掲げて旅を続ける者たちがいた。


 若き勇者ダレル。

 彼と共に歩む聖女フィーナ。

 金獅子の勇者ヘリオン。


 三人の勇者は幾多の苦難と苦境を乗り越え、魔王アダマントの居城がある北の大地を目指していた。


 時に町を襲う魔族を倒し、時に国を救い、希望を人々に与える。


 その華々しい旅路から、少し離れた場所――


 そこで同じく魔族を倒し、人々を救いながら北へ向かう、もう一人の勇者がいた。


 紫水晶の勇者――精霊使いのアメシス。


 そして彼女のあとを、何かと文句をつけながら歩く、小さな黒い少年が一人。


 勇者と小さな少年――二人の旅は後に、人々のあいだでまことしやかに語られることになる。


 これは、まだ誰も少年を勇者とは呼んでいなかった頃の物語である。



 ◇◇◇



 木漏れ日に照らされた森の中に、澄んだフルートの音色が流れていた。

 音が軽やかに木々の隙間を抜け、枝葉を揺らし、冷たい沢の流れへ溶けていく。


 その旋律に重なるように、小さな少女たちの笑い声が楽しげに弾んだ。


 緑の光を纏った風の精霊が宙を舞う。

 その軌跡を追いかけるように、紫に輝く土の精霊が地を走り、青い光を曳く水の精霊が木々のあいだから躍り出た。


 傍目には、精霊たちが森で無邪気に遊んでいるようにしか見えない。

 だが、三つの光に囲まれた中央で、巨大な鹿が荒れ狂っていた。


 並の鹿ではない。


 大人の男の背丈を優に超える身体。頭から伸びた枝角は、森の若木ほどもある。

 太い脚が地面を踏みつけるたび、湿った土と枯れ葉が大きく跳ね上がった。


 風の精霊が、大鹿の枝角を掠めて飛び去った。怒り狂った大鹿が首を振り上げると、今度は水の精霊がその鼻先へ冷たい雫を浴びせ、土の精霊が蔓草を伸ばして脚を絡め取った。


 大鹿はますます興奮し、蔓を引きちぎって地面を踏み鳴らし、角を振り回した。周囲の枝を次々と折り、灌木を薙ぎ払う音が大きく響いた。


 その目は赤く血走り、口元には白い泡が浮かんでいる。明らかに正気ではなかった。


 大鹿が狙いを定めた先に、一人の女性――“紫水晶の勇者”、アメシスが立っていた。


 蜂蜜色の長い髪を一本の三つ編みに纏め、背には細身の身体に似合わない巨大なグレイブを負っている。

 だが、いま彼女が手にしているのは、戦斧のような刃ではなく、細身のフルートだった。


 大鹿が前脚で土を掻き、枝角が低く構えられる。


 アメシスは紫の瞳でその動きを見据えたまま、フルートへ吹き込む息を強めた。


 軽やかだった旋律が、鋭く跳ね上がる。


「リーフィ、足元を押さえて!」


 紫の光を纏った土の精霊が地面へ両手を触れた。


 大鹿の足元から土が盛り上がり、太い前脚へ絡みつく。大鹿は地面へ縫い止められかけたが、力任せに脚を引き上げ、固まった土を蹴り砕いた。


 そのまま、正面のアメシスへ突進する。


 地面を揺らす蹄音が、瞬く間に近づいた。


 アメシスは旋律を途切れさせることなく、大鹿をぎりぎりまで引きつけた。紫の瞳に、鋭い角の先端が映り込んだ。


「ラァラ、右へ!」


 緑の風の精霊が両腕を広げる。


 木々のあいだを吹き抜けていた風が集まり、大鹿の横腹へ叩きつけられた。突進の軌道が逸れ、枝角がアメシスの外套を掠める。


 彼女が身を翻した直後、大鹿は勢いのまま木の幹へ肩をぶつけた――が、それでも倒れない。


 大鹿は怒りに任せて首を振り、再びアメシスへ向き直ろうとする。


「ティア、お願い!」


 沢から巻き上げられた水が、青い精霊の周囲へ集まった。


 膨れ上がった水塊が、大鹿の横腹へ打ち込まれる。巨体が押し流され、濡れた地面を滑った。

 追い打ちをかけるように、土の精霊が砂礫を巻き上げる。風の精霊がそれを猛烈な風に巻き込み、大鹿の頭上から叩きつけた。


 枝角が地面へぶつかる。何か硬いものが弾け飛び、軽い音を立てて土の上を跳ねた。

 それが何かを確認する前に、大鹿の脚から力が抜け、その巨体は土の上へ横たわった。


 フルートの旋律が止む。


 森には沢の音と、枝葉から落ちる水滴の音だけが残った。


 アメシスは暫く大鹿の様子を窺ってから、フルートを手放さずに慎重に近づいた。

 大鹿の上下する腹へ手を当て、目立った傷がないことを確かめ――安堵の息を吐いた。


「気を失っているだけね」


 周囲に集まってきた三人の精霊も、嬉しそうに声を上げた。


「三人とも、ありがとう。上手だったわ」


 褒められた精霊たちは、アメシスの周囲を飛び回った。

 風の精霊は得意げに胸を張り、水の精霊は照れたように笑っている。土の精霊は大鹿の傍らへ降り、乱れた土を小さな手で均していた。


 アメシスはその様子を見てから、少し離れた木立へ顔を向けた。


「オニキスくん、出て来ていいよ」


 返事はなかった。


「オニキスくん? もう終わったわよ?」


「……見りゃ分かる」


 漸く太い木の陰から、不機嫌そうな声が返ってくる。


 暫くして姿を現したのは、黒い外套を纏った小柄な少年だった。


 年の頃は十歳ほど。乱れた黒髪のあいだから人間より長く尖った耳が覗き、頭部には蝙蝠の翼を象ったような一対の艶やかな黒い角がある。外套の背からは、小さな黒い翼が見えていた。


 オニキスは倒れた大鹿を一瞥し、鼻を鳴らした。


「こんな獣一匹に、随分と手間取ったもんだな」


「殺さずに正気に戻そうとしたんだから、仕方ないでしょう」


「最初から俺にやらせりゃ早かった」


「前もそう言って怪我してたじゃない」


「あれは相手が卑怯だっただけだ」


「はいはい」


「その返事やめろ」


 アメシスは聞き流し、フルートを腰の留め具へ戻した。


 オニキスが不満そうに睨んでくるが、もう慣れたものだった。口では何度も「殺す」と脅してきたが、本当に襲いかかってきたことはない。

 それどころか、アメシスが少しでも危険な位置へ立てば、自分の身体が弱っていることも忘れて前へ出ようとする。

 今回も、木陰で待つよう言い聞かせるのに、随分と時間が掛かったほどだ。


 オニキスは大鹿へ歩み寄ると、枝角の近くで足を止める。

 枝角の傍らに落ちた何かを捉え、オニキスの黒い目が鋭く細められた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。