第81話 王都への帰還
先んじてアシェルが王都へ戻った日からおよそ十日後。正規のルートで帰路についていた旅団も無事に王都へ帰還した。
ほとんどが移動に費やされた、二十日以上に及ぶ遠征だったのだ。まずは休息が優先されたが、晴人だけは少しも疲れた様子を見せずにアシェルの執務室を訪れていた。
「無事の帰還でなによりだ」
「若様も。突然消えた時には驚きましたが、無事お戻りになられていてよかったです」
あの日、報せを聞くなり与えられていた自室に戻ったアシェルは、書き置き一枚を残して忽然と消えた。
部屋に残された魔法陣を見つけたハロルドが転移魔法を使ったことに気付き大事にはならなかったが、さすがに少しばかり肝が冷えたのは記憶に新しい。
「すまなかった。帰ってから兄さんにもこっぴどく怒られたよ」
「さっきはリヴィにも泣かれていたしな」
横から声を挟んできたのはソファーに座っていた桃里だ。膝の上には朔月を乗せていて、二人で仲良く絵本を捲っている。
ここ数日、まだあまり話せない朔月に桃里は熱心に言葉を教えていた。
「さっきから気になっていたのですが」
「こいつか?私の眷属にした」
「それは構わないですが…」
ご機嫌に体を揺らしながら夢中で絵本を見ている朔月と桃里を見比べた晴人が、今度はアシェルへと視線を戻す。そして一言。
「随分とお嬢と若様に似てますね?」
「ごっ、ふ……」
喉から変な音を出して咳き込んだアシェルをよそに、細い目を更に鋭く細めて朔月を見つめた晴人は、ふうんとなにか気付いたように頷いた。
「なるほど、微かに漂うのはお嬢の霊力と妖力、それに若様の魔力ですか。化けた容姿がお二人に似たのはこれの影響でしょうね。ハイブリッドってやつですか」
自分の話をされていることに気づいたのか、朔月はふと顔を上げて得心している晴人をじっと見上げる。
「あれは晴人だ。はーるーひーと」
「はーるーとぉ」
「うん、まぁだいたいあってる」
やはりまだ上手く言葉は扱えないようだが、先に人に化けることを覚えたあたり存外素質はあるのかもしれない。
「朔月はまだ妖になりたてだが、どうやら瘴気には敏感らしい。私ですら気づかなかったこいつを見つけたのも朔月だ」
朔月を膝上から降ろした桃里は、懐からハンカチに包まれた何かを取り出してテーブルに置いた。
「これは…」
広げられたハンカチの上に乗せられていたのは細く長い一本の糸、どちらかというと髪の毛に近いものだった。
白いハンカチの上でキラキラと金色に輝くそれは母、エヴァの髪によく似ていた。
「よく見つけましたね」
「ああ。それから、これも」
そう言ってもう一つ、懐から出てきたのは薄汚い布切れのようなものだ。一見するとただの汚い端切れにしか見えないそれに、晴人の表情は先程より険しいものに変わった。
「…これも同じ場所で?」
「いや、こっちはマシューが持っていた薬の瓶に巻きつけられていたらしい」
「…お労しいことだ」
僅かに憂いを含んだ声で呟いた晴人は改めてアシェルを振り返ると、彼にしては少しだけ疲れた笑顔を浮かべた。
「長い話になりそうです。この件は明日でも構いませんか?」
なんの事かはさっぱりだったが、これらが今回の事件の手がかりであることだけはわかる。
確かに気になる件ではあったが今は言及することなく、アシェルは静かに頷いた。
「ああ、もちろんだ。ずっと気を張っていただろう、晴人もゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます」
テーブルに広げられていた二つのものをハンカチに包み直して懐に収め部屋を出ていく途中、晴人に呼ばれた朔月は意外なほどあっさりと桃里の側を離れてついていく。
初めて会ったにも関わらず何の疑いもなく後を追った朔月と手を繋いだ晴人は、「あまり若様のお邪魔をしてはいけませんよ」桃里に一言残してから去っていった。
「ったく、ほんと晴人はいつも小言が多いんだ」
絵本を閉じて背もたれに深く身を沈めた桃里に小さく笑ったアシェルは、自身も途中だった書類を片付ける。
「俺も今日の仕事はもう終わりだ。皆を休ませてやらないといけない。もちろんイーニアスも」
お忍びで勝手に城に戻っていたアシェルは家族やジュリアたち一部の使用人のみには帰還を告げていたが、体裁としては旅団と帰還したことになっている。
そのためこの数日はひっそりと執務室に身を潜めていた。
「でも桃里、君は暇だろう?」
「うん?」
天井を仰いだまま脱力する桃里の前に手を差し出すと、きょとんとした顔と視線が合う。
「少し出よう。息抜きだ」
「……!――うん!」
ぱっと顔を輝かせて手を取った桃里は、ぴょんっと勢いよく立ち上がる。
その仕草が朔月と似ていて、やはり親子(本当の親子ではないが)は似るものなのかと頬を緩めた。
今日まで互いに目まぐるしい日々だったのだ。少しくらい羽を休めても咎められはしないだろう。
嬉しそうにはしゃいでいる桃里に、アシェルは目を細めるとふっと静かに魔法を唱えた。




