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第1話 異国からの来訪者

ひたすら趣味を詰め込んでます。楽しんでもらえたら嬉しいです。

 高く澄み渡った空と穏やかに流れる温かい風。風に乗って微かに届く、慣れ親しんだ潮の香り。


 まだ市場や商店も開いたばかりの時間だというのに、表通りから聞こえてくる人々の声は活気に満ち溢れている。


 明るい日差しと賑やかな空気。それはまさにこの風の国【シルフィルド】そのものを表していた。


 なんの変哲もない一日の始まり。それはあまりに突然だった。


「アレク様!」

「――え?」


 背後からの呼び声に導かれて空を仰ぐと、まるでそこだけを青空を切り取ったようにぽかりと穴が空いていた。


 なんの前触れもなく頭上に現れた真っ黒な闇に瞠目するも一瞬、今度はその穴から何かが落ちてきた。


「なっ…!?」


 あまりにも予期せぬ場所から降ってきたそれが人間だと気づいたのは、すぐ目の前まで迫ってからのことだった。


 烏の濡れ羽のような艷やかな黒髪がアレクの顔に散る。


「っ…」

「――ッいった…」


 したたかに背中を打ちつけて小さく呻いたアレクの耳を掠めた声。少しハスキーだが涼やかなその声音で、降ってきたのは女だと察した。


 すぐさま立ち上がることもできず地面に寝そべったまま見上げると、髪の隙間から覗いた面立ちはまだ少女のようだった。


「――もう、なんなんだ、ったく。…あっ、ごめん、だいじょ……」


 美しい声音には似つかわしくない悪態をつきながら、少女は伏せていた瞼をゆっくりと持ち上げる。


 紅い瞳がまっすぐこちらへ向けられて思わず息を呑んだ。なんと美しい色なんだと場違いなことすら思ってしまう。


 それほどまでに美しいガーネットの瞳の奥に、正反対のアイスブルーが映って静かに溶け合う。


 その瞬間、まるで時が止まってしまったかのように。




【鬼人の嫁入り―風の国の鬼姫伝説―】




 桃里(とうり)が父親に呼ばれたのはまだ朝焼けが残る刻だった。


 薄暗い森を抜け辿り着いたのは小さな赤い鳥居のある神社だ。


 普段は昼過ぎにならないと起きてこない父親がこんな朝早くに呼び出すなんて、いったいどういう風の吹き回しなのか。


 どうせいつもの気まぐれだろうと、桃里は呑気にあくびを噛み殺した。


 こんな早朝のことだ。呼びつけておいていないかもしれないと思いながらも律儀に来たことを褒めてほしい。


 しかしそんな桃里の考えとは裏腹に、鳥居の前に立っていたのは深い真紅の髪を腰まで伸ばし額からは立派な二本の角が生えた大男だった。


「今日は雪でも降るのか?」


 遅咲きの山桜が蕾を開かせ、ようやく春を迎えたばかりだというのになぜだか僅かに胸がざわつく。


 桃里の怪訝な声には応えず、いわゆる"鬼"と呼ばれるその男は不機嫌そうに咥えた煙管から紫煙を燻らせて一瞥すると、雑に一枚の紙を押し付けた。


「なにこれ」

「おまえは今から外の国へ行け」

「は?」


 何の説明もなく意味不明なことを言い出した父親に、桃里は酔っ払っているのかとますます胡乱な目を向ける。


「何言ってるんだ。外の国って」

「話は向こうに行けばわかる。――晴人(はるひと)銀治郎(ぎんじろう)


 父親の呼びかけで近くに控えていたらしい二人の男が現れる。


 一人は長い黒髪を下の方で結った細身の人間、もう一人は頭に大きな耳を生やした五本の尾を持つ狐の妖。桃里もよく知る二人だった。


「ちょっと待て」


 明らかにいつもと違う様子に、桃里は普段自分の世話係を務めている晴人に助けを求めるような視線を向ける。


「これを」


 しかしそれに対する返答はなく、差し出されたのは布袋に納められた一振りの刀だった。


「これ…母上の刀…?」

「絶対に放さないでください」


 いつもの柔和な笑みもなく、ただそれだけを言った晴人は自分たちの前を通り過ぎると鳥居の前に静かに立つ。


 いったい何事なのか。晴人が胸の前で印を結ぶと途端、それまでゆっくり流れていた風が止んだ。


「なにを…」

「桃里」


 呪文を唱える晴人に動揺しつつ呼ばれるままに振り返ると、頭をすっぽりと包むほどの大きな手が、その無骨さには似つかわしくないほど優しく桃里の髪を撫でた。


「おまえは俺と暁緒(あきお)の子だ」

「――親父?」


 少し熱い手のひらもほのかに香る紫煙の香りも、自分と同じ紅い瞳も。すべてが桃里にとっては安心できる大好きな父のものだ。


「強く生きろ、桃里」


 十六年間当たり前にあった手が、離れた。


 それまでまっすぐ立っていた体が傾いで鳥居の方へと吸い寄せられる。慌ててそちらを振り返ると鳥居の奥に人が通れるほどの穴が空いていた。


「待って、なにがっ…」


 どんどん穴の方へ吸い寄せられる体で抗いながら必死に仰いだ父親は、再び取り出した煙管を咥えて口角を持ち上げた。


 ついに穴の縁に踵がかかる。晴人の腕が桃里を抱き止めた。瞬きすらも許されない、それはほんの一瞬の出来事。


「行け」


 声と同時に晴人が地面を蹴ると、桃里の体はまたたく間に穴の中と吸い込まれていく。


「まって、親父…っ親父っ!――父さん……!」


 徐々に遠のく光の向こうから小さな影が二つ飛び込んでくるのが見え、それと同時に完全に視界が閉ざされる。


 意味もわからないまま暗闇に放り出された桃里は目を閉じることもできずに、唐突に訪れた底のない闇を見つめるしかできなかった。

一話を読んでいただきありがとうございます。

第一部【風の国編】、よければのんびりお付き合いください。もし気に入ってもらえたら応援よろしくお願いします!

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