花屋の姉妹
通りの光が、少しだけ明るさを増している。
朝のやわらかさを残しながら、
色がはっきりと見え始める時間だった。
モチオは、ひだまり商店街をゆっくりと歩いている。
足取りは変わらない。
急ぐでもなく、立ち止まるでもない。
ただ、自然な速さで進んでいる。
パン屋の前を過ぎると、
さっきまで感じていた香ばしい匂いが、少しずつ薄れていく。
その代わりに、別の気配が混ざり始める。
モチオは、ふと視線を上げる。
通りの少し先。
店先に、いくつもの色が並んでいる。
赤、黄色、淡い紫。
やわらかな緑。
それらが、朝の光を受けて、静かに揺れていた。
(……花屋)
モチオは、そう思う。
足が、ほんの少しだけゆるむ。
意識したわけではない。
でも、自然とそちらへ向かっている。
店の前に近づく。
小さな鉢や、ガラスの器に入った花が並んでいる。
まだ水を含んだばかりのようで、
葉の先に小さな滴が残っている。
光が当たると、それがきらりと光る。
モチオは、そのひとつに目を留める。
何かを思い出すわけではない。
でも、少しだけ足を止める理由になる。
そのとき――
「おはよー!」
明るい声が、すぐ近くで弾ける。
モチオは、少しだけ肩を揺らす。
驚いた、というほどではない。
でも、その音は、今までの空気とは少し違っていた。
モチオは、声のほうを見る。
店の奥から、一人の少女が顔を出している。
元気な表情。
動きも、少し大きい。
そのまま、ぱたぱたとこちらへ歩いてくる。
「初めて見る顔だね!」
ためらいのない言葉。
でも、不思議と強すぎない。
どこか軽やかだった。
モチオは、少しだけ間を置く。
それから、小さく答える。
「……はい」
少女は、にっと笑う。
その笑顔は、花の色とよく似ていた。
「ここ、よく通るの?」
続けて聞いてくる。
モチオは、少しだけ考える。
「……最近、来るようになりました」
正確な言い方ではないかもしれない。
でも、今の自分には、それがいちばん近い。
少女は、うんうんと大きくうなずく。
「そっかー!」
それだけで、納得したようだった。
そのやりとりを、少し離れた場所から見ている人がいる。
もう一人の少女。
同じ店の奥に立っている。
こちらは、動きがゆっくりとしている。
手に持った花を、丁寧に整えている。
モチオは、その様子に気づく。
視線が、そちらへ向く。
少女は、少しだけ顔を上げる。
モチオと目が合う。
ほんの一瞬。
それから、小さくうなずく。
言葉はない。
でも、それで十分だった。
「お姉ちゃん、静かでしょ」
先ほどの少女が、少しだけ声をひそめて言う。
でも、その声は、ちゃんと届くくらいの大きさ。
モチオは、少しだけうなずく。
「……はい」
「でもね、すごくよく見てるんだよ」
楽しそうに続ける。
その言葉に、奥にいた少女が、ほんの少しだけ困ったように笑う。
大きな反応ではない。
でも、その表情はやわらかい。
モチオは、そのやりとりを見る。
言葉と、言葉にならないもの。
その両方が、自然に重なっている。
少しだけ、カリーナとの時間を思い出す。
似ている。
でも、違う。
ここには、もう少しだけ音がある。
動きも、色も、多い。
でも、不思議と落ち着かないわけではない。
モチオは、もう一度、花を見る。
風が、少しだけ吹く。
花びらが、ほんのわずかに揺れる。
その動きに合わせて、光もゆれる。
色が、やわらかく変わる。
「これ、今朝届いたばっかりなんだよ」
少女が、ひとつの花を指さす。
淡い色の花。
名前はわからない。
でも、やさしい色をしている。
モチオは、それを見る。
「……きれいですね」
自然に言葉が出る。
少女は、ぱっと顔を明るくする。
「でしょ!」
その反応が、少しだけ大きい。
でも、嫌な感じはしない。
むしろ、そのまっすぐさが、気持ちよかった。
奥の少女も、ほんの少しだけうなずく。
それが、静かな同意のように見える。
モチオは、その様子を見て、少しだけ口元をゆるめる。
さっきまでとは、少し違う空気。
でも、ここにも、同じようにやさしいものが流れている。
モチオは、小さく頭を下げる。
「……行きます」
それだけを言う。
少女は、すぐに手を振る。
「またねー!」
軽い声。
でも、どこかあたたかい。
奥の少女も、小さくうなずく。
言葉はない。
でも、それで十分だった。
モチオは、歩き出す。
花屋の前を離れる。
後ろから、少しだけ明るい声と、
やわらかな気配が残る。
通りを進む。
さっきまでの匂いに、
今は色の記憶が重なっている。
パン屋の香り。
花屋の色。
それぞれが、重なって、この通りをつくっている。
モチオは、その中を歩く。
ひとつずつ、触れるように。
急がず、置いていくように。
やがて、見慣れた店の前にたどり着く。
ひだまり雑貨店。
扉の前で、少しだけ立ち止まる。
さっきまでの空気が、静かにここに戻ってくる。
でも、ほんの少しだけ、違う。
外で触れたものが、ここにも残っている。
モチオは、そのまま扉に手をかける。
ちりん、と音が鳴る。
その音が、やわらかく広がる。
そして――
モチオは、またひとつ、この町の輪の中に入っていった。




