21
ここから第二章[後編]が始まります。
「――紙島さん。この資料の最終チェック、お願いできますか」
「はい」
紙島涙は狐耳と狐尻尾を引っ込め、今日もデスクに向かう。
あやかしでも涙のように自分があやかしであることを隠し、人に変化して社会に溶け込んでいる者は数多くいる。
この生活が二年以上続き、涙はすっかり慣れてしまった。
未だに慣れないのは急な電話くらいだろうか。
「……妖狐からか……。急用ができたので、俺ちょっと抜けます」
涙はオフィスを抜け出し、外にある喫煙所へ。奇跡的に人はひとりもいなかった。聞かれたくない会話なので、人はいないほうがいい。もし仮に居た場合、術を使わなければいけなくなるので体力が奪われる。
色々と面倒なので、仕事中はなるべく電話してこないでほしい、とあやかし達には頼んでいるのだが――つまりそれでも電話してくる、ということは緊急の知らせなのだろう。
「――なにっ!? 切り裂き女が出没しただと!?」
予想は奇しくも当たってしまった。
『夜刀神と狗神は既に合流している。妖狐も来い』
「承知した。俺もすぐ行く。妖狐はいま何処にいる」
いまは「妖狐ってどっちの妖狐?」とか言っている場合ではない。
そんな状況下なのに京のほうは呑気に女子三人と喫茶店でお茶をしている。
これは後々怒られる事案だ。
「……妖狐? 聞いているのか」
『――いらっしゃいませ〜』
いま、女性店員の声が聞こえたような……?
『かっくざとうー♪ 楪葉さん! 聞いてますか?』
複数人の女子の声……!?
おい、まさか――妖狐は合コンにでも行っているのか? こんな忙しい時期に。
「妖狐! 合コン行くならちゃんと仕事しろ――」
『――ピー、ピー、ピー』
「切れたし」
溜め息混じりの白い煙をゆっくりと吐き出す。
煙草をマイ灰皿に捨てると涙は喫煙所からも出た。
……空は曇天だった。
――涙は《《自分の車》》で小学校が隣接する、件の通学路に向かった。
この車というのは彼が術で発現させたモノだ。
術というのは本来、こういう時に使うべきなのに別の妖狐はいつまで経っても学ぼうとしない。学ぼうとしないし、分かろうともしないし、覚えようともしない。だから、周りが手を焼く羽目になる。
何故、涙は誰に聞いたわけでもないのに出現場所が通学路だと分かったのか――。
それはこの車のカーナビに秘密がある。
カーナビにあやかしの名前を打ち込めば、そのあやかしの居場所を追跡することができる。
なにせ、紙島涙は《《あやかしを追跡できるあやかし》》なのだから。
――煙草の臭いが充満する車内。涙は少し悪戯を思いついた。
妖狐は居場所を教えてくれなかったが、このカーナビを使えば居場所が分かるのでは? と。
試しに妖狐の名前を入れてみる。すると――。
喫茶店の近くが赤く明滅した。
ちょうど京たちが喫茶店から出てくるところだった。
「――喫茶店!? 妖狐は喫茶店で合コンしてるのか……! 妖狐のくせにけっこう洒落てんじゃねえか」
勘違いが止まらない。
――涙は小学校付近で車を停車させた。
車の窓ガラスからは夜刀神、狗神、妖狐、それから人間三体の姿、そして切り裂き女の姿が窺えた。
恐らくこの人間三体というのが先ほど妖狐と合コンしていた相手なのだろう。偶然、妖狐と一緒にいたところ厄介事に巻き込まれてしまったのだろう。哀れだがいまはそんなこと、どうでもいい。
「待て! 切り裂き女!!」
涙は車から急いで降り、全速力で切り裂き女の後を追った。
(遅かったか……)
そう心の中で小さく呟く。
合コンして浮かれていた狐よりも遅かった自分が不甲斐なく、悔しい。
あのあと限界まで切り裂き女を追ったが、切り裂き女が冥界に行ってしまった為、今日のところの追跡は断念せざるを得なかった。
あやかしは幽世には行けるが、冥界には行けない。冥界はたくさんの悪霊が跋扈する世界。踏み入れると確実に殺され、自分まで悪霊にされてしまう可能性もある。
厳密に言うと《《あやかし》》と《《悪霊》》は違う。あやかしは妖怪だが、悪霊は霊。あやかしは成仏されて、妖怪として生まれ変わっているが、悪霊は成仏されずに《《死んだ姿で》》、この世界を彷徨っている。
そして反対に悪霊は冥界に行けるが、幽世には行けない。
切り裂き女のような悪霊が冥界に逃げてしまうと、これ以上の追跡は出来なくなるのだ。
***
――夜の八時過ぎ。妖狐に電話を繋げる。
ちょうど叶がお風呂に入っている頃合いだった。
妖狐はすぐに受話器を手に取り、いつもと変わらぬ口調で話す。
「――切り裂き女が冥界に逃げたせいでまたしても捕まえられなかった。それと到着が遅れてすまない」
「気にするな。切り裂き女を捕らえられなかったのは紙島のせいだけじゃない」
「そう言ってもらえると少し心が軽くなるな。……切り裂き女の件だが、今度俺と一緒に冥界に行ってくれないか」
「遠回しに『俺と一緒に死んでくれない?』って言ってる?」
「言うわけないだろ。大切な人がいる奴に『死んでくれ』なんて言うわけねえよ。もっと彼女を大事にしろ」
「…………は?」
――夜刀神がチクったのか? いや、あいつの記憶は一部剥奪している。あいつが紙島に言うはずない。そもそも紙島と夜刀神が話している時間なんてなかったはずだ。
じゃあ、何故知っている? いや、待て。紙島はなにか勘違いしてないか?
「――合コンで好きな人間の女、出来たんだろ?」
「合コン? さっきから君は何を言ってるんだ?」
「喫茶店で三人の女子と合コンしてただろ? 忘れたのか?」
「あれは合コンじゃない。作戦会議だ」
「ふーん。作戦会議ねぇ。ま、俺は妖狐の恋愛に興味無いけど」
「じゃあなんで合コンの話が出てくるんだよ。絶対からかいたいだけだろ」
「冥界に行ってもいいが、もう少し人数募ったほうがよくないか?」
「勿論そのつもりだ。いま、あやかしを順番に誘い出しているところだ」
「……そうか。叶には寂しい思いをさせることになるな……」
「いま、女の名前っ!! やっぱり妖狐は彼女持ちだったか……」
「絶対お前、俺の恋愛に興味あるだろ」
「バレたか……」
「――じゃあ、電話切るぞ。冥界には行く。おやすみ」
妖狐は月を見上げる。そうやって黄昏ていると風呂場のドアが開く音がした――。
***
冬のお風呂は温まる。ストレスが全部、浄化されていくような。一時的かもしれないけれど、つらい出来事を忘れられる。
――楪葉さんもイケメンなんだけど、夜刀神さんも狗神さんもイケメンだったなぁ……。
そんなことを思いながらお風呂から出てくると京がいつにも増して真剣な眼差しをしていた。
「――叶。大事な話がある」
「いきなり何ですか」
「……抱きしめてもいいか?」
お風呂から出てくると京の様子がおかしかった。
シリアスモードからの急なドキドキモード。
私にはついていけない。
「なっ――! セクハラですっ!」
「まったく。叶の警戒心はいつになれば弱まるのやら。……って、俺はこんな話をしたいんじゃない! 大事な話がしたいんだ!!」
「勝手にキレないで下さい。逆ギレです!」
「――俺は数日間、この家を離れる。留守番、よろしくな」
「へっ……!?」
私は膝から崩れ落ちた。
現実が受け入れられない。
いつかの音々ちゃんはこんな気持ちだったのだろうか。
まさか京がこんなにも早く桜戸叶離れするとは思わなかった。
他の誰よりも叶LOVEな京が。
寂しさよりも驚きのほうが凄かった。
京に何があったんだろう。
「叶、どうした? そんなに俺がいなくなるのが寂しいのか?」
「違いますっ! ウザい楪葉さんがいなくなるのが嬉しすぎて、歓喜のあまり崩れ落ちちゃったんです!」
「ホントにそうか? いまの叶は寂しそうな顔してるようにしか見えないが」
京の右手が私の左頬に触れる。その手は冷たかった。寒さのせいなのか、あやかしだからなのかは分からない。
ただ、どこにも行かないでほしい、というのが率直な気持ち。
私がついていったら、何か支障があるのかな?
「――冥界に行く」
答えはとっくに京の口から出ていた。
「ぜったい死なないで下さいね?」
「俺が好きな女を置いて死ぬわけねえだろ」
「楪葉さん、嫌いです。恥ずかしいこと言うから嫌いです」
「理不尽」
「叶、おやすみ」
「おやすみなさい」
――朝、起きたら京がいなくなっていた。
帰ってくるまでただひたすら耐えるしかない。




