18
「――おはようございます」
藤白音々は教室のドアを開ける。
誰からも反応は無く、喧騒が鳴り止まないだけ。
そういえばそうでした。音々には友達が一人も居らず、恋人もいない。狼火と《《さよなら》》してからは、心を閉ざしたまま月日が無常にも流れていっていた。
でもそんな中、叶先輩や楪葉さん、咲倉と関わるようになってちょっぴり音々の心も変わりつつあったのだ。
だからそんな錯覚に惑わされ、孤独を忘れていた。
けれども、音々はめげない。
――もう一回、再挑戦してみる。
一度開けたドアを閉めてまた開ける。
「おはようございます」
「…………」
「同じですね」
音々は嘆息する。ひょっとすると皆、音々の存在に気づいていないのかもしれない。
(そんなに影薄かったですか、私)
寂しさを感じるか感じないかの微妙なライン。
彼女は自分の席のほうへ歩を進める。
――遠目から見ても分かっていた。音々の机の周りには女子グループがワイワイ屯していることに。だが、これはいつもの日常だ。決して音々が人気者というわけではなくて、誰もいないからスペースとして使っているだけ。
音々からしたら、迷惑以外のなにものでもない。
音々が近づくと――。
「わー、藤白さんが来たー!」
「呪われるー、早く逃げなきゃ」
何も言わなくてもすばやく退散してくれるのは有り難いけど。
(呪われるとか言っておいて、私の机に堂々と座ってたよね?)と言いたい気持ちをグッと堪える。
席に着いた音々はスマホを開く。ニュース記事を漁るのが最近の彼女の趣味。実際にあった事件や事故、芸能人のゴシップなどを他人事のように俯瞰して眺めるのが好きらしい。ちなみにブログで記事を取り上げて発信したり、コメントはしない。ただ、感情移入して振り回されたりはするそうだ。
トップニュースを全て拝見させて頂いたところで……さっきから画面上部が煩くないですか?
通知がひっきりなしに来る。
アイコンから察するに――咲倉?
すぐさまLIMOを開く。
メッセージ件数10件。全部内容同じ。
『今日 学校 行く』
この淡白で短すぎる文章が十回繰り返されていたわけだ。
「マジですか……」
思わず声に出して、呟いてしまった。
でもちょっと――いや、かなりツッコミどころが多すぎる。
まず、文章がぷつぷつ途切れてて間隔ごとに1マス空白があるのは、検索してるつもりでメッセ送ってるんですか。
そしてもう一つ。
同じ短文が沢山送られてきたけど、この場合はLIMOアプリ側のバグなのか、わざとなのか。でも、音々が既読をつけたらメッセ連投攻撃がやんだので構ってほしかっただけなのかもしれない。
それか――切り裂き女に記憶剥奪された後遺症でLIMOの仕方を忘れているのかも、しれない。
最後にもう一点。
音々がLIMOを開いたのが8時25分。メッセが送られてきたのもほぼ同じ時刻だ。
朝のホームルームは8時30分から行われる。
……普通に遅刻しない?
ツッコむことに気を取られていたが、別件で彼女は内心焦っていた。
『昼休み 3F 空き教室 集合』と咲倉宛に送信。
咲倉にあやかってちょっとだけ遊んでみた。音々はこういうおふざけが好き。
でも、遅刻スレスレで登校した咲倉は一転して良かったのかもしれない。だって彼女は誰かが訂正してあげないと、口癖のように「あなた、誰?」を連発させていただろうから。
問題は中休みだけど……LIMOで『極力 無言 貫け。 交流 禁止』って送ったし。
まぁ、いいんじゃない? 私は咲倉のママじゃないし、知らん。私は悪くない!
勝手にキレて、勝手にめんどくさくなる音々だった。
――音々はLIMOを閉じる時、間違えて『トーク』じゃなくて、『ホーム』を押してしまった。すると、お気に入りの桔梗のマイアイコンが表示される。途端、彼女の心が動いた。
(桔梗……! あの方、好きだったな……)
センチメンタルになって、音々の瞳が潤む。
だが、音々の気持ちなどお構いなしに1時限目開始を告げるチャイムが鳴った。
彼女は溜息を吐きながら、手持ちのスマートフォンを制服のポケットにしまうのだった。
***
――昼休み。空き教室にて。
ハムとレタスのサンドイッチを食べながら、藤白音々は悶々《もんもん》とする。
数学の教科書を開いているが、決して数学の問題が原因で悶々としているわけじゃない。
「私って何のために生きているんでしょう……?」
狼火がいなくなった今、毎日が空虚でつまらなくて、ついそんな問いに辿り着いてしまう。
《《死にたいわけじゃない》》。ただ、彼と同じ場所に行きたいな、とは思う。
ただそんな生きる意味は、叶先輩や楪葉さんも一緒に見つけてくれると思うから――。もう少し生きてみようと思う。
音々が数学より遥かに難しい問いを解いていると……ようやく空き教室のドアが開いた。
ガガガガゴッ、ガッガッ、ガガ…………。
「大丈夫!?」
(私がドア開いたとき、そんな音、しなかったんだけど……)
ひょっとして怪異の仕業なのでは? と真っ先に疑ってしまうのは一種の職業病みたいなものなのだろう。
「おはよう、藤白音々」
「おはようございます。でも今はこんにちはです」
この調子だといつ「あなた、誰?」が飛び出してもおかしくないな、と音々は思った。でも自分の名前が何故か覚えられているのは素直に嬉しかった。
いや、覚えてもらえてる理由なんてもうとっくに気づいてるけど。――峰田くんに嫌われたくないから。
そう考えると寒気しかしてこない。
咲倉は挨拶を済ませると、何も言わずに音々の隣の席に座った。そしてきょとん、とした表情をしている。
「――何の用? 私を空き教室に呼び出して」
「……《《今日だけ》》私はあなたの先生です」
「……?」
「黒板を見て下さい。この固有名詞だけは覚えて帰ってもらいます」
黒板には――さっき音々が生きる意味を見つける傍ら書いていた、『海藤なぎり』の文字があった。ちなみに文字は縦に書かれている。
音々は着ている白衣を翻し――。
「音読です。『海藤なぎり』。リピートアフターミー?」
「――その白衣、どこから持ってきたの?」
「理科室から盗んできました。て、私のことはどうでもいいんです。リピートアフターミー?」
「理科室から盗んできました」
「じゃなくて?」
「私のことはどうでもいいんです」
「《《て、》》が抜けていますよ? あー! そうじゃないです。集中力が足りませんね」
「盗んでいいの?」
「…………」
音々は指揮棒を『海藤なぎり』の文字に強く打ちつけた。そして、声に出して『海藤なぎり』と言って下さい、と付け加えた。彼女はちょっぴり怒っている。めんどくさいことが嫌いな性質なのだ。あとせっかち。
「……暴力系ヒロイン」
「誰がです?」
「海藤にぎり」
w。恐らく、というか百パーセント音々に対して言ったのだろうが、嗤って受け流す。自分に言われたのを気づいているけど、返しが面白かったから追及する気になれなかった。
「その指揮棒、どこから――」
また新たな疑問が咲倉の頭に浮かぶ。
学校の備品を一生徒である音々がこんなふうに自由に使っていいはずがない。そして持っている時点で完全にアウトだ。咲倉は盗みを疑った。
「音楽室に誰もいなかったので、盗ってきちゃいました。あとで返します。えへへ」
「は?」
――誰もいなければ盗んでいいって考えなの?
この場に常識人は残念ながらいないようだ。
咲倉に『海藤なぎり』を覚えさせるのに10分以上掛かった。昼休みは大幅にオーバーしている。ダジャレではない。
音々は疲れたのか、窶れた顔をしている。
「授業遅れた責任取ってもらいます」
言いつつ、咲倉から目を逸らす。最後の一口であるサンドイッチを口に運ぶ。
すると――
「ああああああー!」
「うるさいです」
「そのサンドイッチ、私が食べようと思ってたのに……」
「人が買ったモノを盗るのはダメです、窃盗です」
「白衣と指揮棒盗んだ人がそれ言う??」
「…………」
都合が悪くなると黙るのも音々の癖だ。
ふとノートに挟まれた、99点のテスト用紙が咲倉の目に入った。
「100点じゃないんだ……」
「人間は完璧じゃないほうがいいんです」
「わざと点、外してる……?」
音々はファイルから何枚かのテスト用紙を取り出し――
「――見て下さい! この前の中間試験、全教科99点! 凄いですよね?」
「その微調整が凄いよ……そこまで出来るなら、100点目指そうよ」
「全教科100点取ったら、もう人間じゃありません。ロボットの域です」
「じゃあ学年1位の全教科100点取った、と噂のあの子はロボットなの?」
「あの子はロボットというより……憑かれてる……気がします」
「疲れてる?」
半分あやかしの咲倉には同音異義語のような曖昧な表現を汲み取るのがやや苦手らしい。
このまま誤解されたまま話が続く。
「私は憑かれてないから、99点なんです」
「わざとでしょ……99点に調節してるのは。藤白音々って意外と体力あるんだ……」
「体力……?」
ここで違和感に気づく。
「なんの話をしているんですか」
「だから。《《疲れてない》》って」
「そうじゃありません、『あやかしに憑かれてない』って意味です」
「藤白音々って憑かれてないんだ……」
「……はい」
この手の話題は狼火を思い出すから、イヤになる。
「――98点になったら、どうしてくれるんですか? 責任、取って下さいね?」
「1点なんて誤差」
「その《《1点》》が重要なんです」
――言うと音々は教室から出ていく。
サンドイッチの袋を教室に忘れたまま。
自分のクラスの教室に行くと授業中だった。仕方ない。空き教室に戻るか。
空き教室のドアを開けて音々は驚愕した。
なんと、《《咲倉がサンドイッチの袋を食べていた》》のである。
「ああああ! 待って、待って、待って」
彼女と雑談したり、関わっていくうちに彼女も徐々《じょじょ》に人間に近づいてきた、とさっき感動してたばかりなのに。
これじゃ台無しだ。
既に半分以上は咲倉の口の中に入っている状態。
今更止めても遅かった。
「――これは食べ物じゃないから!」
「だって、さっき音々、サンドイッチくれなかったから」
「だからって――!」
――サンドイッチの袋を食べ始めるのはおかしい。
前から疑問に思っていたけど、あやかしって食べ物――人間が食べられるモノ――以外を摂取するとバフ効果でも現れるのだろうか。
「サンドイッチを少しもあげなかったのはごめんなさい」
――これじゃ、私が悪いみたいじゃん。
サンドイッチなんて何処にでも売ってるし、高級品でもないのに。
自分で買ってくればいいだけの話。
それを私のせいにされるのはなんだか腑に落ちない。
「――藤白音々って敬語になったり、時にタメ口になったりするよね。なんで?」
「癖なので、気にしないで下さい。感情的になるとついつい砕けた口調になります」
「面白い」
「――嫌だったら、断ってもいいです。放課後、良ければ一緒に帰りませんか?」
「ん」
――誘ってしまった。本当に誘ってよかったのだろうか。勢いで言っちゃったけど。
なんか嫌な予感がするんですが……。
て、私、咲倉の近くに居ないほうがいいんじゃ……。
だって、咲倉の近くに居たらあいつが――寄ってくる。
あやかしじゃない。人間。
嫌な予感は放課後になって、見事的中してしまうのだった。
***
放課後。咲倉の教室に寄る藤白音々。
彼女は自分でもびっくりしていた。普段彼女は自分から誰かを誘う、なんてことはしない。
何が起きた? 狼火のことを考えて、寂しくなった?
分からない。
今回の誘いは別にあやかしが絡んでいるわけでもない。
なんとなく一緒に帰りたい、と思った。
今日の音々は少し、いつもと違うのかもしれない――。
昇降口で靴を履き替え、少し歩いた所で《《事件》》は起きた。
事件が起きるのが早すぎて咲倉とちょっともお喋りできてない。
「――音々《ねね》さん音々さん音々さん!!」
「ななななな!?」
ちなみに目の前の彼は『音々さん』と名前で呼んでいるが、一度も話したことないし、避けてるから顔もそんなに見ていない。
距離感が近すぎるのは咲倉の噂通りだった。
「音々さんのことが生まれる前から好きでした。俺と付き合って下さい!」
「やっと音々さんに会えた……!! 俺、今日死ぬかも」
あーもうやばい。
これはこう返すのが正解……だと思う。
「人違いじゃないですか?」
「それは無理があるって」
咲倉がすぐさまツッコむ。
「……コホン。気を取り直して。私のどこが好きなんですか?」
「あれは俺が生まれる前――つまり前世でのこと。時は江戸時代。音々さんは俺の婚約者だった――」
「長いので割愛して下さい。あと、作り話やめて下さい」
「作り話じゃない! じゃあ、今世での出来事を話すか」
「最初から今世での出来事が聞きたかったんですけどね……」
音々は呆れ通り越して諦めていた。
本当にこの男の相手する時間が人生の無駄に思えてくる。
「中学二年、秋。学校の帰り道。秋風が音々さんの《《チャームポイント》》の茶髪のツインテールを靡かせた……! 音々さんは瞬きする。刹那、音々さんの香りが俺の鼻腔をくすぐった。ドキドキした。心臓が破裂しそうなくらいに。――俺は気づいた」
「気づかないで」
冷たく、話を遮る音々。
てか、こいつの話が長すぎるのが悪い。
別に茶髪のツインテールは音々のチャームポイントでもなんでもないし。
でも、分かったことがある。
峰田怜人の恋のきっかけが音々への一目惚れだということ。適当なきっかけじゃないことに彼女は少しホッとした。
「――これは恋だと。音々さんと俺は結ばれるべきだと。結婚すべきだと」
「展開、早くないですか?」
「――だから、俺と付き合ってほしい。絶対、音々さんを幸せにする」
「無理。キモい。話長くてウザい。私はあなたのことが嫌い」
一拍置いて。
さすがに『嫌い』は言い過ぎた、と彼女が気づいて反省していると――。
「音々さんに罵倒された……! 一度は罵倒、されてみたかったんだよな。念願が叶った……! 俺、今日死ぬかも」
「どうしたらいいの、これ」
――さっきから空気と化している隣の友人が気になる。
咲倉の表情は窺えないが、視線を下にして俯いている。
ショックなんだよ。自分の好きな人の好意が自分じゃない人に向いてるから。
困っているのは音々で一番居心地悪そうなのは咲倉だと思う。
二人は早くこの時間が終わってほしい、と願っている。
「――そういえば、咲倉からも話あるんですよね」
「あっ、はい…………」
「なに? 咲倉さん」
「……あ、あの。私、実は峰田くんのことが好きなんです。話が長い所も憎めない変態な所もウザい所も喧しい所も。恐らく藤白音々の愛より、私の愛のほうが強いと思います! だから、不束者の私ですが、末永くよろしくお願いします」
(ツッコミどころが多すぎる……)
憎めない変態、ってなに!?
普通、好きな人に告白する時って相手の良い所を挙げるはずなのに全部悪い所挙げてるよね?
しかも最後のセリフ、お付き合いすっ飛ばして結婚してない?
新郎新婦の誓いの言葉みたいになってて笑うんだけど。
それと峰田怜人へ注ぐ愛など微塵もないです、はい。
「ごめんなさい。音々さん一筋なんで」
音々は思う。
――なんで男女のフラれる現場を間近で見なくちゃいけないの? と。
しかも自分も絡んでるときた。
めんどダルい……。
音々はこういうめんどくさい三角関係に巻き込まれた経験はこれが初めてだった。彼女はあまりモテない。あやかしにしか好かれない。なのに、なんで……!? と一番びっくりしているのは音々自身。
こいつあやかしじゃなかろうか。
だけど、目の前の男からは下心も妖気も全く感じられない。
「それじゃあ、連絡先だけでも交換しない?」
峰田怜人はダメ元でそう言った。
冷たい音々のことだ。
「無理です、調子乗らないでくれません? キモいです」とか言われるのかと思っていた。
――まさか、承諾されるとは。
「――いいですよ?」
「それって、付き合ってくれるってこと……!?」
「頭、大丈夫?」
「音々さんに罵倒された……! 俺、心臓発作で死なない??」
そうだ、こいつに向かって暴言吐いちゃいけないんだった。生粋のドMとはまさにこの人のこと。今後、気をつけなければ。
「いま、友達増やそうキャンペーン中ですので」
「なにそれ」
「LIMOユーザー全員対象、友だち登録を5人すれば15コイン必ず貰える、というキャンペーンのことです」
「つまり私たちはキャンペーンの為に利用されてた、ってこと?」
「それは言わないお約束です」
やはり彼女に人の心などなかった。純粋に彼女が友達欲しい、と思うのは限りなくゼロに近いのだ。
――連絡先交換をちゃちゃっと済ませた。
峰田怜人が最初に目をつけたのは音々のアイコン。
桔梗が二輪、花瓶に生けられている写真。
音々が所持している桔梗の花ではない。所詮、ネットの拾い画だ。
「――桔梗、好きなのか?」
「その理由を知れば、あなたは間違いなく幻滅します。後悔してもいいんですか」
「好きかどうか聞いただけでこんなに脅迫されることってある?」
「乙女の秘密ってやつだよ」
咲倉が口を挟む。
「咲倉さんは知ってるのか? 音々さんのアイコンが『桔梗』な理由」
「知らない」
ガクッとくずおれる峰田怜人。
「と、と、と!」
「ととと?」
「朝と夜、必ず『おはよう』と『おやすみ』のスタンプ、送るからな!」
「ご自由にどうぞ。私はそれを無視します」
「峰田くん。私ね、音々に未読無視45件されてるよ? 気をつけてね」
まさかの既読無視ならぬ未読無視。
音々は重要なメッセージ以外あまり目を通さない。どうでもいいメッセージはたまーに覗いて、軽く返信するくらいだ。
と考えると、峰田怜人のメッセージは一週間に一回返事が返ってきたら、ラッキーと思っておいたほうがいいのかもしれない。
「これって連絡先交換した意味ある?」
たかがキャンペーン。
手を振り、それぞれの帰路につく。
藤白音々の口角は僅かに吊り上がっていた。




