店内の話後半戦。弁護士先生、先のキャリアで芸人もありですよ(笑)こたけ正義感さんの話とキャリアの複線化
博子は、グラスのドリンクを飲んでから、少しだけ身を乗り出した。
「だから、そういう意味ではですよ。」
弁護士先生が、グラスを持ったままこちらを見る。
「吉本芸人っていうのも、先生の先のキャリアとして、ありだと思うんですよ。」
先生が、思わず笑う。
「急に芸人ですか。」
「急に芸人です。」
博子も笑いながら続ける。
「いや、でも、いるじゃないですか。こたけ正義感さん。」
「ああ、こたけさんね。」
「そうそうそう。あの人のR-1とかでやる、法律の中のことに突っ込む
フリップネタ。あれ、めっちゃ面白いじゃないですか。」
先生は、少し頷く。
「面白いですね。」
「で、あれって、ただ法律ネタをやってるだけじゃなくて、
弁護士の仕事が、ちゃんと下に降りてきてくれる感じがするんですよ。」
「下に降りてくる。」
「はい。なんか、弁護士って聞くと、普通の人からしたらやっぱり遠いじゃないですか。
怖いし、高いし、賢すぎるし、何話したらいいかわからんし。でも、こたけさんみたいに
笑いにしてくれると、“あ、こういうこと考えてる世界なんや”って、ちょっと入り口が見える。」
先生は、その言い方に、少し興味深そうに頷いた。
「なるほど。」
「しかも、聞いてて不快にならないんですよね。法律をネタにしてるけど、別に人を
見下してる感じでもないし。で、ちゃんと弁護士としての仕事もしてる。そうなると、
営業で顔を売るっていう意味でも強いし、法律相談とかで顔を売るっていう意味でも、
抜群の影響力ちゃいます?」
先生は、そこで少し笑った。
「そこまで考えて見てるんですか。」
「見てますよ。」
博子は、わりと真顔で頷く。
「しかもなんなら、吉本芸人のちょっとしたトラブルとか。いうたら、気軽に聞いて、
軽く返してあげたりしたら、なんか知らんけど、人間関係もマイルドになる気がするんですよ。」
「マイルド。」
「そう。なんか、“先生に聞いたら一回整理してくれる”みたいな。
で、そこから本格的な案件になるかどうかは別として、入り口の入り口みたいな感じで、
ええ距離感の弁護士になれるというか。」
先生は、そのイメージを頭の中で転がしているようやった。
博子は、そのまま少し熱を入れる。
「めちゃめちゃ距離の近い弁護士、っていう感じです。しかも、ただ親しみやすいだけじゃなくて、
“この人、本物やけど、ちゃんと笑わせてもくれる”ってなったら、やっぱり人って話しかけやすい
じゃないですか。」
「確かに、それはそうですね。」
先生は、そこで素直に言った。
「でも、あれって結局、超高学歴の人が漫才やるとか、ネタやるとかって、何をわかってるかって
言ったら、コミュニケーションを取って、人間関係を作る一番の肝が“笑い”やってこと
なんでしょうね。」
「それです、それ。」
博子は、すぐに頷く。
「笑うって、結構すごいじゃないですか。」
「うん。」
「笑った瞬間に、ヒエラルキーちょっと崩れるし、“先生”っていう距離感も、ちょっと縮まる。
でも、ただ崩すだけじゃなくて、その後ろにちゃんと実力がある。
それって、営業の入口としても強いし、人間関係の入口としてもめっちゃ強いですよね。」
先生は、そのまま少し考えてから、グラスでドリンクを飲んだ。
「こたけさんなんかは、もしかしたら、その辺も中では考えてるかもしれないですね。」
「絶対考えてると思います。」
「どうでしょうね。」
「いや、考えてないにしても、結果としてそうなってるのがすごい。」
そこは、博子の本音やった。
戦略かどうかはともかく、“何者かでありながら、もう一つ別の顔を持つ”
というのは、たぶん今の時代、すごく強い。
「だから別に。」
博子は、そこで少しだけトーンを落とした。
「先生に芸人になれって言いたいわけじゃないんですよ。」
先生が笑う。
「よかった。」
「そこじゃないです。」
「はいはい。」
「でも、何者かになるために、別の表現を持つっていうのは、一つあると思うんです。」
先生は、その言葉を静かに聞いている。博子は、少しずつ自分の感覚を言葉にしていく。
「別にそれ、お笑いじゃなくてもいいんですよ。音楽活動でもいいし。
小説でもいいし。コラムでもいいし。YouTubeでもいいし。なんでもいいんですけど。」
「うん。」
「本業だけやと、どうしても“その肩書きの中の人”で終わるじゃないですか。
でも、別の何かを持ってると、“この人って、こういう面もあるんや”ってなって、
会話の入口が増えるし、人間的な厚みが出る。」
「たしかに。」
「で、それって最終的に、本業にも返ってくると思うんですよ。芸人活動してるから弁護士として
弱くなるんじゃなくて、人と話す力、伝える力、場を読む力が上がるから、むしろ強くなるみたいな。」
先生は、そのへんでかなり納得してる顔をしていた。
「それは、わかりますね。」
「先生みたいな人って、普通に弁護士やってるだけでもう十分すごいんですよ。
でも、そこに“別の何か”が乗ると、たぶんもっとおもしろくなる。」
「おもしろく、か。」
「そう。しかも、自分にとってもしんどくないと思うんですよ。
本業だけ、本業だけ、ってなると、やっぱりどっかで重たくなるじゃないですか。
でも、違う回路が一個あると、そこが息抜きにもなるし、逆に本業に返ってくる。」
先生は、そこで少し笑って、ヒロコを見た。
「博子さん、自分の話してます?」
博子も笑う。
「まあ、多少は。」
「でしょうね。」
「でも、ほんまにそう思うんです。」
月曜日の夜のキャバクラは、そこで少し静かになった。
弁護士という肩書き。吉本芸人という別軸。笑いというコミュニケーション。
そして、“何者かになるために別の何かを持つ”という話。
それは、先生の話でもあり、博子自身の話でもあった。
博子は、少しだけ照れながら最後に言った。
「だから、別に芸人になれっていうことじゃなくて。先生が何か一個、別の軸を持ったら、
もっと面白くなる気がするんですよ。」
先生は、そこで柔らかく笑った。
「それは、ちょっと考えてみます。」
その返事を聞いて、博子もまた笑った。
店の中の空気はやわらかくて、でも話の中身は、ちゃんとおもしろかった。
月曜日の夜としては、かなりええ流れやった。




