オズボーン侯爵家によるメイド指南講座
ドットーレの受け継いだオズボーン侯爵家は王城にほど近い貴族街に屋敷を構えている。オズボーン侯爵家の起こりは魔術師として名を挙げた一人の男が爵位を戴いたことに端を発しており、領地は持っておれど代々の当主が領地経営に顔を出したことはあまりない。そこは領地経営に適任な親族や官吏に任せるのが常となっていて、当主は王都に常在して魔術機関での執務や王宮で政治に関わることが多かった。
オズボーン侯爵家の使用人たちは数こそ多くないものの常にドットーレに忠実で賢く、一を言えば十を理解してくれる。
なのでドットーレが筆頭執事に相談をすれば、執事はただただ静かに首を縦に振るかあるいは有益な意見を述べてくるのみであった。クレアの件に関してもそうだ。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「やあ、帰った。この子は辺境に赴いた際に拾って引き受けた娘だ」
戻ってくるなりドットーレは執事にこんな突拍子も無い話題を切り出した。初老の執事はパチパチと目を瞬かせると、片眼鏡をちょっと上げ、「左様でございますか」と言う。
「クレアといってな。戦争が原因で両親がおらず、困っているようだったので引き受けた。器量が良いから城に下働きに出そうと思うんだが、色々と教えてやってくれないか」
「かしこまりました」
唐突な無茶振りにも丁寧なお辞儀と二つ返事で了承する様はさすが執事だ。
「では、早速?」
「いや……とりあえずクレアに部屋を案内してあげてほしい。客室を一室かしてやってくれ」
三度のかしこまりましたの後、先立って歩き出した一人のメイドの後をクレアは荷物を持ってついていく。荷物といっても着替えが数着入っているだけなので非常に少ない。
「こちらの部屋を自由にお使いください」
「ありがとうございます」
言われて案内された部屋はクレアの自室の三倍は広く、敷かれたカーペットはふかふかで天蓋付きのベッドが置かれている。部屋の中央に配置されているテーブルに持参した鞄を置くと、扉の横に立っているメイドを振り返る。
「ドットーレさんのところへ戻っても良いですか?」
「侯爵様はおそらく書斎にいるかと思います。お呼びいたしますので、先にサロンにてお待ちくださいませ」
言って再び案内のもと、クレアはサロンなる場所へと足を踏み入れる。聞けばそこは食事の合間に紅茶やお茶菓子を嗜む場所なのだそうだ。陽光に照らされたサロンは居心地の良さそうなソファセットが置いており、品のいい調度品や絵画が置かれている。
クレアがそこに出された紅茶を飲みつつ座ってしばらく待っていると、ドットーレが部屋へと入ってくる。
「待たせたか、すまないな」
「いいえ。紅茶頂いていました、美味しいですねこのミルクティー。いつも飲んでいるのより優しい味わいです」
「ああ、イシルんとこで飲むのは随分刺激的な味がするからな」
「お師匠様、あれ好きなんですよ」
「初めて飲んだときには舌が痺れた」
「慣れるとそのピリピリした味が癖になるんです」
「あれが紅茶と言われたときには衝撃を受けたぜ。俺の中の紅茶の概念が崩れた」
「そんなに? 普通に売られているし、飲んでる人も多いですけど……」
首を傾げつつ、砂糖が入ったミルクティーをこくり。まろやかでホッとするような味わいの紅茶だ。確かにこれと比べるとまるで違う飲み物だが、家で飲んでいるのはそれはそれで美味しいからいいじゃないか。
ドットーレも今しがたメイドが持って来た紅茶をひとくち口に含むと(見た目とは裏腹にその所作は優雅だった)、話を変える。
「よし、それじゃあクレアちゃん。君にはうちにしばらく滞在してもらいつつ、メイドとしてのノウハウを覚えてもらう。貴族の常識とか所作とか言葉遣いとかそういうものだな」
「はい」
「期間は二週間を予定している」
二週間。その間にクレアは色々なことを身につけなければならない。何せ国境で師匠と二人暮らしをしていた身だから、知識に偏りがありすぎた。ロレンヌ側のことならば多少は知っていてもテオドライトのことに関しては全く何も知らない。
二国は隣り合ってはいるけれども相入れることがなく、かたや騎士の国、かたや魔術大国だ。しかも潜入場所が王宮とくればそこはクレアにとって未知の場所だった。
立ち上がったクレアは拳を握りしめ、勢い込んだ。
「のんびりしていられませんっ、早速私にメイドとしてのイロハを教えてください!」
「おぉ……やる気満々だな、疲れていないか心配していたんだが」
「疲れるも何も、ただ馬車に乗って移動していただけじゃないですか。そんなんで疲れていたら夜通しの行軍も完徹での魔物討伐もできませんよ」
「クレアちゃんはそんなことしていたのか」
「魔術師たるもの、どんなコンディションだろうと行動できなければならないと教え込まれています」
「あいつはこんな可愛い子に一体何を教えているんだ……」
「お師匠様は絶対的存在です。お師匠様が言うなら、私はメイドにでも悪魔にでもなります」
冗談でもなんでもない本心からの言葉だ。師匠が命じるならクレアは悪魔にだってなるだろう。真剣な眼差しのクレアにドットーレは頬をひくつかせ、「まあ、落ち着いて」と言ってたしなめた。
「じゃあ早速今日から取り組もうか」
「はいっ。見ていてください、私、完璧に覚えてみせますから!」
「ああいや、そんなに無理しなくてもいいからな。そもそもの設定がアレだし。疲れたら言ってくれて構わないし、わからないことがあったらいつでも聞いてくれ。俺は仕事があるから屋敷にいる時間はそう長くないが……家の者が何かと融通してくれるはずだ」
「わかりました」
しかしドットーレの心配は杞憂に終わり、クレアは貴族の慣習だろうが社交界のマナーだろうが歴史問題だろうが聞いたことはたったの一度で覚えた。ドットーレの屋敷で働く人々はクレアの超人ぶりに舌を巻き、唸りを上げた。この二週間のうちに覚えられることは全て覚え、そしていよいよ城へと働きに出ることになる。




