少年と黒人形と私の狂う感覚?
「ゴート!?お届けよ!何時もの!」
轟くような叫びと共にドスドスと階段を駆け上がってくる音。
「ちょっとゴート!起きてるの!?」
五月蝿い事この上ない。
バタン!
「まったく、アンタは何やっとんのやら…聞こえなかったの?早く神父さんの所に行きなさい!」
「わかったっての!」
いつも通りガミガミと煩い母さんから薬箱を受け取り俺は店を出る。
「ったく、毎日毎日薬漬けで何が楽しいんだってんだよ…」
俺の名はゴート、今はしがない薬屋の一人息子だが、いつまでもこんなしけた店で油を売る訳では無い。
「あ〜あ、早く十六になりたいぜ…」
そして商会に入って実家から出る。俺はその日を待ち望んでいた。
「俺は商人になるんだ、薬屋なんざやってられっかよ…」
愚痴を呟きながら歩く事十数分、カナス診療所と書かれた看板の下首をひねる。
「大門が閉まってる…どっか出掛けてんのか?」
此処は九時に大門を開くのだがどうやら今日は違ったようだ。
「まあ小門から入るし良いか。」
どうせ何時ももそっちから入るし、鍵さえ掛かってなければ薬を置いていくだけだ。
「鍵は…掛かってないのか。不用心だぜあの神父さんも。」
カナス神父、ここら一帯では唯一の医者であり魔偶師でもある。人も良く彼の世話になった人は多いにいるはずだ。
“俺から言わせりゃ不気味な人だけどな…”
明確には言い切れない、しかし何処か薄ら漂う彼の異質な気配を俺は子供の頃から嫌っていた。その聖堂に纏わる噂と、己の根拠はない只の感覚だが。
そして俺は廊下に入り薬置き場を目指す。神父が診療所に使っている部屋の隣だ。
「さて、さっさと…うん?」
そして俺は奇妙な物を見た。
診療部屋の扉に手をかけた瞬間、目の端に見えた地下室の階段の奥に続く黒い小指ほどの糸を。
「なんだこれ…」
そして身を屈めそれを手に取ろうとした瞬間、目の前の地面に人型の影ができ、俺の後ろから声が降りかかった。
「ソコノキミ…」
まるで泥が泡立つような音を交えた声に鳥肌が立つ。
「アア、キミ、キョウハ…」
振り向いた先は、黒々とした平坦な顔面に、目と口を意匠したような窪みがあるだけの造物であった。
「………!」
声にならない悲鳴をあげた俺の意識はそこで途絶える。
「アレ?ナンデ…」
そして、今際の時の様な朦朧の中薄らと見えた黒い人型は、何故か妙に人間味溢れる仕草で困惑した様に頭を掻いていた。
・・・・・・
「ゔぁ〜…頭が破裂する…」
パタンとネクロノミコンを閉じ枕に顔を埋め、そして恐らく湯気でも出てるんじゃないかと言うぐらいに熱した頭を冷やします。
「なんなんですかね…この本は全く…」
全ての元凶は間違いなくこいつです。読んで分かりましたがこれを本と判定するのがもう間違いでした。
読み進めるごとに、耳元で延々と呪詛の様な不明瞭な羽音を囁かれたり、または強烈な刺激臭に襲われたり、更に時々理解すらできない情景が脳裏を過ったり。まったくもって散々な読書体験です。
「一番酷いのは見える物全部裏表がひっくり返った時ですかね…」
その時だけは流石に自分の体を見る勇気がありませんでした。近くに生命体が居なかった事が幸いして私の理性は無事ですが。
「そして肝心の解読といえば…」
ネクロノミコン F(EX)3.6%
「ああ、めげそう…」
読み終わるのが先か、その前に私の脳に瞳ができるのが先か、前世で遊んだゲームを微妙に思い出しながら私は嘆息します。
「そういえばこれ読むときにたまに前世の記憶が蘇るんですよね…」
やった事あるゲームとか、行ったことがある場所とか、そういう思い出せなかった事柄が急にフラッシュバックする事があります。
「まあ一応収穫と言えば収穫ですね、後は…」
並列して行っていた触手操作ですがこっちもまあまあ収穫がありました。
といっても本来の家宅捜査では無く己のスキルについてですが、簡単に言うと操作性能が上がって遠隔でもそれなりの複雑な操作や造形を作れるようになりました。といっても精々マネキン程度の人型が限度ですが。
「それと何故か音が出せるようになりましたね…自分で言うのもなんですけど恐ろしい不気味な声です…」
黒い泥状の物体がどう発声しているのかは謎ですが、何処か泡立ったような無機質な音を出せるようになりました。
「まあいつか携帯電話っぽく使えるかもしれません、素直に喜んでおきましょう…それにしてももうすぐ正午ですが、そろそろ来るんですかね…ゴートとか言いましたか。」
と思った矢先に泥から見える扉から来訪者、箱を持つ茶髪の少年が扉を開け入ってきます。見たところ精々十歳程度でしょうか。
そして私は何をトチ狂ったのか、ある案を思いつきます。
「ふむ、出て行くのも面倒ですし…さっき作った感じの人形で声かけてみますか。」
私は泥を凝縮して人形を作り、ついでに感覚共有も使ってみます。少年は後ろの異変を感じ無いまま診療部屋に入ろうとしていきます。
そして恐らく地下に続く泥に気づいたのでしょうか、身を屈め触ろうとしようとする彼。
「ソコノキミ…」
思えば私の感覚も些か常人から逸脱してしまったのでしょう。
「アア、キミ、キョウハ…」
普通に考えて急に後ろから全身真っ黒な化物がぬちゃぬちゃと音を立て話しかけてくればまあこの反応も頷けるはずです。
「……!」
バタリと倒れる少年ことゴート君を見下ろしながら、“私”は思わず頭を搔きます。
「ヤッチマッタ…」
・・・・・・
「うん…」
黒い、黒い人がまた俺を追いかけて来る。
「う…やめろ…」
水に塗れた其奴らは俺を引き摺り下ろして行く。
「う…やめ…うわああ!?」
そして顔まで黒い水溜りに沈められ、窒息を感じながら俺は目を覚ました。
「此処は…」
見慣れない部屋だ、そもそも俺は…
“そうだ…薬…”
慌てて飛び起き薬箱を探そうとする俺は漸くもう一人の同室者に気づいた。
椅子に座り大きな黒い本を読む彼女は、俺に気づいたように顔を上げ、こう言った。
「かすでんたきお、ああ?」
「は?…」
意味不明な単語の羅列を。
・・・・・・
「りれたきはられか…」
取り敢えず気を失った少年を部屋に運送して寝かせてから私は再びネクロノミコンの研究に勤しんでいました。
と言ってもまあ読み続けるだけですが。
反転された言葉で文字の羅列を読みながら私は少年が起きるのを待ちます。どうやら酷く魘されているようですが。
「うん…」
そして更に一刻ほど経った後、漸く呻きながら目を覚ますゴート少年。
「此処は…?」
飛び起きる少年と目が合います。
まあ取り敢えずなんか言っときましょう。
「かすでんたきお、ああ?」
そしてキョトンとする少年と私の間に気不味い沈黙が横たわります。
“…やばいです、この本のせいで言ってること逆でした。”
急いでネクロノミコンを閉じもう一度やり直します。
「起きたんですね、気分はどうですか?」
「は?いや大丈夫…ってそうじゃなくて、お前は誰…俺の薬はどこだよ?」
質問がが纏まらない様に次々と問いかけて来る少年、まあ同じ立場だったら私もパニックでしょうけど。
「落ち着いてください…ゴート君ですよね?私はカナス神父に居候させてもらっている者で、貴方は廊下に倒れてましたよ。」
すると彼は困惑した様に髪を掻いた後、急に顔を青ざめさせました。
“ああ、思い出しちゃったみたいですね…”
私としては出来るだけ思い出して欲しくなかったのです。まあどうせ知らぬ存ぜぬで通すつもりなので問題ありませんが。
「ああ、俺がゴートだ。今日は薬を届けに来たんだが…なんか知らねえけど倒れちまったっぽいな、助けてくれてあんがとよ。」
「いえいえ、今日は神父は出掛けてるので私に貴方が来たらその旨を伝えてくれと。薬は私が診療所に置いてきたので構わなくていいですよ。」
“何も聞いてきませんね…幻覚で終わらせるつもりでしょうか。”
まあタチの悪い白昼夢程度で終わってくれるならそれに越した事はありません。
「そんじゃあ、俺は帰るぜ。介抱してくれてありがとさん。」
そしてベッドを飛び降り去って行く少年。
「…はあ、まあ取り敢えずこれでいいでしょう。」
そして私はネクロノミコンの解読作業に戻ります。
・・・・・・
「何だったんだあれは…後あのチビも…」
俺は先程の奇妙な出来事を反芻する。
「あれは絶対幻覚じゃねえ…やっぱりあの神父の所はなんかおかしかったんだ。」
元から巷の噂で、あの聖堂付近では奇妙な事が起こると実しやかに囁かれていたのだ。
「明日学校であいつらに話してやる、驚くだろうな…」
明日の学友達の反応を想像しながら、俺は早足で家路に着く。




