第8話 早くなんとかしたい相手
(ち、沈黙が重い……)
だけど彼女は、僕が買ってきたあの店の人気商品だとかいうローストビーフサンドを嬉しそうにパクついていた。いつもの仮面の笑顔も外したままで、なんだかくつろいでいるようにすら見える。
どうやら、気づまりに感じているのは僕だけのようだった。
(くっ、なんたる不公平!)
その苛立ちをぶつけるように僕は重い口を無理に開く。
「こ、こんなところで僕なんかと食べてても大丈夫なのかな? ほらっ、いつも一緒に食べてる女の子とかいるはずだろ。彼女たちが気を悪くするんじゃないかな」
もしくは男を誘って勘違いさせ、その毒牙にからめとる準備をしなくてもいいのだろうか。
「こんなところとはなによ。これでも部室の一部なのよ」
ジロリと彼女に睨まれた。
だがすぐに彼女は肩を落とす。
「とはいえ幽霊部員ばかりで、ここでまともに絵を描いてるのは私くらいしかいないんだけどね」
(なるほど、だからいつも僕をこの部屋に呼び出すのか)
「それとね、いっつも女の子同士で腹の探り合いや牽制ばかりのランチっていうのも気が滅入るもんなのよ。だから今日は、ちょっと絵を描き進めたいからって言って抜けてきちゃった」
彼女は浮かない顔でそう言ったが、僕を見ると苦笑した。
「まあ、ぼっちのあんたには分からない悩みよ」
(大きなお世話だ!)
おまけにそれだと、僕相手なら一切の気遣いや配慮が不要であるかのように聞こえる。
「ああそれと。誰かがこの部屋に来たら、あんたは入部希望の見学者ってことにするからよろしくね」
「は?」
「は?じゃないわよ。そうしないと勘違いされちゃうじゃない」
「勘、違い?」
「そうよ。あんたみたいな根暗そうな奴を彼氏だと勘違いされたら最悪でしょ」
(こっちこそ最悪なんだが!?)
すんでのところで魂の叫びが口から飛び出すのを僕は我慢した。
代わりに口にしたのは、探りともいえる確認だった。
「そ、それは君の今の彼氏に浮気を疑われると、色々と動きにくくなるから、かな?」
「違うわよ! か、彼氏なんかいるわけないでしょ!?」
「なるほど。今はいない、という設定にしているわけか。分かったよ、そういうつもりで僕は君に接すればいいんだね」
「せ、設定って何? しかも『今の』とか言ってたけど……。それだとまるで私が男をとっかえひっかえして遊んでるように聞こえるのは気のせいかしら」
せっかく僕が彼女の意向を尊重しようというのに、なぜか彼女の顔はこわばっていた。
おまけにこの期に及んでまだ清純派などという、失笑もののカバーストーリーで僕に接しようというのが少しイラつく。
「だから、表向きはいないってことにしておかないと色々と都合が悪いんだろ? ちゃんと分かっ…」
「私をビッチ扱いしないで!!」
悲鳴のように叫ぶと、彼女はハーッと大きくため息をついた。
「どうしてそんなに私に彼氏がいるってことにしたいわけ?」
「いや、どうしても何も。今更そんなことを隠し立てされても僕の方が困惑するんだが」
きょとんとする僕に、彼女は「駄目だこいつ……。早くなんとかしないと……」とでも言いたげな顔をした。
「仕方ないわね……。一度しか言わないから、よく聞きなさい」
なぜか疲れたような声で彼女は僕にそう言う。
「そりゃね、私に告白してくる人はたくさんいるわよ? いるけどね、でもみんな私の見てくれや上辺の上品さに騙さ……か、勘違いして告白してくるだけで。誰も本当の私のことなんて見ちゃいないのよ」
何か大事なところをシレッと言い直した気がしたが、僕にとっては分かり切ったことなのでとりあえずスルーする。
「そんな私の虚像しか……コホン。一面しか見ずにのぼせ上っているような連中を、私が本気で相手にできるわけないでしょ」
虚像と言い切ったような気もするが、今はそれも無視だ。
(ふーむ。だから今の男連中とは肉体関係だけで本当の恋人と呼べる間柄の人間はいない、というわけか。もしそれが本当だとすると、恋人に浮気がばれてもいいのかと脅すような手は使えないということだな)
「あんた……、まだ失礼なこと考えてるでしょ」
ジト目で睨まれた僕はブンブンと首を振った。
「ま、まあいいわ。そんなことより、あんたこそどうなのよ」
「僕?」
「そうよ、あんたよあんた。あんただって人のこと言えないじゃない」
「な、何を言ってるのかな。小湊さん」
思わぬ攻守の逆転に僕が戸惑っていると、彼女は得意げな顔をした。
「聞いてるわよ。成績はずっと平均点なんですってね。中学でも平均点だったのに、どうしていきなりこの学園に入れたのかって少し話題になってたみたいよ」
(しまった……。進学校の方がバカ騒ぎをする連中が少なくて静かだろうと思ってここを受験したのに。まさか合格したこと自体が裏目に出ていたとは)
「そのボサボサの髪にダサい黒縁メガネだってわざとでしょ。そもそもそのメガネ、ちょっと変じゃない? ごついフレームの割に顔の輪郭がほとんど歪んで…」
彼女はそこで急に押し黙った。そして思いがけない指摘に動揺したままの僕に手を伸ばすと、ヒョイッとメガネを取り上げてしまう。
「あっ」
「やっぱり……。全然度が入ってないじゃない、これ」
「うっ。い、いいだろ別に。それで誰かを騙そうとしてるわけじゃないんだから」
だけど、そんな僕の反論を彼女は聞いていないようだった。彼女は驚いたようにジッと僕の顔を見つめる。
「ど、どうしたのかな。小湊さん」
ぎこちなくたずねると、彼女はハッとしたように僕から顔をそらした。
「そうだわ。こいつ、確かにこんな顔してた。まるで私の本性を見透かすような、そんな鋭い目を」
何か失礼なことをつぶやいているのは分かったが、僕にはそんなことよりも優先すべきことがあった。
「えっ、ちょ、泥棒!」
「泥棒はそっちだ!!」
僕は何かに気を取られている彼女からサッとメガネを取り返した。そしてそれを掛けることで、ようやく人心地ついた。




