第4話 孔明の罠
「ど、どうしたの!?」
一人の女生徒がそう叫びながら美術準備室の戸を乱暴に開けた。
その時の僕は、胸元を押さえてうずくまる小湊玲奈に対して「い、今のはわざとじゃ…」などと言いながらその手を伸ばしたところだった。
それは何も知らない人間が見たら、あらぬ誤解を招きかねない危険な構図だったかもしれない。
それを見て果たして何を思ったのか、女生徒は顔を引きつらせながら怒鳴った。
「あんた玲奈に何しようとしてんのよ!」
僕を怖い顔で睨みながらズカズカと部屋の中に入ってくる。
「ち、違っ、これは…」
うろたえる僕を乱暴に突き飛ばすと、女生徒は小湊玲奈の横にしゃがんで心配そうに彼女の背中に手を回す。
「玲奈、大丈夫!? 私が来たからもう安心だよ。こんな奴には指一本触れさせないんだから」
それは、何かを完全に誤解したセリフだった。
「いや、だからこれは違うんだ! 僕はただこの女を…」
だけど、僕の必死の反論は女生徒のピシャリとした声に掻き消される。
「何が違うっていうのよ! 玲奈に帰りに買い物を付き合ってもらおうと思って遊びに来てみれば……」
僕は女生徒から据わった目で睨まれた。
「あんた、確かうちのクラスの人間よね。玲奈にこんなことして、タダで済むと思ってんの?」
もはや完全に犯罪者扱いだった。それも質が悪いことに、現場を押さえられた現行犯の形になってしまっている。
(さ、最悪だ……)
こうなってはもう、事態を打開する方法は一つしかない。
僕は何を言っても無駄そうな女生徒から、その横でしゃがみ込んでいる小湊玲奈へと目をやった。
彼女に頼るのはしゃくだが、僕の無実を証言できるのはもうこの女しかいない。
それに、もとはと言えば転びそうだった彼女を助けて僕はこんな厄介事に巻き込まれたのだ。ならばこのお騒がせな友人の尻拭いくらいはしてもらわねばなるまい。
僕からの目くばせに小湊玲奈がハッとした顔をする。
どうやらようやく正気に戻ったようだ。慌ててかたわらの女生徒に声を掛けようとする。
「ち、違うのよ。これは私を助け…」
しかし何かを言い始めた彼女の声は、僕を非難する女生徒の興奮した声にまたもや掻き消される。
「おおかた自己紹介の時にでも玲奈の魅力にやられちゃったんでしょ! それでここまで押し掛けて玲奈を襲おうだなんて……。このストーカーの性犯罪者!」
その言葉に、僕は頭をガツンと殴られたようなショックを受けた。
これまでの一方的な決めつけもさることながら、この悪魔のような女の見せかけに僕がコロリと騙され、のぼせ上ってつきまとい、あげく理性まで失って襲い掛かったのだと思われていることが屈辱だった。
(それじゃあ僕はクラスの愚民以下じゃないか!)
気が付くと僕は無意識のうちにこう反論していた。
「誰がこんなおぞましい女なんか襲うものか! 頼まれたって絶対ごめんだね。僕にだって相手を選ぶ権利くらいはあるんだ。バカも休み休み言って欲しいな!」
「バッ、バカなこと言ってるのはそっちでしょ! あんたみたいな根暗そうなモブキャラが学園のアイドルの玲奈を襲おうだなんて百年早いのよ! 鏡を見て顔を洗って出直してきなさいよ!!」
「こんな下種な女。百年と言わず、永遠に無関係でいたかったさ。それに鏡なんていくら見ても無駄だよ。この女の醜悪な本性を映し出せない鏡なんて無価値だ!」
「な、何おかしなことばかり言ってるのよ! あんた自分が犯罪者だって分かってんの!? 現行犯のくせにさっさと罪を認めなさいよね!」
僕らがそう感情的に言い争っていると、不意に女生徒の肩の上にポンと手が置かれた。
「ありがとう、酒井さん。でも……、もういいの」
「れ、玲奈」
酒井と呼ばれた女生徒が振り向いたその先には、ニッコリと微笑む小湊玲奈が立っていた。
「な、何がいいっていうの? こいつ、玲奈を襲ったっていうのにまったく反省しないどころかおかしなことばっか言って話を誤魔化そうとすんのよ!?」
気色ばむ女生徒に、彼女はゆっくりと首を振ってみせる。
「ううん、いいの。だって、襲われたといっても未遂だったんだもの。
それに日下部君は、自分が今どういう状況に置かれて、何を口走って私の感情を逆なでしたのかをもうちゃんと理解できるはずだから。そうよね、日下部君」
そう言う彼女の目は、まったく笑っていなかった。
そして僕は、彼女が僕の暴行未遂容疑を否定していないことに愕然とした。
それどころか今の彼女の発言は、僕が犯罪者のレッテルを貼られつつあるにも関わらず、うかつにも本音を口走って裁判官の心証を著しく損ねてしまったことを示唆していた。
つまり僕は、自らの死刑執行書類にサインをしたも同然だった。
「ほら、日下部君もようやく自分のしたことに気付いたみたい。だからもう、大丈夫よ」
彼女の笑みが妖しいものに変わるのが分かった。
「それにもしこのことが公になったりなんかしたら、日下部君はきっと退学になってしまうもの。この場はひとまず、私に免じて黙っておいてもらえないかな」
「人が良すぎるよ~玲奈。あんたこいつに襲われかけたんじゃん。そんな奴の心配なんかしてどうすんのよ」
「でも未遂だったんだし。不用意に二人っきりになったりした私も変な期待をもたせちゃったかなって、少し反省してるの。だから、ね?」
彼女の説得に、酒井というその女生徒はしぶしぶといった感じでうなずいた。
「分かった。でも訴えるつもりになったら、いつでも私に言ってね。私、いくらでも先生たちに証言するから」
「ええ、わかったわ。もしそんなことになったら、その時はよろしくね。私、頼りにしてるから」
「うん」
酷い冤罪劇が、僕の目の前で勝手に進行していた。僕はそれを、呆然と見守るしかなかった。




