第81話 ハゲ、男泣きする
交換日記[筋肉神]
やはり気功などというまがい物の力では筋肉には勝てん!
優れた筋肉には、さらに強大なる筋肉を!
わたしは床に転がされたまま、呆然としていました。片手はまだ、羽毛田さんの手と繋がったままです。
く……!
「動くな!」
アデリナの鋭い声が飛びます。
視線をそちらに向けると、アデリナは人差し指と中指を揃えた右手を、中空で停止させていました。
羽毛田さんが口を開く前に、アデリナが素早く吐き捨てます。
「……そこのあんた。蓮華を人質に取ったつもりだろうが、残念だったな。黄金竜の命はすでにあたしの手の中にある」
異空の刃だ――!
黄金竜ゼロムゼロムは気絶してしまったのか、頭部を床に埋め込まれた状態で瞼を閉じています。けれどもたしかに、その長い首を守る金色の鱗には、切れ目が入っていました。異空の召喚によって、空間のずれが発生しているのです。
「あたしが手を少し動かせば、黄金竜の首はいつでも落とせる」
羽毛田さんが、わたしからアデリナへと視線を向けました。それでもわたしは動けません。だって、わかってしまったから。
この人の筋肉ならば、わたしが少しでも動けば簡単に繋いだ手くらい握りつぶせます。
けれど、なのに。
「むう……。待たないか。キミたちは何を言っている……」
声色を変えることなく、穏やかに低い声で、彼はそう言うのです。アデリナが珍しく不愉快そうに吐き捨てます。
「わからないのか? あたしは蓮華を放せと言っているんだ!」
「私がこの娘を放せば、キミはゼロムゼロムに対する攻撃を止めてくれるのか?」
ぴくり、とアデリナのこめかみが痙攣しました。
「……さてね。そいつには友人を殺されている。正直、腸が煮えくりかえってたまらない。今すぐにでも首をすっ飛ばしてやりたい気分だ」
ぴりっと空気が張り詰めます。それは、いつものアデリナからは考えられない言葉でした。
「正直だな。黙ったまま、私が放した後に実行すればよいものを」
「……剣士を愚弄するか。選択肢を与えてやったつもりはないぞ」
主が気を失ったためか、竜人たちはいつの間にか黄金像へと戻っていました。わたしはそれを哀しく思います。
ああ、本当に黄金竜の傀儡になってしまったんだ……。三〇〇万と三十万の無辜なる人々が。カダスに生きていただけの人たちが……。
そしてその中には、アデリナの友人であるナナイさんもいるのです。
アデリナが額に手をあて、くしゃりと前髪を握りつぶしました。
「なあ、ムカつくんだよ」
表情に怒りを宿し、彼女は羽毛田さんを睨みます。
「あんたはさっき、無益な殺生と言ったな?」
「ああ、言った」
平然と、羽毛田さんはこたえます。そのことが余計にしゃくに障ったのでしょう。一度歯がみして、アデリナが叫びました。
「あんたの目は節穴かッ!! この竜人たちを見ろッ!! 人間を竜人に変えられる生物が、そいつ以外にいるとでも思っているのかッ!! ……ナナイは友だちだったんだッ!!」
羽毛田さんが眉をひそめ、わたしの手をあっさりと放してくれました。
「……え……あの……」
「――ッ」
アデリナの殺気が膨張しました。
けれども彼女が右手を払おうとした瞬間、羽毛田さんは肉体に似合わぬ速さでバックステップをして、ゼロムゼロムの長い首へと跳び乗ります。
ちょうど、異空。空間のずれの発生している位置に、自らの身を置くように。
「く……ッ」
アデリナの手が震えて止まりました。
当然です。どれだけ激昂していても、彼女に人は殺せません。
「なんの真似だ! そこをどけ、羽毛田甚五郎! さもなくばあんたごと斬る!」
「断る。どうやらキミたちは誤解をしているらしい」
異空を恐れることなく彼は仁王立ちとなり、朗々と声を上げます。
「カダスの民を竜人にしたのは、たしかにゼロムゼロムだ。だが、彼らを殺したのはゼロムゼロムではないぞ。こやつにそれほどの度胸はない」
「ふざけるなッ! 世迷い言を――ッ!」
「世迷い言ではないっ!!」
一喝。たったの一喝で、アデリナが気圧されたように口をつぐみます。
びりびりと、雄々しい声が壁に反響していました。
「カダスよりアリアーナ神権国家に報せが来たときには、すでにこの国は滅んでいた。人の形を取った黑竜の手によってな」
その言葉に、わたしは息を呑みます。カダスの惨状を思い出して。
「――っ!?」
「なんだと!? どういうことだ!?」
羽毛田さんは静かに息を吐きます。ゆっくりと、長く。
「私は現在アリアーナの聖女レーゼに依頼を受けて動いている。ゆえあってレーゼは今、神権国家の外に出ることができんのだ」
聖女レーゼ!? グリム・リーパーの言っていた七英雄の一人……!
羽毛田さんは続けます。
「私がアリアーナ神権国家にてカダス滅亡の報せを受けたのは七日前。だが、辿り着いたときには魔素を抜かれた死体は一体たりとも転がってはいなかった。ゼロムゼロムの手により、黄金竜のエリクシルで竜人とされていたからな」
アデリナが長い青髪を振って顔を歪めます。
「なぜそんなことをッ!」
「ゼロムゼロムは二〇〇年前の黑竜戦以前に、黑竜に一族を壊滅させられている。その恨みから黑竜を追っているのだ。そして彼女同様、黑竜により命を奪われたものの遺体にのみ自らの血液を与え、来たる黑竜との決戦に向けて、戦士として蘇生して回っている」
戦士。この言葉には聞き覚えがありました。鉱山都市シャラニスの亡霊、大神官ナイ・カー様の言葉です。
――……蜥蜴……ト……な……た……。……戦……士……と……ナ……た……。
すなわち、これが竜人。黑竜を討つための戦士。
きっと黑竜戦の折りにはレアルガルド中の黄金像はすべて竜人となり、ゼロムゼロムの下、黑竜に戦いを挑む戦士となるのでしょう。
「……それが……竜人の正体……」
羽毛田さんがうなずきます。
「ゼロムゼロムは黑竜に一矢報いたいとする死者たちの想いを束ねて背負い、自らの血を分け与えてレアルガルド中を飛び回っているのだ。一人でも戦士を増やすためにな」
アデリナの手が、ゆっくりと下がります。
彼女から漏れ出していた殺気も、徐々にその勢いを失って。
「そんな……」
「人は死者を眠らせたいと願うもの。それを徒に起こして回る彼女を邪竜と呼ぶならば、そうなのかもしれん」
だが、と。羽毛田さんは呟きます。
自らの足もとで眠るゼロムゼロムに視線を落として。
「だが、私にはゼロムゼロムを罰する気にはなれん。ゆえに私は彼女を騎竜にしたいと願った。ゼロムゼロムが五〇〇万体の竜人よりも、私一人の力を信じてくれたならば、カダスは静かに眠る死者の都となれていただろうに……」
それはとても優しい視線でした。
わたしは尋ねます。謁見の間で黄金像と化した竜人たちを見回して。
「竜人は、黑竜と戦いたいと願っているのでしょうか」
きっと、黑竜を恨んでいるのだから……。
「どうだろうか。私にはその判断はできない。だが、私は竜ではなく人間だ。死者には戦いよりも、安息を与えてやりたいと思っている。しかしもしも私が黑竜に殺された人間の一人であるのなら、私は意志を捨ててでも蘇り、この血肉で黑竜と戦いたいと願うだろう」
勝手な話だ、そう最後に付け加えて。
黄金竜ゼロムゼロムは、羽毛田さんの下で静かな寝息を立てています。
「……まったく、こやつめ。無理をしおって」
「無理?」
「わずか数日のうちに三〇〇万と三十万の民に自らの血を分け与えるなど、いくら古竜の王たる黄金竜といえど、正気の沙汰ではなかろう。おそらくこやつは相当に弱っている。ゆえにカダス城に留まり、肉体を癒していたのだろう」
そっか……。血の雨でも降らさなければ、全員を竜人に変えるなんて到底……。
「しばらくは飛ぶこともままならんだろうな」
羽毛田さんはそう呟いて、ゼロムゼロムの首から割れて砕けた地面へと、くたびれた革靴で飛び降りました。
「納得してもらえたかね?」
わたしにではありません。羽毛田さんはアデリナに尋ねます。
アデリナはうつむき、けれども首を左右に振りました。その足もとに、黒い染みがいくつか落ちて広がります。
「……竜人が人の意志を取り戻す方法はあるのか?」
「黄金竜の命を絶てば意志は戻る。私はかつて意志ある竜人と戦い、そやつから聞いた。そやつの主たる黄金竜は、すでに死んでいたのだ。だが、ゼロムゼロムが作り出した竜人は、すべて死者。おそらくゼロムゼロムの命を絶ったところで、ともに滅ぶだけだろう」
じゃあ、アデリナの友人はもう……。
少しの沈黙の後、アデリナはわたしたちに背中を向けました。
「……事情はわかった。ありがとう。あんたに感謝する。羽毛田甚五郎」
「ああ」
「蓮華、すまないが、彼から必要なことを聞いておいてくれ」
アデリナが足音もなく、静かに歩き出します。まるで幽鬼のように、ふらり、ふらりと。
「え、アデリナは?」
「……少し、疲れた……。……今は何も考えたくない……。……しばらく一人にさせてくれ……」
声が揺らぎ、肩が震えていました。
「アデリ――」
「頼むからッ!」
有無を言わさぬ強い口調でした。ううん、悲鳴のような泣き声でした。
「……頼むよ、蓮華。……明日、カダス市場で待ってて……」
早口でそれだけを告げると、アデリナは一度も振り向かないまま、謁見の間から走り去ってしまいました。
追いかけようとしたわたしの肩に、羽毛田さんの大きな手が置かれます。
「よさないか。女であるとはいえ、剣士の涙など見るものではない」
「あ……。……そう……ですね……」
まあ、アデリナは九割以上魔法使いですけど。
大丈夫。ぽんこつの身体に反して、とっても強い人ですから。きっと、明日には。
ふぅ、と息を吐きます。
先ほどまでの喧噪が嘘のように、謁見の間は静まりかえっていました。
わたしは少し気まずさをおぼえて、羽毛田さんを見上げます。大きいです。とっても。
「あの、羽毛田さん」
びくん、と羽毛田さんが肩を跳ね上げます。まるで驚いたように目を見開いて。
「あ、あれ? 羽毛田さん?」
びく!
「よ、よさないか、待つのだ。名字ではなく、名で――甚五郎と呼んでくれと言ったはずだぞ。名字で呼ばれると私の心が傷を負う恐れがある」
……自虐ネタかしら。
名は体を表すとはよく言ったものです。
「実際問題、私はこれっぽっちもハゲてなどいないしなっ」
彼の精悍なる顔つきを伝う涙を見て、わたしは思いました。
これはまた、やっすい涙やでぇ……。
交換日記[七宝蓮華]
むり。おぞましい。




