第76話 黄金竜は睥睨する
交換日記[筋肉神]
カレーンゴが食べたくなってきたな。
魔法神よ、ちょっと買ってきてくれんか。
カダス城正門前――。
ここまでお城に近づくと、全貌がまるで見えません。見渡しても、見上げても、横にも、縦にも。カダス城はあまりにも広く、あまりにも高いのだから。
「やはり門衛もいないな」
アデリナがふぅと息を吐きます。
珍しく緊張しているようです。
「ですが、門は閉ざされていますよ。これだけ広いお城です。もしかしたら民を匿って中で籠城しているのかもしれません」
「だとよかったのだが、残念ながらそれはない。亜人国家カダスには三百万の民と、カダス城には三十万の兵がいる。いずれも種族は戦闘民族だ。だが、城内から感じ取れる魔素は一つしかない。三百三十万の魔素は感じられない」
一つ。たった一人、もしくはたった一体で、三百万の民と三十万の兵を消滅させてしまったというのでしょうか。
これは……。
「レアルガルド大陸でも歴史上初となる。これほどの被害が一国に集中したのは」
「黑竜でしょうか。魔王でしたら、魔素は発していないはずですから……」
魔王はわたしと同じ日本人です。仮に魔法が使えたとしても、常日頃から魔素を体外に放出していることはありません。
「……どうかな。あたしたちが殺り合った頃の黑竜が発していた魔素の規模は、遙かに超えているから……」
アデリナはしかめっ面で言葉尻を濁します。
たぶん、その後に続く言葉は「だとしたら勝てない」です。
「民を喰らって力を取り戻しつつあるのかもしれませんよ」
でも、だとするなら今ここで黑竜と戦うことは、得策ではありません。到底勝てませんから。七人の英雄を集めなければ、抗うことさえできません。
「喰い滓を残していないのが気になる。黑竜被害に遭った国の滅び方は、もっと凄惨なものだと聞いた。血痕と臓物がそこかしこに飛び散って異臭を放ち、生者は黑竜病で呼吸がうまくできず、喉を掻き毟りながらのたうち回っていたとか」
ぞっとする話ではありますが、たしかにカダスを襲った悲劇とは違っているようです。
「いずれにせよ」
「ああ。行こう」
跳ね橋はありません。閉ざされている城門も木製。他国に比べれば、ゆるゆるです。おそらく、戦闘民族ゆえの驕りなのでしょう。
城壁は瑪瑙なので、不思議なマーブル模様となっています。手触りはすべすべ。砕けば壁さえ売れそうですね。
わたしは木製の城門に両の掌をつけます。
「開けます」
「頼む」
足を踏ん張り、歯を食いしばって、押し込んで。
ぎ……っ、と小さな音がして、木製の扉が揺れました。閂がかかっているようです。
アデリナが人差し指と中指を揃えて呟きました。
「あたしが切――」
ま、そんなもの関係ないんですけどね。
足の指で大地をしっかとつかみ、さらに力を込めます。
「……ふぬーッ」
みしり、と正門扉が鳴いた直後、木が徐々に折れ曲がって砕けてゆく音と、重い扉が軋みながら開いてゆく音が同時に聞こえました。
「開きました」
「こじ開けました、の間違いだろ……」
そうしてカダス城のエントランスは、その姿をわたしたちへと現します。
「――っ!?」
「……ッ!」
どくん、心臓が跳ね上がりました。一瞬で、わたしたちは戦闘態勢を取ります。
アデリナは指を揃えた右手を持ち上げ、わたしは息を呑んだ直後、両手を拳にして大地を足の指でつかんでいました。
「待て、蓮華」
黄金で造られた、たくさんの銅像――ううん、黄金像が建っていたから。それも、人間ではありません。おそらくは亜人でもありません。
蜥蜴。もしくは翼のない竜を、もっと人間に近づけたものです。
「……」
エントランスの左右に鎧を置いているような感じではありません。そういった飾り物とは、まったくの別物なのです。
それらは有象無象、方向性も間隔もなく、ただただ無数に建っていたのです。
しんと静まりかえったエントランスに、音はありません。鼓動も、わたしとアデリナのものがたった二つだけで。
アデリナが指先で静かに黄金像をなぞります。
「なんだこれは……。まるで本物のようだ」
「今にも動き出しそうで不気味ですね」
黄金でできた鱗の隙間に指を這わせても、それらは当然のように動きません。生物としての温度も感じられません。
「リザードマンの像か……?」
リザードマン。蜥蜴人間。レアルガルド大陸に存在する、常闇の眷属の一つです。硬い鱗と、縦横無尽に壁や天井をも走り回れる強い手足を持ち、大型の刃物を武器としている一族だそうです。
「いや、違うな。これはむしろ――」
「竜に近い顔つき?」
「ああ」
魔王の騎竜、銀竜シルバースノウリリィさんの竜化したときの顔つきに似ています。もっとも、大きさや強靱さ、醸し出される雰囲気はまるで比べものになりませんが。
そんな黄金像が、見渡す限り並べられているのです。大小こそあれども、デザインはどれ一つとして変わりません。
広大すぎるエントランスはもちろんのこと、二階へと続く階段にも、三階へと続く階段にも、それぞれの廊下にも、エントランス向こうに見える廊下にも。
見渡す限り、同じ黄金像が建っているのです。
それは、とても不気味な光景でした。
「アデリナ、カダス城は昔からこうなの?」
「少なくとも、あたしが子供の頃、父さんに連れられて訪れたときには、こんな黄金像は一体たりともなかった」
こん、こん、と黄金像の胸をアデリナの拳が叩きます。
「……生物ではなさそうだな」
「同感です」
「ならば気にせず進もう。謁見の間はこの奥だ。……そこに魔素の主がいる」
わたしたちは建ち並ぶ黄金像を歩いて避けながら、城内を進みます。エントランスを抜けて廊下を進んで行っても、やはり不気味な黄金像はそこかしこに建っていました。
幸い、太陽はまだ高く。
けれども日が暮れたら窓から射し込む光も消えて、闇に包まれてしまうでしょう。そこかしこに黄金像がある状況では、闇の中での撤退は相当難しそうです。場所によっては、満員電車状態ですからね。
だんだん邪魔に思えてきました。あとで売っ払ってやろうかしら。
どれくらい歩いたでしょうか。黄金像を避けて進んだせいで、距離感が狂ったように思われますが、カダス城の広さでは実際に歩いた距離も相当だったのだと思います。
それでもアデリナの足取りがまだしっかりとしているのは、たぶんご友人のナナイさんの身を案じてのことでしょう。疲れを感じることを忘れているのです。怒りや興奮が、彼女に一時的な力を与えているのです。
ですが――。
……危なっかしいな。
わたしはアデリナを横目で見やり、考えます。
こういうとき、人は自分の限界を超えて無茶をします。もしも目指す先にいるのが黑竜だった場合は、わたしは有無を言わせずアデリナを抱えて壁を破り、逃走しなければなりません。
たとえ、恨まれても。
七英雄を守り、導くのは、八人目であるわたしの役目なのですから。
「ついたぞ」
「はい」
扉。廊下の奥。前に立って。
アデリナに目配せをしてからうなずき合い、扉のノブを手でつかみます。回そうとすると、かちゃっと音がして回転が止まりました。
「鍵か」
「はい」
「あたしが切――」
ま、関係ありませんけどね。
さらに回すと、金属の砕ける音がして唐突に扉が小さく揺れます。
「開きました」
「だから、こじ開けましたの間違いだろって……」
そうしてわたしは、ゆっくりと扉を押しました。
きぃ、と小さな音がして、扉が開かれます。
広い、広い部屋でした。この謁見の間だけで、シーレファイスの王城がすっぽりと収まってしまいそうなほどに広い部屋でした。
広大な謁見の間には、最奥まで無数の丸い柱がありました。その一本一本と、さらに壁際には等間隔に炎が灯っていました。
けれども。ああ、けれども。
それらはすべて、わたしたちの目に入りませんでした。そんなものに一瞬たりとも視線を向ける余裕なんてなかったのです。
黄金像は存在しない空間。人が忽然と消えた国家。その最奥には。
かつて、おそらくは玉座があったと思われる場所には、金色の鱗を持つ神々しき古竜。
広大なるカダス城の謁見の間ですら狭く思われるほどの巨体の黄金竜が、わたしたちを遙か高所から見下ろしていたのだから。
交換日記[魔法神]
お断りしますぞ。
アリアーナにでも行かせればよいのでは?




