第64話 魔法少女は空に墜ちる
交換日記[筋肉神]
瘴気に感染だぁ? ふん、くだらん!
筋肉という名の鎧には無効だっ!!
わたしがアデリナをお姫様抱っこして、王城の窓から飛び出すと同時でした。
すでに廃墟と化していた巨大なシャラニス城は、空からの圧力によってついに倒壊し始めたのです。
地響きと地割れ、舞い上がる土煙――!
身を隠す土煙は、けれどもわたしたちの視界をも塞いでしまって。
「どうします!?」
「かまわん、飛び出せ」
わたしはアデリナを抱えたまま土煙から飛び出して、今も倒壊しつつあるシャラニス城から大きく距離を取りました。
足もとは、沼。膝まである泥沼です。アデリナがメイン通りの水を魔法で捌けさせるまで、シャラニスの大部分が汚泥と化していましたから。
わたしは泥水を跳ね上げながら、シャラニス城を振り返ります。
その視界に入ったものは――。
「~~っ!」
「予想はしていたが、やはり毒竜か!」
シャラニス城の屋根に取り付き、一体の灰色の竜が執拗に鋭い爪でシャラニス城を攻撃していました。
凶悪な爪が外壁を、屋根を、内壁を抉るたびに倒壊は引き起こされ、見る間にシャラニス城は建物としての形状を失っていきます。
その巨躯はシルバースノウリリィと同等、ただし、彼女が四枚の美しい翼を持つのに対し、毒竜は二枚の蝙蝠の羽根のような、骨張った翼です。
全身を覆う鈍い灰色の鱗は、月光を吸い込んで反射することはありません。
「……ネイ・カー様は大丈夫でしょうか」
「ゆーれいとやらだから大丈夫じゃないか」
アデリナがわたしの両腕から逃れて沼に長い足をつけ、灰色蜥蜴を睨み上げます。
「あれが……毒竜……」
二〇〇年前に黑竜“世界喰い”が産み落とした、灰色の影。不気味な分身――。
かつて七英雄が作り上げた異種族連合の大半を屠ったとされる、凶悪なる竜。
気持ち悪い……。
これがわたしの第一印象でした。
あれほどの凶悪、あれほどの凶行であるにもかかわらず、殺気も闘気も感じないのです。
わたしにはあれが生物だとは思えません。たとえばよくできた殺人ロボットのような、プログラムの塊のような、そんな印象でした。
理由は一つ。気が感じ取れないから。
魔王の発する殺気や、リリィさんが発した闘気のようなものがないのです。
「あらかた退治されたとは思っていたが、まさかドリイル地方でまだ生存していた個体がいたとはな」
「……まるで創りものみたい……」
「呆けるなよ、蓮華。気づかれる前に先手を打つ」
アデリナが両手を広げて足もとの汚泥から水だけを集約させてゆきます。彼女の右斜め上方に細長い水の槍が形成された瞬間――。
「喰らえ! ――水乙女の槍!」
アデリナが右手人差し指と中指を揃えて、巨大な毒竜へと向けました。
細く渦巻く水の槍が凄まじい勢いで飛来し、毒竜の側頭部へと刺さ――らず、その強靱な鱗で四散します。
アデリナが舌打ちをします。
「巨大オーガ以上か……ッ」
渾身の魔法は、わずかに灰色の首を跳ね上げただけでした。すぐさま縦長の瞳孔をこちらに向けて、毒竜は空間を揺らさんばかりの叫び声を上げます。
――ガギャアアアァァァーーーーーーーーーーーーッ!!
「~~ッ!?」
「――っ!」
視界すら歪むほどの音響の中、アデリナが叫びます。
「ッれ……げ……ッ!!」
言葉は聞き取れませんが、言わんとすることはわかります。同じ事を、わたしも考えていましたから。
だからわたしは泥沼を駆け出し、瓦礫の一つを蹴って宙を舞いながら叫びました。
「変身!」
フレアスカートが、カーディガンが、ブラウスが光の粒子となって弾け飛び、すぐさまわたしの身体を包み込む魔法少女装束へと変異した瞬間、わたしの右手の中に持ち慣れた鈍器――じゃなくて魔法のステッキ、キラキラ☆モーニングスターが顕現しました。
「あ……ああああぁぁぁぁぁっ!!」
わたしは夜空を駆け上がるように飛翔し、両手で握り込んだキラキラ☆モーニングスターを、シャラニス城の屋根に取り付いたままの毒竜へと渾身の力を込めて。
「――っ」
飛びかかるわたしを迎撃するように振り払われた爪は、けれどもアデリナの放った二本目の水乙女の槍に弾かれます。
さすが!
毒竜がわずかに怯んだ隙を狙って、わたしはキラキラ☆モーニングスターを毒竜の鼻先へと振り下ろしました。
「ぁどっせいっ!!」
それは凄まじい手応えでした。
おおよそ生物から発する音ではなく、まるで金属と金属を激しく打ちつけ合ったかのような共鳴に、わたしの両腕は痺れます。
硬い……! ほんとに生物なの……ッ!?
やはり違います。竜というものは。生物としては、とてつもなく強い。生態系最上位、神格なのです。
――ガギャアアアァァァーーーーーーーーーーーーッ!!
打ち伏せられた毒竜は半壊したシャラニス城の屋根を突き破って階下まで落下しましたが、この手応えではおそらく大したダメージもないでしょう。
鱗。鱗の隙間を狙わなくては。
毒竜の鱗の硬度は、キラキラ☆モーニングスターの硬度に匹敵するのかもしれません。
「蓮華!」
アデリナの声が飛んだ瞬間でした。
「あぐ――っ」
全身がばらばらになりそうなほど凄まじい衝撃を感じた直後、わたしの身体が、倒壊したシャラニス城の屋根ごと遙か高所へと打ち上げられたのです。
階下から急上昇してきた毒竜の体当たりによって。
「蓮華ぇぇーーーっ!」
息が詰まり、視界に一瞬ノイズが走りました。が、わたしは歯を食いしばって、意識を保って。
暗黒の空――。身体をひねりながら体勢、整えて。
闇の中、目算ですが地面までの距離はおよそ五十メートルといったところでしょうか。今ならまだ、ぎりぎり着地可能な高さです……が。
――ガギャアアアァァァーーーーーーーーーーーーッ!!
毒竜がわたしを追って牙を剥きます。
為す術なく宙を舞うわたしは、迫り来る脅威にも、回避することはできなくて。
渦巻く瘴気を溜めた赤い大口が、跳ね上げられたわたしに迫ります。真下から。
呑まれれば瘴気に巻かれて終わり。鋭い牙で噛まれても終わりです。
「く……!」
わたしはキラキラ☆モーニングスターを振り上げます。
鋭い牙がわたしの身体を前後から挟み込もうとする一瞬を狙い、わたしは毒竜の牙をキラキラ☆モーニングスターで思いっきり叩きつけ、その反動でさらに上昇することで逃れます。
「このぉ――っ!」
がきぃんと、鋭い牙が組み合わさった音が夜空に響きました。
間一髪。上空に投げ出されているのに、一瞬で冷たい汗が全身に浮かびました。
けれど、こんなものは一時しのぎ。毒竜はすぐさままたわたしを襲うでしょう。それに、二度目の跳躍ですでに着地可能な高度ではなくなりつつあります。
どうする? どうしよう?
どくん、どくん、意識していないのに、心音が激しく身体の裡側を叩いているのがわかりました。
もう地面を見ても、どこにアデリナがいるのかさえわからず、シャラニス城はおろか鉱山都市シャラニス全体をも見渡せるほどの高さにまで達していました。
轟々と風が鳴って。
絶望感がわたしを襲います。
さすがにこの高度では、アデリナの援護も期待できないでしょう。なにせ、お互いに目視できないほどの距離の開きができてしまったのだから。
だめ……かも……。
「……このまま落ちたら日本に帰れる……?」
あの日、グリム・リーパーともつれ合いながらヘリポートからアスファルトへと叩きつけられて、レアルガルド大陸に転移したように。
日本の魔法少女たちはどうしているでしょうか。家族は。友人は。一人一人の顔が走馬燈のように浮かんでは消えて――けれども、その最後に浮かんだ人の顔は。
青髪のぽんこつ剣士でした。
わたしは再び体勢だけを整えて、唇を噛みます。
だめ! だめ! しっかりして、七宝蓮華! アデリナはどうするの? 魔王は? レアルガルドはどうなるの!?
――ガギャアアアァァァーーーーーーーーーーーーッ!!
歯を食いしばります。考えている暇はありません。
「まだ、死ねないのだからぁーーっ!」
下方より迫り来る毒竜へと、わたしはもう一度キラキラ☆モーニングスターを振り上げます。
牙の大口が迫ります――!
「こンのぉぉぉ――!」
何度だって! どれだけの高度だって! あきらめるよりはマシ!
牙をキラキラ☆モーニングスターでなぞり、口蓋が閉ざされるより早くわたしは毒竜の首の鱗を左手だけでつかみます。
毒竜がそれを嫌がるように首を振り回しました。
振り回され、つかむところのない両足が頼りなげに夜空で揺れます。
――グガアアアアァァァァーーーーーーーーーーッ!!
「……っ」
わたしはキラキラ☆モーニングスターをとっさに投げ落として両手を鱗の隙間に刺し込み、どうにか毒竜の背中へと這い上がろうと足掻きます。
死んでたまるかっ、落とされてたまるかっ!
こうしている間にも、高度はぐんぐん増していって。
「おとなしくして……!」
足の下には底の見えない闇、闇、闇。足が竦み、恐怖に折れそうな心が悲鳴を上げます。
もうヘリポートどころの高さではありません。雲さえ突き破って。たとえ地面が泥沼だとしても、落ちたら即死は免れないでしょう。
わたしは首を振る毒竜に必死でしがみつきながら、全握力で鱗を抉り取るように指を強引に刺し込んでいきます。もう、毒竜の背にのって、強引にでも降下させる以外に助かる方法はありません。
ねじ込んだ指先がぐじゅっと肉に達した瞬間、毒竜が耳障りな悲鳴を上げました。
どうやら痛覚はあるようです。びくんと、肉体が震えました。
「降りろ、降りろ、降りろ!」
わたしは叫びながら、何度も何度も毒竜の首を右拳で殴りつけます。鱗と鱗の隙間から、黒い体液が噴き出して。そこだけを狙って、何度も何度も。
「この! この!」
ぐちゃり、ぐちゃり。肉片と血液が飛び散り、わたしの顔を汚しても。
けれども体液が鱗の隙間に刺し込んで固定していた左手に達した瞬間、ぬるり、と手が滑ってしまいました。
「あ……」
わたしはついに毒竜から離れて空へと吸い込まれるように落下していきます。怒り狂った毒竜はそのわたしを追って降下し、鋭い牙を剥きました。
だめ、だめ……。……避けられない……。
落下中に上から襲い来る毒竜を殴っても、当然上昇はできません。もう、どうすることもできないのです。
死ぬ……の……?
「~~っ」
それは、毒竜の口蓋が閉ざされる瞬間のことでした。諦観の念にとらわれて目を閉じたわたしは、何かに背中を引かれて再び空へと舞い上がったのです。
すぐ側で毒竜の口蓋が閉ざされる、剣呑な牙の音が響きました。
ぶわっ、と再び汗が全身から噴き出しました。
「アデ――」
――ギュアッ!
それは毒竜よりも、夜の闇よりも、ずっとずっと黒い竜でした。もちろん黑竜ほどではありませんが、小さな、まだ小さな、わたしの大事な鎧竜。
「ナ、ナマニクさん!?」
ナマニクさんが二本の足で、わたしの肩をつかんで羽ばたいていました。
交換日記[魔法神]
知ってますかな、筋肉神よ?
バカは風邪を引かないのではなく、風邪を引いても気づかんだけですぞ?




