第62話 一人と七英雄
交換日記[七宝蓮華]
幽霊に足引っかけて転ばすとか! もう! ばかっ!
大神官ネイ・カー様の幽霊は、ひとしきり叫んだ後、胡乱な瞳で語り出します。
――黑竜……シャラニス……を……蹂躙せし……もの……。
脅えたように、憎むように。
アデリナがわたしと視線を合わせて小さくうなずきます。
アデリナの予想は合っていたのです。
ドリイル地方最古の鉱山都市シャラニスは、黑竜が滅ぼした。
ネイ・カー様は空洞の瞳で、暗黒の天井を見上げます。
――戦……た……。……シャラニス……は……。
わたしたちは黙ってうなずきます。
――……え……い……ゆたち……と……ともに……。
「英雄だと?」
――八名……の……戦士……と……七の……竜……。
八名? たしかレアルガルド大陸で伝説となっている英雄は七名だったはずです。
「アデリナ?」
「いや、知らないぞ、そんな話は」
ごくり、とアデリナが唾液を呑みました。そうしてネイ・カー様に尋ねます。
レアルガルド大陸の、知られざる歴史を紐解くために。
「おまえの言う英雄とは、七英雄のことじゃないのか?」
しばらく待っても、ネイ・カー様から返事はありません。
空洞の瞳を暗黒の天井へと向けたまま。
「キーワードが違うのかもしれません。そもそも英雄の数が八名なのだとしたら」
「そうか」
アデリナが何事かを思案する素振りを見せた後、こう呟きます。
「騎士国家ロンドレイの剣聖リリエムを知っているか?」
薄緑の光をぼうと放つ亡霊の首が、ゆっくりと下がります。深い皺を刻み込んだ首が、みしり、みしりと音を立てるように、アデリナへと向けられました。
――剣聖……リリエム様……、……魔人王……ルタティウス様……、……魔人姫グリイナレイさ……ま……。
「アデリナ!」
「黙って。七英雄の名だ」
ネイ・カー様が、しなびた頬に笑みを浮かべます。
泣き出しそうな顔で。
――ァァ……ァ……、……騎竜王……イギル・カイシス様……、……森の王……エステリウス様……、……巌窟王……ゲンガル様……、……猛獣王……カナイ・ククナイ様……。
すがるように。
両手を神に祈るかのように組んで。
――……剣姫ナスターシャ様……。
八名。言葉が止まりました。
アデリナが目を見開き、ネイ・カー様を睨んでいます。
「ナスターシャ……? 剣姫?」
「アデリナ、今の人たちは全員が七英雄なの?」
「あ、ああ。最後に挙がった名以外は、全員がそうだ」
アデリナが額に手をあててうつむきます。長い青髪が彼女の表情を隠しました。
「……騎士国家ロンドレイの騎士王、剣聖リリエムは、黑竜討伐後に軍事国家だった頃のアラドニアとの戦争に敗れて殺害されている」
「それって……魔王が五年前に殺したアラドニア王ラヴロフ・サイルスの一族に、剣聖が討たれたということ?」
「そうだ。騎士と剣の時代が終わり、魔術の時代がやってきた。もっとも、魔王の手によって魔術の時代は終焉を迎え、再び剣の時代に戻ってしまったが」
ちょっと待って。頭を整理したくなってきました。
旧アラドニア王サイルス一族が黒の石盤遺跡の力を使用して、剣聖リリエムを殺した。そして今から五年前に魔王が現れ、サイルス一族を断絶させて石盤遺跡を封印した。
ぞくり、と背筋が凍ります。
魔王の力が計り知れないのです。少なくとも、剣聖と呼ばれたリリエムさん並か、もしくはそれ以上ということになります。
……だから完全体である黑竜の頸を落とせた……。……七英雄の力を……超えているの……?
「続けるぞ?」
「あ、はい」
「ルタティウスは魔人族の王で、グリイナレイはその妻だった。七英雄が黑竜討伐に失敗した後、彼らはそろって危険なレアルガルドを捨てた。今は行方知れずだが、魔人族の寿命から察するに、世界のどこかで生きているとしても不思議じゃない」
「けれど、捜すのは不可能、ですね?」
レアルガルド大陸だけでも膨大な広さなのに、この星全土となると絶望的です。砂浜で一粒の砂を見つけるよりも難しいでしょう。
アデリナがうなずきます。
「竜騎国家セレスティの王、騎竜王イギル・カイシスは人間だ。とうの昔に寿命が尽きている。今セレスティは神竜国家と名を変え、神竜王イグニスベルがイギル・カイシスの遺志を継いでいる」
「黑竜討伐の交渉に巻き込むなら、その方が良さそうです」
「そうだな。世界情勢には腰の重いセレスティだが、どういうわけか黑竜被害にだけは積極的に動くという。あたってみる価値はある」
火竜イグニスベル……。
銀竜シルバースノウリリィにあてられた後だから、正直かなり怖い存在ではあるのですが……。
「森の王エステリウスはエルフだ。寿命は竜より長い。今はエトワール公と名を変えて、ハイエルフとともに迷いの森に住んでいる。だが、こいつはあてにならない」
「弱いの?」
「めちゃくちゃ強い。精霊使役の魔法に長けている。四大精霊王とも契約しているはずだ」
「アデリナよりすごいの?」
「バ――ッ! あ、あ、あたりまえだ。あた、あたしは魔法など使えんからな」
それ、いらない。
「そもそもあたしは精霊なんぞと契約したこともない。あんなもん連れ歩く意味がわからん。いらんだろ、鬱陶しい」
契約する必要がないくらい、自分の魔法が優れていたんだなぁ……と暗に察しました。
「では、どうしてエステリウスさん――エトワール公はあてにならないのですか?」
アデリナが顔をしかめます。
「想像を絶する偏屈だ。縄張りである迷いの森に立ち入れば、人間というだけで殺害されかねない。同じくドワーフ族の巌窟王ゲンガルもな。ま、こっちは酒が入れば気が変わるかもしれん……が、ドワーフ族の寿命ではもう老人の類だろうな」
「うっは~……七英雄って面倒くさい人だらけですね……」
「そうなんだよ。剣聖リリエムくらいしか、まともに話の通じるやつはいなかったらしい。エルフとドワーフは偏屈だし、魔人はもうあれだ、完全にチンピラだし」
チンピラ……。ヒャッハーなのかしら……。
「そ、そうなんだ……」
「その点リリエムは、さすがは騎士といったところだろう。ふふんっ」
まるで自分が褒められたかのような得意げな顔! あなた騎士どころか剣士ですらないですからね!?
しかしまあ、そんな人たちがよくもまぁ仲良く肩を並べて戦えたもんです……。
「獣人である猛獣王カナイ・ククナイもすでに寿命が尽きているはずだ。こっちは子孫が亜人都市カダスにいるはずだから、通り際に挨拶をするつもりだ。ちなみに猛獣王とか大層な異称はあったが、かなり臆病なやつだったらしいぞ」
「へぇ……」
どうやら七英雄をもう一度動かすというのは難しそうです。何ぶん二〇〇年前の英雄。始めからあてにはしていませんでしたが。
「アデリナ、ナスターシャさんという方は?」
「さっきも言ったが聞いたことがない。種族も不明だ」
わたしとアデリナの視線が、ネイ・カー様に向けられます。
もしも。もしも剣姫ナスターシャ様がご存命でしたら、黑竜を討つべく動くわたしたちにとっては、現状で人類と敵対している魔王以上の希望になるかもしれません。
アデリナがやや緊張した面持ちで唇を動かします。
「ネイ・カー。剣姫ナスターシャとやらについて聞かせろ」
ネイ・カー様は小さく唸り、そうして空洞の瞳で微笑みを浮かべるように囁きました。
――……ナスターシャ様……すべて……の……種族……を……、……集め……黑竜……挑む……。
「どういうことだ? 七英雄の筆頭は剣聖リリエムではなかったのか!?」
アデリナが眉をひそめます。
無理もありません。幼少期より聞かされていた英雄譚とはまるで違ってきているのですから。
わたしは彼女の代わりに尋ねます。
「ナスターシャさんが、対立種族だった他の七名の英雄たちを集めたのですか?」
――……ナスターシャ様……集め……た…………エルフ……も……ドワーフ……、……人間……。
まるで信仰する神の幻でも見ているかのように両手を祈りの形に、空洞の瞳で大神官ネイ・カー様は呟き続けます。
――……獣じ……ん……、……魔……人……。……おお……おお……っ……偉大な……る……剣姫…………、……世……かい……に……愛された……ただ一人の……女…………。
「ヒト! ナスターシャは人間だったのか!?」
――……あぁ……愛しき……女神…………。
アデリナが下を向いて、「クソ」と吐き捨てました。
剣姫ナスターシャが人間だったということは、黑竜戦を乗り切ったとしても当然もう寿命は尽きています。わたしたちの助けにはなりません。
「やはり魔王に頼るしかありませんね……」
「うん。残念だ」
そう簡単に魔王が首を縦に振るとも思えませんが。
現状のレアルガルド大陸で黑竜に対抗できそうなのは、魔王とその騎竜シルバースノウリリィさんくらいのものでしょう。
わたしとアデリナだけでは、到底……。
せめて件の勇者とやらが実在していればと願うばかりです。
ともあれ、たしかなことが一つだけわかりました。
鉱山国家シャラニスは七英雄にナスターシャさんを加えた八名とともにこの地で黑竜と戦い、そして敗れ、シャラニスは滅びたのです。
伝説の七英雄がそろっていてさえ……負けたんです。少なくとも、この地では。
――……ァァ……ァ……。
ネイ・カー様はまたうつむき、唸り初めてしまいました。
嘆きと、悲哀を込めて。
おそらくは条件反射的になのでしょうけれど、色々教えてくださった哀れな幽霊さんですが、わたしたちにはどうすることもできません。成仏のさせ方なんて、知っているわけもなく。
「……寂しくはありませんか?」
――……ァァ……ァ……。
「キーワードがなければ反応しないようだな」
「ええ……」
ちゃんと生きた人なのに、今ではまるで検索用のコンピュータ端末のようで……。ああ、嫌だな、こういうの……。
そのときです。大神官ネイ・カー様が、自発的に顔を上げたのは。
そうしてしばらく。突然脅えたように頭を抱え、がたがたと震え出しました。
――……ァァ……く……る…………灰色……蜥蜴が……やって……く……。
言葉は最後まで続きませんでした。
「~~っ!?」
「――くっ!」
轟音と、大地を揺るがす激しい震動。かろうじて保っていた王城の壁さえも突き崩し、ひび割れた天井を瓦礫へと変えて。
交換日記[アデリナ・リオカルト]
誤解だ。あたしは椅子の脚を蹴っただけだぞ。
交換日記[筋肉神]
むん? 我が娘は何を怒っているのだ?
貴様のとこの出来損ない剣士が、ちゃんととどめを刺さなかったからか?
交換日記[魔法神]
でしょうな。




